久野宗晴
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久野 宗晴(くの むねはる、慶長14年(1609年) - 慶安2年6月1日(1649年7月10日)[1])は、紀州藩田丸城代家老久野家2代当主。
父は紀州藩田丸城代久野宗成。正室は山本正春の娘。子は久野宗俊。通称は外記。官位は従五位下。
経歴
慶長11年(1606年)、田丸城代久野宗成の子として生まれる。寛永2年(1625年)、父が死去する。翌寛永3年(1626年)、家督と知行1万石を相続して田丸城代となり、藩主徳川頼宣に仕える。正保3年(1646年)、従五位下に叙任、外記と通称を改める。慶安2年(1649年)、田丸城の天守が大雨で倒壊する。以後、天守が再建されることはなかった。同年に病死、享年41。家督は嫡男の宗俊が相続した。
脚注
- ^ 『田丸郷土誌 (三重県郷土資料叢書 ; 第60集)』p.83。
参考文献
- 池山始三『田丸郷土誌 (三重県郷土資料叢書 ; 第60集)』三重県郷土資料刊行会、1977年
関連項目
- 久野宗晴のページへのリンク