田丸藩
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田丸藩(たまるはん)は、伊勢国度会郡の田丸城(現在の三重県度会郡玉城町田丸字城山)を居城として、江戸時代初期に短期間存在した藩[1][2]。関ヶ原の合戦後、伊勢岩出城主・稲葉道通が加増を受け、田丸城に移って4万5700石を領したが、大坂の陣後の1616年に摂津中島藩に移封されて廃藩となった。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “田丸藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2024年6月27日閲覧。
- ^ a b 『藩と城下町の事典』, p. 376.
- ^ a b c d e “伊勢平野の特異な歴史”. 水土の礎. 一般社団法人 農業農村整備情報総合センター. 2024年6月27日閲覧。
- ^ “歴史”. 玉城町. 2024年6月27日閲覧。
- ^ 『岩出地区内遺跡群発掘調査報告』, p. 4.
- ^ “第11回企画展 牧村兵部利貞”. ハートピア安八 歴史民俗資料館. 安八町. 2024年2月11日閲覧。
- ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第六百七「稲葉」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.183。
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第六百七「稲葉」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.184。
- ^ a b c “稲葉道通”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2024年2月16日閲覧。
- ^ 『藩翰譜』巻十二下、吉川半七版『藩翰譜 第12上−12下』51/97コマ。
- ^ 笠原正夫 2010, p. 48.
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第千四百三十「久野」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第八輯』p.343。
- ^ 笠原正夫 2010, p. 50.
- ^ 笠原正夫 2010, p. 57.
- ^ 劉晨 2008, p. 41.
- ^ a b 小野佐和子 1997, p. 397.
- ^ a b c 笠原正夫 2008, p. 105.
- ^ a b c 笠原正夫 2008, p. 107.
- ^ 笠原正夫 2008, pp. 105–106.
- ^ a b c d e 笠原正夫 2008, p. 106.
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