久野久らによる箱根火山の研究
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「箱根火山の形成史」の記事における「久野久らによる箱根火山の研究」の解説
箱根火山の研究は日本に近代的な科学が紹介された明治時代に始まった。研究開始当初から箱根火山はカルデラを持ち、またカルデラ内に中央火口丘があることについて着目され、外輪山の活動期と中央火口丘の活動期の二期に分けられると考えられたが、多くの研究者は複雑な構造をしている箱根火山の理解、特に頂上部分が比較的平坦である南東部の鷹巣山や屏風山、浅間山などについて、箱根火山の中でどのように位置づければ良いのか苦心した。 そのような中、1930年代から1960年代にかけて行われた、久野久による研究が大きな成果を挙げた。久野は1923年の 関東地震と1930年の北伊豆地震によって山崩れが多発した影響で、箱根に多くの地層の露頭が出来た時期、詳細な地質調査を行い、丹念な分析と考察を進めた結果、当時としては極めて優れた箱根火山の研究を発表し、その成果は広く受け入れられ、日本の火山学研究の模範とされた。 久野によればまず、約50万年前から25万年前にかけて、現在の箱根火山の場所には単一の大きな、富士山のような形をした成層火山が出来たとした。久野の没後、1971年になされた推定では、単一の成層火山時代、箱根火山の標高は約2700メートルに達したと考えられた。また成層火山の形成時、山体の北西部では側火山として金時山が、南東部では幕山の噴火活動が起こった。 約25万年前から18万年前にかけて、マグマだまりに火山体上部が落ち込む大陥没を起こし、大きなカルデラが形成された。この時に生まれたカルデラを古期カルデラと呼び、久野は当初、噴火活動以外の理由で大陥没が起こったと考えたが、やがて大規模な噴火があった事実が判明したため、大規模な噴火に伴ってカルデラが形成されたと自説を修正した。そして大規模なカルデラが出来た後、侵食によってカルデラは拡大して、現在の箱根外輪山が出来上がった。 カルデラの形成後、約13万年前から8万年前にかけて、再び噴火活動が活発化し、カルデラ内に流動性に富む溶岩が噴出して、傾斜が緩い南東部の鷹巣山や屏風山、浅間山などの楯状火山が出来た。 約6.6万年前から4.5万年前にかけて、大噴火によって楯状火山の西半分が陥没して新期カルデラが誕生した。残された東側の楯状火山は新期外輪山となった。 最後にカルデラ内部の噴火活動によって、神山などの小規模な成層火山と 二子山などの溶岩円頂丘による中央火口丘が誕生して現在に至る。
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