大統領の弾劾とは? わかりやすく解説

大統領の弾劾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/21 05:09 UTC 版)

タデウス・スティーブンス」の記事における「大統領の弾劾」の解説

1867年3月4日招集され連邦議会では、スティーブンス期待したほどジョンソンへの反対活動盛り上がらなかった。議会7月までで休会となったが、司法委員会大統領弾劾すべきかを聴聞するために活動続けられた。スティーブンス弾劾しっかりと支持したが、他の議員オハイオ州選出上院議員ベンジャミン・ウェイド上院議長代行選出すると、それほど熱心ではなくなっていた。ウェイド副大統領居ない状況で(ジョンソン大統領昇格したあとは空席だった)、大統領職継承する第1順位にあったウェイドは富の再配分支持する急進派であり、カンザス州行った演説カール・マルクス印象与えており、マルクスは『資本論ドイツ語版初版そのこと言及している。女性参政権支持者でもあったウェイド疑い持たれる存在でもあった。ウェイド大統領職継承する可能性があることで、ジョンソン排除しようという推進者躊躇するところがあった。しかし、スティーブンス大統領解任強く支持し司法委員会報告書出せなかったときには、それが完成するまで議会会期続けさせるように努めた大統領には対決姿勢示していたが、閣僚とは共通の関心事項について協業した。アラスカ購入についてはその予算確保し国務長官ウィリアム・スワードにさらに拡大できる領土取得するよう勧めたジョンソン内閣大半ジョンソン支持したが、陸軍長官スタントンはそうではなく陸軍総司令官南北戦争英雄であるユリシーズ・グラントと共にジョンソンレコンストラクション政策弱める方向動いたジョンソン議会通した法に従い、その中には拒否権使ったものを覆されたものもあった。その意図反す方向で法を解釈することも多かった1867年8月スタントンジョンソンからの辞任要請拒否すると、役人任期法によって認められているところに従いスタントン停職させ、暫定陸軍長官グラント指名した共和党はその年の選挙アフリカ系アメリカ人選挙権問題扱ったが、それに反対する民主党へ有権者支持集め結果になった連邦議会議席には直接影響無かったが、オハイオ州では黒人参政権に関する住民投票否決されオハイオ州議会では民主党多数党となった。これは1869年にその任期終了するウェイド再選されないであろうことを意味していた。 12月議会が再招集されると、司法委員会では賛成5票、反対4票で弾劾実施可決したが、下院では否決された。1868年1月13日上院スタントン停職覆したグラント陸軍長官辞任しスタントン復職した。それでも2月21日ジョンソンスタントン解任し、ロレンソ・トーマスを後任指名した。しかし、スタントンその事務所に閉じこもった。これらの行動によってワシントンでは大きな騒ぎとなり、下院ではスティーブンス議場集団から集団歩き回り、「だから言っただろう?その控えめ態度で何か良いことがあったかいを殺さなければ、あなたが殺される」と繰り返し語ったスティーブンス2月24日新たな弾劾決議議論締めくくったが、健康状態思わしくなく、途中で演説打ち切り残り事務官代読させた。スティーブンスジョンソン政府の他の府の権限侵害しており、人民の意志無視していると非難した弾劾政治的なことであるのを否定しなかったが、「これはある政党一時的な勝利であるが、全大陸が自由で制約されない人々埋め尽くされるか、縮こまり臆病な奴隷の巣になるか、結果を見るまで耐えることである。」と語った下院賛成126票、反対47票で大統領の弾劾実施決めたスティーブンス翌日下院代表団率いて上院弾劾のことを伝えたが、自身は人に担がれてそのドアのところまで行く必要があった。弾劾条項起草する委員会にも選ばれていたが、病気のためにあまり関われなかった。それでも委員会作成した原稿には不満だったので、代案用意し、それが第11条になった。これはジョンソン発言の中で、南部州入っていないために議会正当性否定したことを告発しジョンソンレコンストラクション法に従おうとしなかったことなどが述べられていた。スティーブンス下院から弾劾裁判出席するマネジャーすなわち検事役の一人選ばれた。スティーブンス病気重くて、ジョンソン召喚された(大統領はその補佐官あるいは弁護マネジャーとのみ出席する3月3日の上院に顔を出せなかったが、召喚繰り返され10日後には出席した。「ニューヨーク・ヘラルド」紙の記事ではスティーブンスについて、「死人のような顔色であり、唇は引き攣れている...奇妙でこの世のものではないよう外貌である...墓から出てきた抗議者...狂信体現そのものであり、正義あるいは慈悲のかけら一つ無く...その党の宿敵恨みを晴らす、国の行政者に対する心を決めた執念深い敵」といった言葉並べられていた。 スティーブンス病気徐々に重くなり、弾劾裁判にもほとんど参加できなかった。下院マネジャー指導したのはマサチューセッツ州選出下院議員ベンジャミン・フランクリン・バトラーだった。スティーブンス上院議場にいるときは、生卵キスイガメポートワインブランディ栄養を摂っていた。4月27日下院マネジャー最終演説を行う前に、2回発言したけだった発言しながら声が弱まり最後バトラー原稿後半代読させた。スティーブンス第11条焦点当てジョンソン政治的な犯罪故に解任できるという立場を採った。法に違背する行動取っている必要は無かった大統領は法に忠実に執行することを誓っており、上院スタントン解任認めなかった後も役人任期法に意図的に従わなかったことを挙げ、「今この暗殺の子孫が上院居り、...憲法に沿ったやり方詰問しているのを無視している。法の報復どうやって遁れられであろう?」と発言した急進派大半は、ジョンソン有罪となり解任されることを確信していた。しかしスティーブンスは、首席判事(元財務長官)のチェイス被告側立場にあったのでその結果確信持てず、また共和党員が結束固めているという確証無かった5月11日上院秘密会合を開き議員たちがどのように投票する意図であるかを説明した民主党全員反対であったが、予想外に共和党員の多くも、告発事項幾つかあるいは全て無罪判断をしていた。マネジャーが票を数えると、有罪宣告必要な3分の2得られるチャンスは、スティーブンス提案した第11条であり、上院票決のために招集されたとき、真っ先にそれについて問うことにされた。これは懐疑的な者の票を容れれば、大統領はその条項有罪とはならないことを意味していた。票決賛成35票、反対19票で否決された。共和党員は時間稼げば違った結果になることを期待し上院10日休会にした。スティーブンス椅子座ったまま上院から担ぎ出された。ある目撃者は「怒り失望黒くなっていた」と表現していた。議場の外にいた者達がその結果怒号浴びせたとき、スティーブンスは「この国は悪魔の所に行こうとしている」と叫んだ

※この「大統領の弾劾」の解説は、「タデウス・スティーブンス」の解説の一部です。
「大統領の弾劾」を含む「タデウス・スティーブンス」の記事については、「タデウス・スティーブンス」の概要を参照ください。

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