来歴と構造とは? わかりやすく解説

来歴と構造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 03:44 UTC 版)

ヴァーペン・フォン・ハンブルク (1686年)」の記事における「来歴と構造」の解説

1686年の「ヴァーペン・フォン・ハンブルク」は、その名を冠した2隻目の護衛艦であった1685年ハンブルク提督府は艦の新造検討した。なぜなら初代ヴァーペン・フォン・ハンブルク」が失われた後、ハンブルク就役していた護衛艦は「レオポルドゥス・プリムス」のみとなっていたからである。しかしその新造艦は、特に資金面理由から、火災犠牲となった前任の艦より小型となる予定であった考慮土台となったのは、大砲30門から40門を搭載したさらに小さな護衛艦である。結局同年9月には新造30,000ターラーをかけると決まったが、最終的に54搭載初代類似した、より大きな艦の建造決定した大砲の数は、1690年造られた「アトミラリテート・フォン・ハンブルク」まで削減されていない2代目ヴァーペン・フォン・ハンブルク」の起工式初代と同様、テーアホーフ造船所ドイツ語版)で実施された。船匠として招聘されたのはゲルト・ゲルデスである。彼は初代同じくネーデルラント造船様式参考にしていた。彫刻作業には、すでに「レオポルドゥス・プリムス」と初代ヴァーペン・フォン・ハンブルク」に関わった彫刻家祭壇職人のクリスティアン・プレヒト(ドイツ語版)へ再び依頼を出すことができた。 いわゆる船舶設計図ドイツ語版)では、建造費用並んで艦の最も重要な寸法全長140フィート全幅36フィート三分割されたキール厚さ23ツォル、幅22ツォル)が定められており、費用総額見通せるようになっている船尾板(英語版)の彫刻について設計図規定されているが、彫刻家プレヒトは艦全体彫刻調和させるべく自らの発議によって契約範囲超えて作業打ち込み、後にその仕事価値評価され追加報酬さえ受け取っている。 艦は1686年7月竣工した新し2代目ヴァーペン・フォン・ハンブルク」の乗組員230名から250名であり、その内兵員50名から60であった。 この艦は3本マストミズンマストドイツ語版)、メインマストドイツ語版)とフォアマスト英語版))の横帆であったミズンマスト最下部(クロスジャッキ)にのみ、縦帆があった。さらにバウスプリットにはスプリットセイル付けることができたほか、檣頭英語版)が備わっており、もう一枚横帆ドイツ語: Oberblinde、オーバーブリンデ)を取り付けることが可能なジブブーム(英語版)があった。建艦にあたっては、喫水過大にならないよう注意が必要であったさもなければエルベ川浅瀬とりわけアルトナ砂州安全に航行できなかったからである。 2代目ヴァーペン・フォン・ハンブルク」は二層艦(英語版)であり、後部平らなトランサムスターンであった人目を引く中心的な存在、そして地位代表する彫刻として、艦尾正面には2匹ライオン抑える盾に城をあしらったハンブルク大紋章ドイツ語版)が設置された。この彫刻作品は、様々な寓意的かつバロック様式装飾彫刻縁取られた。ふんだんに金で装飾されたトランサムスターンには、側面のクォーター・ギャラリー(英語版)に至る船尾楼があった。この船尾楼は、主に音楽奏でる天使プット)の像で構成されていた。その左右上方には、ポセイドーン像が一つずつ配置されていた。クォーター・ギャラリーは船尾楼と同様、古代様式従った装飾寓意像を採用しており、これまたプットのほか、ヒッポカムポスといった合成獣の像で縁取られていた。さらに各クォーターギャラリーの屋根には、ハンブルク紋章を手で支え二人プットの像が配されている。このほか、船尾楼の上側には美しく装飾されフリーズ施された。船尾楼とクォーター・ギャラリーの全体は、数々水妖支えているように見える。上側フリーズの上には三つ大きな舷灯取り付けられており、伝統的な船尾部分の外観完成させている。 船首像は、ネーデルラント様式建造され多く軍艦同様にライオンであった。それは前足で、ハンブルク紋章掲げていた。このような市の紋章は、船尾楼舵輪上方にもあった。 艦体の板張りドイツ語版)は、舷墻ドイツ語版)を含めて比較滑らかな表面特徴とする平張りであった2代目ヴァーペン・フォン・ハンブルク」は大砲54門を備えており、中でも大口径の砲は下部の砲甲板配置されていた。同艦には砲より多く砲門英語版)が設けられており、備砲追加武装柔軟に取り扱えるようになっている当時、これらの砲には盥が用意されており、砲身内外からスポンジ洗い矢冷却するべく砲員が使用していた。 砲は原則としてネーデルラントもしくはスウェーデンから輸入したものであった

※この「来歴と構造」の解説は、「ヴァーペン・フォン・ハンブルク (1686年)」の解説の一部です。
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