調整委員会
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12月5日、教皇ヨハネ23世は準備委員会の作成した草案を、司牧的なもの(ad intra 教会内部に向けての信徒らへの発言)と世界的に意味があるもの(ad extra 教会外部の世界に向けた発言)という観点から再検討することを要求し、調整委員会を設置した。キコニアーニ委員長ほか、リエナール、ウルバーニ、スペルマン、コンフェロニエーリ、デフナー、スーネンスの各委員から成り、殆どが進歩派で占められた。 第2バチカン公会議開会に先立つ1962年3月、ヨハネ23世は秘密裏にスーネンスに多すぎる草案の整理を任せており、スーネンス計画が実行されると公会議開会の60日後には、準備された73の草案はすべて否決され捨て去られることになった。 第1会期では、典礼の諸問題、東方典礼の問題などが扱われた。同時に話し合われた啓示に関する討論では草案が棄却され、書き直しが求められた。第1会期は結局、満足のいく成果をみることができなかったが、以後の会期の運営のあり方が確立された。あらかじめ準備された草案が全て承認に至らなかったという第1会期の事態は、ラッツィンガー神父によれば「第1会期の偉大な、驚くべき、正真正銘の肯定的結果」だった。これは「準備作業の背後にあった精神に対する強い反動」の証拠で「公会議の第1会期のエポック・メイキングな特徴である」と呼んでいる。
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調整委員会
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調整委員会 (英語: coordination committee) は、「世界知的所有権機関を設立する条約」の締約国で、かつ、「工業所有権の保護に関するパリ条約」及び/または「文学・美術作品の保護に関するベルヌ条約」の執行委員会の構成国である国で構成される。 WIPOが管理する複数の条約に関する管理上及び財政上の事項その他の事項について、特に同盟共通経費の予算について、同盟の内部機関、一般総会、締約国会議及び事務局長に助言を与える。
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