展望台山道付近
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伊藤両村先生之碑 豊明市指定有形文化財(1977年(昭和52年)4月1日指定)。高さ138センチメートル、幅65センチメートル。伊藤両村は江戸時代後期に活躍した尾張国の儒学者である。生家は代々村の庄屋を務めた豪商で、両村も生業を継ぐかたわら沓掛中島村(現豊明市新田町付近)の地で塾を開き門弟からの信望を集めたという。両村の恩顧や偉業を称えるために門弟らが石碑の建立を計画し、1853年(嘉永6年)、二村山の麓にそれを実現する。撰文は仙台藩の漢学者で両村との交流も深かった大槻磐渓によるもので、800文字に及ぶ漢文によって両村の人となり、業績が記されている。1908年(明治41年)に山麓から現在の位置に移されている。 石川清水の句碑 石川 喜市(いしかわ きいち、1889年(明治22年)-1955年(昭和30年))は、旧豊明村公務員・村会議員で、郷土史家でもある。郷土の文化財保護と調査にいそしみ、沓掛城址の研究でも知られている。俳句にも秀でており、俳号を「清水(せいすい)」と称して後進を指導した。句碑は、石川の死去後、門人らが追善として1956年(昭和31年)3月に建立したものである。 加藤竹翠の句碑 加藤 繁市(かとう しげいち、1901年(明治34年)-1990年(平成2年))は、豊明市の俳人である。碧海郡野田村(現刈谷市)の久野家に生まれ、後に豊明村の加藤家に入り、俳号を「竹翠(ちくすい)」と称して俳句や連句の指導につとめる。宮中への献納俳句には7回の入選を果たしており、後年には文化協会名誉会長に推挙されている。句碑は、門人らが1957年(昭和32年)3月に建立したものである。源頼朝の歌碑建立の際には揮毫も担当している。 伊藤両村先生之碑(2012年(平成24年)6月) 石川清水の句碑(2012年(平成24年)5月) 加藤竹翠の句碑(2012年(平成24年)5月)
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