大統領の息子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 09:27 UTC 版)
「オスカー・フォン・ヒンデンブルク」の記事における「大統領の息子」の解説
ドイツ帝国の軍人パウル・フォン・ヒンデンブルクの一人息子としてケーニヒスベルクに生まれる。ほかに姉と妹が一人ずついる。1903年に近衛第3歩兵連隊付の士官となり、同部隊で大隊副官となる。そこで同僚のクルト・フォン・シュライヒャーと知己になった。1914年の第一次世界大戦勃発時には軍司令部参謀、のち大尉として第20歩兵師団参謀となる。終戦後はヴァイマル共和国の国軍で第16歩兵連隊の中隊長、1923年に少佐に昇進。 1925年に父親が大統領に当選すると、中佐、のち大佐としてその副官を務めるようになる。老衰したヒンデンブルク大統領の政治決定は、実際にはオスカーやその友人シュライヒャー、大統領府長官オットー・マイスナーから出ていたといわれている。そのため世人は「憲法では想定していなかった大統領の息子」と嘲笑した。友人シュライヒャーの影響で、台頭するナチスに対しては、これを抑えるよりも利用することを考えるようになる。そのため1932年にブリューニング内閣がナチスの突撃隊を禁止すると、その解除を父親に進言したりした。
※この「大統領の息子」の解説は、「オスカー・フォン・ヒンデンブルク」の解説の一部です。
「大統領の息子」を含む「オスカー・フォン・ヒンデンブルク」の記事については、「オスカー・フォン・ヒンデンブルク」の概要を参照ください。
- 大統領の息子のページへのリンク