ヴァーペン・フォン・ハンブルク_(1740年)とは? わかりやすく解説

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ヴァーペン・フォン・ハンブルク (1740年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/12 02:09 UTC 版)

ヴァーペン・フォン・ハンブルクドイツ語: Wapen von Hamburg、4代目)は1740年進水し、「護衛艦」と呼称され、ハンブルクの旗下に行動したフリゲートである。同艦はハンブルク提督府商業委員会ドイツ語版から発注され、護送船団を海外におけるハンブルクの貿易相手国まで護衛し、私掠船の襲撃から守る任を帯びた。ハンブルクの船団護衛は、この艦とともに終わりを告げた。


  1. ^ 一次史料や二次史料では、ハンブルクの護衛艦は二層の砲甲板を備える比較的大型の二層艦であった場合でもフリゲートと呼ばれることがある。しかしそれらは18世紀中盤以降に導入された、砲甲板を一つしか持たないより軽量の、非常に航洋能力に優れた新時代のフリゲートではない。17世紀と18世紀前半、「フリゲート」という呼称は多様な艦種に対して使用されており、非常に小型の一層艦から比較的大型の二層艦を含む多くの艦船がそう呼ばれる場合があったのである。
  2. ^ 商業委員会が設立される直前の1662年6月、ポルトガルへ向かうハンブルクの武装商船8隻が、バルバリア海賊のガレー船わずか2隻に鹵獲された。この私掠行為は結局、ハンブルクの商業界に150万クーラントマルクドイツ語版の経済的損失をもたらしている。
  3. ^ 市議会はその書簡の中で、これらの艦艇を折に触れて「オルロークシッフドイツ語版」、すなわち「軍艦」と呼称している。これに対し、ハンブルク提督府も商業界も対外的には、それらが商品の防衛に寄与するものであり、ハンブルクの戦争行為のために発注されたものではないと断言している。
  4. ^ 砲身を水で冷却するこの方法には、1794年頃から疑問が呈されていた。なぜなら冷却により、構造が破損する可能性があったからである。そのため初めてイギリス海軍が、砲身を冷却しない手法へ移行していった。
  5. ^ スウェーデンの大砲は品質に優れ、インフラも良好だったので、当時のハンブルク提督府は長い搬送経路を甘受する用意があった。スウェーデンの大砲は当初、品質に問題があったもののネーデルラントの技術が導入されてからは成功をおさめ、1639年以降のスウェーデンはヨーロッパでも一流の武器製造国にまで成長した。1668年には輸出を通じて1346門の大砲がスウェーデンの製造業者から出荷されている。Mondfeld/Bayerlein/Klingenbrunn, p. 170及びCipolla, p. 61と次頁を参照。
  6. ^ 他のいくつかの文献では船匠ヨーンの名も挙げられている。
  7. ^ いくつかの文献では地中海のトルコ人海賊に対する出撃としており、他の文献はイベリア半島沿岸への出動としている。
  8. ^ 当時のハンブルクにおいては、船長の職位は購入するのが一般的であった。応募者は船長職に就くため、多数の賛同者と並んで少なからぬ資金を用意しなくてはならなかった。護衛艦の艦長は150ターラーの月給を受け取っていたので、この就職活動における出費を取り戻すには一定の期間がかかる。艦長の選任は護送船団委員会が行う。護衛艦の艦長は、生涯にわたって固定の俸給と年金を受け取った。
  9. ^ ハンブルクは複数の外交用ヨットを調達したと見られる。1748年以降、まずネーデルラント様式の1本マスト艦が使用された後、ハンブルクで建造された艦が任務に使用できないと判明してから、イギリスに1隻のヨットが発注されている。それは1787年に進水し、ハンブルクの要求を満たした。


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