大統領府長官
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「オットー・マイスナー」の記事における「大統領府長官」の解説
郵便局員の息子として、ドイツ帝国エルザス州(現フランス領)のビッシュヴァイラー(ビシュヴィレール)に生まれる。1898年から1903年まで、シュトラスブルク大学とベルリン大学で法学を学ぶ。1902年に法学博士号を取得。1903年から翌年にかけて兵役に従事し、1906年にエルザス=ロートリンゲン州裁判所試補となる。1908年、エルザス=ロートリンゲン及びルクセンブルク鉄道局に行政官試補として移る。1915年から1917年にかけて、第一次世界大戦に従軍。以後1919年までドイツ軍占領下にあるブカレストやキエフに駐在し、ウクライナ国政府でドイツ政府連絡官を務める。 終戦後の1919年、ヴァイマル共和政初代大統領となったフリードリヒ・エーベルトの知遇を得てその大統領府(ドイツ語版)参事官に就任。翌年大統領府長官となり、1923年には政務官となった。エーベルトの死後大統領となったパウル・フォン・ヒンデンブルクの下でも同職に留任した。国防次官クルト・フォン・シュライヒャーやヒンデンブルクの息子オスカーと共に大統領に影響力を持つようになる。1929年から1930年にかけての議院内閣制崩壊にも一役買った。
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