曼荼羅
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種類(内容)
インド密教の歴史は、5・6世紀を萌芽期とし、13世紀初頭のインド仏教滅亡までの約800年間にわたり、さらに初期密教・中期密教・後期密教の3期に区分される[12]。
初期密教:密教がインドに現れてから、『大日経』、『金剛頂経』などの、組織的な密教が成立するまでの時期。
中期密教:7世紀。初期密教の完成形として『大日経』、のちに後期密教に発展していく『金剛頂経』などが登場する時期。
後期密教:8世以降。『金剛頂経』系の密教が発展していく。
初期密教の経典と曼荼羅
この時期の経典を、日本密教では「雑密経典」、チベット密教では「所作タントラ」に分類する[13]。本尊となる尊格や中心的テーマにしたがって文殊・観音・金剛手・不動・ターラー・仏頂、総・雑部陀羅尼などに分類される[14]。これらの経典にもとづく曼荼羅では、日本でもなじみの深い仏たちが整然と描かれている[2]。
中期密教の経典と曼荼羅
この時期の経典を、日本密教では「純密経典」、チベット密教では「行タントラ」および「瑜伽タントラ」に分類する。
胎蔵曼荼羅を説く『大日経』系の密教が、行タントラに相当する[13]。根本タントラとして『大日経』が位置付けられ、『金剛手灌頂タントラ』や『三三摩耶荘厳タントラ』などが含まれる[15]。チベット仏教の胎蔵曼荼羅が、『大日経』の所説により忠実に描かれているのに対し[16]、日本密教では、独自のアレンジの度合いが大きい[17]。
金剛界曼荼羅を説く『金剛頂経』、『理趣経』系の密教が、瑜伽タントラに相当する[13]。『金剛頂経』は、十八会十万頌といわれる膨大な密教経典の総称をいうが、このうちの「初会(しょえ, 第一部)」のみを指す用法もある[18]。二十八種の曼荼羅を説く[19]。日本密教の「金剛界曼荼羅」は、『金剛頂経』の「金剛会品」の曼荼羅6種、「降三世品」の曼荼羅2種に、『理趣経』の曼荼羅を付け加えて「九会(くえ)」としたものである[19]。
後期密教の経典と曼荼羅
『金剛頂経』以後に成立した後期密教の経典群[13]は、チベット仏教では「無上瑜伽タントラ」として最上位の評価を付されている[13]が、日本には一部を除き伝来していない[13]。チベットでは、さらにこれを「父タントラ(方便タントラ)」(ぶ- )、「母タントラ(般若タントラ)」(も- )、「不二タントラ(方便般若不二タントラ)」(ふに- )に分類する[20]。日本密教では胎蔵・金剛界の両部を不二とするが、チベットでは無上瑜伽に父(方便)と母(般若,智慧)をたて、これを不二とする[21]。
父タントラ(方便タントラ)は、『秘密集会タントラ』(グヒヤサマージャ・タントラ)を根本タントラとする部類と、ヤマーンタカの部類に分けられる[21]。父タントラを代表する曼荼羅には、『秘密集会』の阿閦金剛三十二尊曼荼羅、ヤマーンタカ類のうち、ヴァジュラバイラヴァ十三尊曼荼羅がある[1]。
母タントラ(般若タントラ)は、へーヴァジュラ類、ダンヴァラ類、デムチョク・アーラリ類、サマーヨーガ類などに分類される[21]。曼荼羅は、ヘーヴァジュラ九尊曼荼羅、サンヴァラ六十二尊曼荼羅などが名高い[1]。
不二タントラ(方便般若不二タントラ)には、『文殊師利真実名経』(もんじゅしりしんじつみょうきょう)と『時輪タントラ』(カーラチャクラ・タントラ)が含まれる[21]。
日本密教独自の分類
日本では、根本となる両界曼荼羅と、別尊曼荼羅とに大別されている。
