来歴と作品とは? わかりやすく解説

来歴と作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/09 22:30 UTC 版)

フェリックス・レガメ」の記事における「来歴と作品」の解説

1844年フランスパリ生れる1871年パリ・コミューン参加したため、崩壊後ロンドンへ亡命余儀なくされ、1872年同地放浪していたヴェルレーヌランボー出会い二人描いた素描残したこの後アメリカ渡りシカゴデッサン教育改善取り組むが、早くから日本への関心抱いていた。1876年フィラデルフィア万国博覧会ではリヨン実業家エミール・ギメ出会いフランス文部省から極東宗教調査依頼されギメとともに記録画家として開国後間もない日本旅立つことになる。 1876年明治9年8月日本到着した彼らはまず横浜滞在し東京から京都へ向かう。伊勢大阪神戸通りその後中国インド経て1877年3月頃に帰国する。この旅でレガメは芝居小屋寺社光景庶民などの暮らし生き生きスケッチ残した。彼は、日本人の印象をこう述べている。 「日本人微笑み無償与えられるものなのだ。それは全ての礼儀基本となっていて、どんなに耐え難く悲しい状況であってもほほ笑み浮かべのである。」 パリ週間新聞ル・モンド・イリュストレ(絵で見る世界)』誌の1877年3月31日号には早くもフランスからの宗教調査使節のために伊勢神宮披露された舞を描いたレガメのスケッチ掲載されている。帰国後の1878年にはギメとレガメはそれぞれ文章挿絵分担して日本散策』を出版するまた、1878年パリ万国博覧会ではギメ持ち帰った東洋品々展示され調査の成果披露された。 その後二人各地日本文化紹介するが、レガメは会場スケッチ描いてギメ講演補完しといわれる1891年にレガメが出版した実用日本』の中には満員聴衆の前、レガメが壇上描いている日本情景の絵「子どもの祈願」が挿絵として入っている。一見祖母母子放って遊んでいるようだが、同書によると、日本の寺院では門のそばに鳥籠前にした老女がいて子供小銭引き換えにその籠の鳥を一羽自由にしてやり善行を積む(放生会参照)のだという。 レガメはその後日本紹介する数々出版物出し1900年にはパリ日仏協会設立ギメ副会長、自らは事務局長就任する一方ギメ持ち帰った大量仏像は、現在では通称ギメ美術館として日本でもよく知られるフランス国東洋美術館の母胎となった

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来歴と作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 23:17 UTC 版)

堀雅昭」の記事における「来歴と作品」の解説

1962年5月6日山口県宇部市一般的なサラリーマン家庭長男として生まれる。 宇部市藤山小学校、同藤山中学校山口県立宇部高等学校理数科卒業庵野秀明2年後輩)。 山口大学理学部生物学科千葉喜彦研究室)を卒業し九州製薬会社研究所薬理研究室)に就職その後公立中学校臨時採用教員非常勤講師等を経て作家活動をはじめる。 2022年8月刊行の『宇部俵田三代』の出版機にUBE出版立ち上げる。 堀は曽祖母家系関わる椿八幡宮近く墓所調査毛利家文書とする文献取材から『靖国源流 初代宮司青山清の軌跡』(2010年弦書房)、『琴崎八幡宮物語』(2011年琴崎八幡宮)、『靖国誕生』(2014年弦書房)、『靖国神社とは何だったのか』(令和2年宗教問題)など、家歴に関係する作品上梓した。 祖父の堀磨は大分県宮砥村(現、大分県竹田市一部)の出身で、宮砥村村長・堀頼彦の次男長男堀金馬の孫は筑波大学名誉教授堀洋道)。磨は日韓併合直前渡韓し、朝鮮総督府官吏郵便局長歴任最終履歴総督府営林書記官)となるが、大正末に宇部市入り沖ノ山炭鉱(後の宇部興産、現・UBE)の人事係として、主に朝鮮人労働者労務管理担った。『寺内正毅近代陸軍』(2019年弦書房)を書くきっかけが、祖父・磨が「朝鮮総督府勤めていたから」と同書の「あとがき」で語っている。 堀の『井上馨開明的ナショナリズム』(2013年弦書房)は継母ヒサ祖父椿八幡宮青山大宮司家と井上馨祖先縁続きになる関係から、東京広尾井上侯爵家(東京大学名誉教授井上光貞昭和58年没〕の家)の協力得て資料発掘作品化したもの本書をもとにNHK大阪放送局井上馨伊藤博文友情テーマにした「友がいれば越えていける」を製作、2015平成27)年1月7日歴史秘話ヒストリア放映。その延長線上に、同年12月3日井上馨の百回忌法要に堀は井上家菩提寺永谷寺麻布)に招かれ霞会館旧華族会館)で追悼講演第1部講師務めた第2部講師東京大学名誉教授伊藤隆)。このときの講演記録は、井上家が「井上馨回忌講演会講演集」としてまとめ、関係者配布すると共に国会図書館やゆかりのある山口県立図書館などに寄贈している。 『井上馨』に続き、堀が執筆した鮎川儀介 ―日産コンツェルン作った男』(2016年弦書房)は井上家から親戚筋にあたる鮎川家を紹介され作品作り進められた。本書では東京の日本水本社協力し同社通じて日産コンツェルン長年研究してきた宇田川勝法政大学名誉教授)を取材宇田川また、直後出した日産創業者 鮎川儀介』(2017年吉川弘文館)の「はしがき」で、戦後刊行され鮎川代表的研究書として小島直記鮎川儀介伝』、小沢親光『鮎川儀介伝』、井口治夫『鮎川儀介と経済的国際主義と共に堀の作品挙げている。山口放送は、堀の『鮎川儀介』をもとに1時間没後50年別記番組産業ユートピア夢見た男』を製作。堀も脚本づくりに参画し、2017平成29)年2月25日山口県内放映つづいて同年10月22日系列日テレBS全国放送されたことで反響呼び鮎川儀介の孫・鮎川純太より「日産騒動起きている」と堀に連絡が入る。その後2018平成30)年11月19日日産自動車カルロス・ゴーン会長金融商品取引法違反逮捕され国外逃亡する事件起きた。[要出典] 堀が2017平成29)年2月弦書房から上梓した『関門近代二つの港から見た一〇〇年』は、祖母ミツエ実母・京の家系である徳山久野家資料をもとに著した作品。「あとがき」で、「門司港明治三〇生まれ祖母父方)の親元があった」として、出光佐三中野真と共に門司三羽烏」と称され久野勘助の家を紹介している。 2021令和3)年11月宇部市市制施行100周年迎えることで、市とコラボで堀が宇部市出版企画実行委員会立ち上げ同年8月に同会及び弦書房より刊行した村野藤吾俵田明革新建築家実業家ー』は、第34回和辻哲郎文化賞一般部門推薦109点)の最終候補上位5点)まで残った選考委員阿刀田高氏は、「〈建築時代思想含んで激変しているんだ〉とわかり、現在にふさわしい力作」と選考評で同作評価している(姫路文学館和辻哲郎文化賞事務局発行第34回和辻哲郎文化賞受賞作発表資料』)。

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