アトミラリテート・フォン・ハンブルク
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アトミラリテート・フォン・ハンブルク(ドイツ語: Admiralität von Hamburg)は1690年に進水し、「護衛艦」を公称し、ハンブルクの旗下に行動したフリゲートである。同艦はハンブルク提督府と商業委員会から発注され、護送船団を海外におけるハンブルクの貿易相手国まで護衛し、私掠船の襲撃から守る任を帯びた。
- ^ 市議会はその書簡の中で、これらの艦艇を折に触れて「オルロークシッフ」、すなわち「軍艦」と呼称している。これに対し、ハンブルク提督府も商業界も対外的には、それらが商品の防衛に寄与するものであり、ハンブルクの戦争行為のために発注されたものではないと断言している。
- ^ この像の由来については、異なる意見がある。ハンブルク歴史博物館の案内板に拠れば、この像の制作者は不明だが、一般の書籍ではクリスティアン・プレヒトの作品とされている。
- ^ ハンブルクの沖合で船が停泊し、新しい護送任務に向けて待機している時、それらの大砲の一部は船から降ろされ、船団武器庫に収められた。町が攻撃されれば、大砲は市壁の防衛に用いられたのである。当初、2代目「ヴァーペン・フォン・ハンブルク」の砲は44門に減らされるはずであったが、実際には同名の先代と同様、その艦にも50門以上の大砲を装備することになった。つまり「アトミラリテート・フォン・ハンブルク」は1689年以降、砲の数を削減した初めての護衛艦となったのである。
- ^ 狙撃手(ビュッセンシュッテ、ビュッセンシュッターとも)は現代ドイツ語では「Büchsenschütze(ビュクセンシュッツェ)」、すなわち「狙撃手」と表記できる。彼らは帆走軍艦の兵員用の持ち場で敵と交戦する役目を与えられていた。
- ^ 掌帆長の補佐。
- ^ 掌砲手はPierer’s Universal-Lexikon p. 164, (Altenburg 1862)に拠れば艦内の特別な部屋で装填道具、大砲用のテークルや携帯食糧の管理を行う砲兵下士官である。
- ^ ハインリヒ・アウグスト・ピアラー:Universal-Lexikon der Gegenwart und Vergangenheit第4版、第15巻p.155, Altenburg 1862 (Zeno.orgより(ドイツ語)) 「掌帆長(ドイツ語: Schiemann)とは軍艦において航海長に従う下士官であり、前檣のロープや索具を監督する。掌帆手(ドイツ語: Schiemannsmaat)は、言わばその補佐であり、バウスプリットの索具を監督する。掌帆手の直属として見張りに就く乗組員は「シーマンスガステン」(ドイツ語: Schiemannsgasten)という。前者は「カーベルガステン」(ドイツ語: Kabelgasten) 、もしくは「ボーツマンスガステン」(ドイツ語: Bootsmannsgasten)とも呼ばれる。なぜなら甲板長(ドイツ語: Bootsmann)は特に索具を監督していたからである。これらの乗組員の中で最も有能な者、「マースガステン」(ドイツ語: Marsgasten)は見張り台における勤務や上帆の管理にあたった。そのため、索具やロープの修繕も担当した。」
- ^ 当時のハンブルクにおいては、船長の職位は購入するのが一般的であった。応募者は船長職に就くため、多数の賛同者と並んで少なからぬ資金を用意しなくてはならなかった。護衛艦の艦長は150ターラーの月給を受け取っていたので、この就職活動における出費を取り戻すには一定の期間がかかる。艦長の選任は護送船団委員会が行う。護衛艦の艦長は、生涯にわたって固定の俸給と年金を受け取った。
- 1 アトミラリテート・フォン・ハンブルクとは
- 2 アトミラリテート・フォン・ハンブルクの概要
- 3 乗組員の構成
- 4 就役後
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