- 両界曼荼羅 - 「両部曼荼羅」とも言い、「金剛界曼荼羅」「大悲胎蔵曼荼羅」という2種類の曼荼羅から成る。「金剛界曼荼羅」は「金剛頂経」、「大悲胎蔵曼荼羅」は「大日経」という、日本密教では根本経典として扱われる経典に基づいて造形されたもので、2つの曼荼羅とも、日本密教の根本尊である大日如来を中心に、多くの尊像を一定の秩序のもとに配置している。密教の世界観を象徴的に表したものである。なお、詳細は「両界曼荼羅」の項を参照。
- 別尊曼荼羅 - 両界曼荼羅とは異なり、大日如来以外の尊像が中心になった曼荼羅で、国家鎮護、病気平癒など、特定の目的のための修法の本尊として用いられるものである。修法の目的は通常、増益(ぞうやく)、息災、敬愛(けいあい、きょうあい)、調伏の4種に分けられる。増益は長寿、健康など、良いことが続くことを祈るもの、息災は、病気、天災などの災いを除きしずめるように祈るもの、敬愛は、夫婦和合などを祈るもの、調伏は怨敵撃退などを祈るものである。仏眼曼荼羅、一字金輪曼荼羅、尊勝曼荼羅、法華曼荼羅、宝楼閣曼荼羅、仁王経曼荼羅などがある。
チベットにおける分類
チベット密教では、日本密教のように、大日経の胎蔵曼荼羅と、金剛頂経の金剛界系の各種曼荼羅が、突出して重んじられるようなことはない。
サルマ派3派(サキャ・カギュ・ゲルク)
チベット仏教の4大宗派うち、ニンマ派をのぞく3派(サキャ・カギュ・ゲルク=サルマ派)は、プトン・リンチェンドゥプの所説にもとづき、密教の経典(=タントラ)を四分する。
- 所作タントラ
- 行タントラ
- 瑜伽タントラ
- 無上瑜伽タントラ
ニンマ派
ニンマ派では、寂静・忿怒百尊曼荼羅が代表的である[1]。寂静42尊と忿怒58尊から成り、両者で一対とされる[1]。 ニンマ派に特徴的な埋蔵経典を集成した『埋蔵宝典(リンチェン・テルズー)』には、埋蔵経典に解かれた曼荼羅327点が収録されている[1]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g 田中 2012, p. 185.
- ^ a b 田中 2012, p. 178.
- ^ 田中 2012, p. 188-189.
- ^ a b 田中 2012, p. 188.
- ^ 田中 2012, p. 189.
- ^ a b 越智 2005, p. 108.
- ^ 越智 2005, p. 110.
- ^ 越智 2005, pp. 108–109.
- ^ シタルほか 1995, pp. 60–63.
- ^ “ボン教の瞑想ガイド - ちいさな瞑想教室”. 2019年4月8日閲覧。, “マンダラ供養台 - ちいさな瞑想教室”. 2019年4月8日閲覧。
- ^ a b 越智 2005, p. 112.
- ^ 田中 1987, pp. 54–55.
- ^ a b c d e f 田中 2012, p. 100.
- ^ 田中 2012, p. 102.
- ^ 田中 2012, pp. 102–103.
- ^ 田中 2012, pp. 178, 180。.
- ^ 田中 1987, pp. 67–69, 152-162。.
- ^ 田中 1987, p. 72.
- ^ a b 田中 1987, p. 93.
- ^ 田中 2012, p. 100,103.
- ^ a b c d 田中 2012, pp. 100–101, 103.
- ^ 田中 2012, pp. 202–203.
- ^ シタルほか 1995, pp. 8–11, 53–57.
- ^ 参考写真1(文殊師利大乗仏教会「緑多羅四曼荼羅供」)、参考写真2(カワチェン ネットショップ「銅製マンダラ m 1」)、参考写真3(ダライ・ラマ法王庁「インド・フンスールで秘密集会の灌頂」)
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