出動と解体とは? わかりやすく解説

出動と解体

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 02:39 UTC 版)

レオポルドゥス・プリムス」の記事における「出動と解体」の解説

レオポルドゥス・プリムス」の成果に富む出動は、数々報告裏付けられている。例え1673年晩秋艦長ベーレント・ヤーコプゼン・カープファンガーは「レオポルドゥス・プリムスをもって、同艦がポルトガルから護衛して来た船団フランスの私掠艦隊ドッガーバンク襲撃した際、戦闘勝利している。1年後、カープファンガーはサン・ヴィセンテ岬トルコ海賊船3隻と遭遇したが、これらは早期戦い打ち切った。 カープファンガー率いる「レオポルドゥス・プリムス」の出動頂点成したのは1678年9月11日エルベ河口フランスの私掠フリゲート5隻を撃退した戦いであった。フランスフリゲートグリーンランドからハンブルクへ戻る、50隻の捕鯨船団を狙っていたのである。この時は12時間に及ぶ海戦の末、フランス艦2隻が撃沈され、残り敗走したハンブルク側で失われた船はなく、「レオポルドゥス・プリムス自体軽く損傷したのみであった。同艦の戦死者は2名に留まったほか、1名が負傷している。伝説によればハンブルクはカープファンガー艦長凱旋行進とともに迎え市議会彼に300ライヒスターラー(英語版)を贈ったという。 1679年スウェーデン=ブランデンブルク戦争に際してハンブルク約束していた150,000ターラー上る補助金強制的に徴収するべく、ブランデンブルク=プロイセン艦隊フリー英語版)、ヘルゴラント島およびシェトランド諸島近海哨戒していた時、「レオポルドゥス・プリムス」と「ヴァーペン・フォン・ハンブルク」を含む複数ハンブルク艦とブランデンブルク艦隊ドイツ語版)が対峙至ったどちらも戦闘準備整えて向き合ったが、ハンブルクブランデンブルク交渉であったことは誰にも分かっていたため、この対決もどうにか無事に終わっている。最終的に平和裏に、ハンブルク未払い資金納めるという合意交わされた。 1681年、カープファンガー指揮下の「レオポルドゥス・プリムス」はトルコ艦隊からスペイン白銀艦隊を救う行動参加し1686年8月にはクリスチャン5世率いデンマーク軍に対してハンブルク防戦した際、重要な貢献果たしている。この時、市議会決定によって提督府に、「レオポルドゥス・プリムス」を独自の判断基づいて投入する権利与えられのである。その出撃ブランデンブルク並びにハノーファー艦隊介入なければ、市の独立デンマークによる占領をもって終わっていたと考えられる1693年、「レオポルドゥス・プリムス」はサン・ヴィセンテ岬付近で、今度フランス私掠船襲撃された。この時には護送船団のほぼ全ての船が失われている。 1702年、「レオポルドゥス・プリムス」は当時ハンブルク保有する3隻の護衛艦の中で最古の1隻となっており、西方向けた護衛任務の間に強い嵐に遭い重大な損傷被った艦長シュレーダー引き返しイングランドファルマス港へ退避することを余儀なくされる視察の後、船大工たちは「レオポルドゥス・プリムス」に修理するだけの価値がないと見なした。シュレーダーはこのことを、配下士官たちの鑑定添えてハンブルク報告した。この艦を売却するという提案は、市議会提督府から却下され、「レオポルドゥス・プリムス」はハンブルクへと回航される。ハンブルク専門家視察の後、同艦が修理可能できるもので、彼らの一部はなお10年航海が可能であるとした。続いてレオポルドゥス・プリムス」は3,500マルク(1166ターラー)をかけて修理され1703年にはグリーンランド向けて出航している。 「レオポルドゥス・プリムス」が次の航海へ出る前の1705年3月護送船団委員会士官乗組員に、この艦が護送任務中にどのように持ちこたえたのか質問した。最も不利な証言をしたのは上等兵曹であり、 「この艦は波がない時はよく走りますが、悪天候下では走ろうとしません。」 と述べている。 何人かの専門家はなおも、「レオポルドゥス・プリムス」がイングランドへ航海実施できる考えていたが、護送船団委員会市議会との合意の下、同艦をこれ以上出航させないことにした。この決断確実に改め修理すれば必要になっていた極端に高額な費用背景下されたものであった36年経てハンブルク市初の護衛艦艦歴終わったその後、「レオポルドゥス・プリムス」については何も伝わっていない。1705年、恐らくハンブルク解体されたようである。 「レオポルドゥス・プリムス」は合計イベリア半島22回、イングランドへ3回、そして捕鯨船護衛のためグリーンランドへ9回の航海出ている。これによって同艦は、ハンブルク護衛艦として就役中に最も出動重ねたとなった32回の航海をもってこれに迫る成果挙げられたのは、「アトミラリテート・フォン・ハンブルク」のみである。どちらかと言えば、しばしば外交のために建造されハンブルク市の他の護衛艦が、これほど規模をもって本来の目的対応したことは絶えてなかった。

※この「出動と解体」の解説は、「レオポルドゥス・プリムス」の解説の一部です。
「出動と解体」を含む「レオポルドゥス・プリムス」の記事については、「レオポルドゥス・プリムス」の概要を参照ください。

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