久野家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/11 20:23 UTC 版)
紀伊和歌山藩の御附家老は次の4家である。 紀伊田辺城主(37000石) 安藤家 紀伊新宮城主(35000石) 水野家 紀伊貴志城主(16300石) 三浦家 伊勢田丸城主(1万石) 久野家 久野宗成は「元和五年頼宣公国替之節、台徳院様(徳川秀忠)より御附人仰付けられ勢州田丸城仰付けられ候」と田丸城入城の記録がある。御附家老は、幕府での処遇は大名に準じて将軍の拝謁をも特に許されている。田丸城主の久野家は伊勢神宮への「神馬」奉納を寛永20年(1695年)から文久元年(1861年)まで計14回、内宮に行っている。また、伊勢神宮の記録も久野家を「田丸城主」と記しており、「久野田丸藩」が元和5年より明治維新まで存続したことは、以上幕府の諸記録、伊勢神宮年表からも明らかにされている。
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