1970年選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 07:15 UTC 版)
候補者得票数%アジェンデ 1,070,334 36.30% アレッサンドリ 1,031,051 34.98% トミッチ 0,821,000 27.84% 総計 2,922,385 1970年に行われた大統領選挙では、人民連合は社会主義者・マルクス主義者として知られるアジェンデ、国民党は元大統領のホルヘ・アレッサンドリ、キリスト教民主党はラドミロ・トミッチ(英語版、スペイン語版)をそれぞれ擁立した。アジェンデが得票で首位になるが、過半数には至らなかったため、当時のチリ憲法の規定に従い議会の評決による決選投票が行われる。この投票に関してKGBの工作資金が社会党を中心とする人民連合側にが流れた。 ラテンアメリカにおける脱米国依存のナショナリズムの拡大を懸念したITTやペプシコその他米国実業界はこの動きに危機感を抱き、アジェンデの大統領就任を阻止するようキッシンジャーおよびニクソンその他の米国政府高官たちに働きかけた。そして決選投票の38日前に当たる9月15日、ニクソン大統領はCIAに対し、どのような手段を使ってでもアジェンデの就任を阻止するよう命じた。当時のチリ軍部はアジェンデの大統領就任を静かに受け入れていたので、CIAは、議会での決選投票における票の買収と軍事クーデターという2本柱の作戦を立てた。チリ駐在米国大使はチリの現職大統領に次のように言って脅しをかけた。「アジェンデ政権下では、ナットもボルトも一つとしてチリに入るのを許さない。あらゆる手段を使ってチリとチリ人を最低の貧困状態に陥れてやる」。 CIAはアジェンデを鬼として描くプロパガンダを展開した。記者たちに金銭を渡してCIA製の記事を新聞や雑誌に掲載させた。ラジオ番組では迫真の演技も行われた。番組の途中で銃声に続いて女性の悲鳴、「息子がマルクス主義者にやられた」との叫び、など。 CIAのサンティアゴ支局長はチリの狂信的右翼の退役軍人ロベルト・ビオーと接触した。そして彼が決起した場合にどうなるかを予測し、その場合にはチリで「大虐殺が長引いて内戦になるだろう」とCIA本部に伝えていた。この点についてチリ国家警察隊の高官から問われた彼は、「米国政府は気にしない。結果としての混沌がアジェンデ大統領を阻むのなら」と告げた。 しかし、陸軍総司令官のレネ・シュナイダー(スペイン語版、英語版)将軍は「軍は政治的に中立であるべき」という信念の持ち主であり、米国の陰謀にとって邪魔者となり得る人物であった。そんなシュナイダーは、決選投票直前の10月22日に陸軍司令部へ登庁の際、何者かによって襲撃されて重傷を負い、25日に死亡した。すでに陸軍を退役させられていたロベルト・ビオー(スペイン語版、英語版)将軍が関与したとして逮捕される。この件が逆に「チリの民主主義を守れ」と各党の結束を促す結果になり、決選投票で当時は中道左派政党であったキリスト教民主党も議会制度、裁判所制度を継続させる条件をつけ人民連合を支持(同党の議員74名全員がアジェンデに投票した)、アジェンデ大統領が誕生した。
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