田丸藩とは? わかりやすく解説

田丸藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/06 05:01 UTC 版)

田丸藩(たまるはん)は、伊勢国度会郡田丸城(現在の三重県度会郡玉城町田丸字城山)を居城として、江戸時代初期に短期間存在した[1][2]関ヶ原の合戦後、伊勢岩出城主・稲葉道通が加増を受け、田丸城に移って4万5700石を領したが、大坂の陣後の1616年に摂津中島藩に移封されて廃藩となった。


注釈

  1. ^ 江戸時代において1万石以上の知行を有する将軍直臣(大名)の領地・統治機構、および、明治初年の府藩県三治制のもとで知藩事に任命された旧諸侯の管轄する行政区画。
  2. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
  3. ^ ただし稲葉重通は、同時期に美濃清水城主であったとされる(清水藩参照)。重通は慶長3年(1598年)に没し、その子の稲葉通重(道通の兄)が跡を継いだ。
  4. ^ 紀州藩は伊勢国内の領地を松坂領・白子領・田丸領の3地域に分けて管轄したため、伊勢国内の紀州藩領は「伊勢三領」「勢州三領」と総称される[3][11]
  5. ^ 田丸領の管轄地の石高は、5万石とも[3]6万石とも[1]される。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 田丸藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2024年6月27日閲覧。
  2. ^ a b 『藩と城下町の事典』, p. 376.
  3. ^ a b c d e 伊勢平野の特異な歴史”. 水土の礎. 一般社団法人 農業農村整備情報総合センター. 2024年6月27日閲覧。
  4. ^ 歴史”. 玉城町. 2024年6月27日閲覧。
  5. ^ 『岩出地区内遺跡群発掘調査報告』, p. 4.
  6. ^ 第11回企画展 牧村兵部利貞”. ハートピア安八 歴史民俗資料館. 安八町. 2024年2月11日閲覧。
  7. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第六百七「稲葉」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.183
  8. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第六百七「稲葉」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.184
  9. ^ a b c 稲葉道通”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2024年2月16日閲覧。
  10. ^ 『藩翰譜』巻十二下、吉川半七版『藩翰譜 第12上−12下』51/97コマ
  11. ^ 笠原正夫 2010, p. 48.
  12. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第千四百三十「久野」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第八輯』p.343
  13. ^ 笠原正夫 2010, p. 50.
  14. ^ 笠原正夫 2010, p. 57.
  15. ^ 劉晨 2008, p. 41.
  16. ^ a b 小野佐和子 1997, p. 397.
  17. ^ a b c 笠原正夫 2008, p. 105.
  18. ^ a b c 笠原正夫 2008, p. 107.
  19. ^ 笠原正夫 2008, pp. 105–106.
  20. ^ a b c d e 笠原正夫 2008, p. 106.


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