各楽章について
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「ピアノ五重奏曲第1番 (フォーレ)」の記事における「各楽章について」の解説
第1楽章はフォーレの音楽でもっとも感覚的な美しさを持ち、その雰囲気は終わりまで持続する。とくに冒頭部分は、フォーレの室内楽作品の中でもとりわけ美しいものの一つに数えられ、丸山によれば、第1楽章の第1主題はフォーレの全室内楽作品中でももっとも官能的に響く。 第2楽章は、第1楽章とは対照的に単一性が重んじられている。クライトンによれば、「人間の深い感情が確かな腕に支えられて、高揚された次元で歌われる」。また、拡大されたコーダの見事さも特筆される。丸山は、「(第2楽章に)あふれる悲愁は、フォーレの失われてゆく聴覚を惜しむ気持ちの表れか。この透明な音の果てにひそんだ情感こそ、音楽の至高な領域に根ざすものだ」と称賛している。 第3楽章は「明るく、しかし節度を失うことのない、簡潔かつ自由な終曲」(平島)である。内面的な感情を表した二つの楽章のあとに、開放感に満たされた民衆的な楽想が繰り広げられる。 この終曲についてクライトンは、速度がモデラートでスケールの大きい先行楽章に見合うようなスケルツォとフィナーレを考えることは明らかに困難であること、第1主題を除くとこの楽章の他の素材はあまり面白くなく、鋭い対照にも欠け、音楽全体をわずかにぼやけたものにしているとして、「すべての批評家の気に入るものではない」と述べる。 しかしネクトゥーは、「この終曲における作曲者の見事な手腕は、そのバランス感覚と形式面における創造性の点で、師サン=サーンスの影響を思わせるが、やがてそれはフォーレの弟子ラヴェルに受け継がれてゆくのである。すべては理にかなって書かれており、作曲者の確かな手応えが感じられる。マルセル・プルーストの言う、《火の神のなせるわざ》なのである。」と擁護している。 なお、フォーレはこの楽章の第1主題について、ベートーヴェンの交響曲第9番のフィナーレに似ていることを気にしていたが、この二つの主題に共通性はほとんど見いだせない。クライトンは、現代の人間はむしろセザール・フランクのヴァイオリンソナタを思い出すとしている。
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各楽章について
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「ピアノ四重奏曲第1番 (フォーレ)」の記事における「各楽章について」の解説
第1楽章は厳格なソナタのアレグロ楽章のスタイルを踏襲しており、旋律の豊富さ、ピアノと弦のための力強い、よく響く書法の魅力がうかがえる。 第2楽章は、19世紀の最も魅力的なスケルツォのひとつである。この楽章について、「このスケルツォは空気のように軽く、フォーレの確かな均衡感覚の上に組み込まれている」(クライトン)、「フランスのクラヴサン音楽家のセレナードを連想させる」(ネクトゥー)、「ほのかな憂愁を交えた典雅で爽やかなエロティスム。エアリアルの軽やかな飛翔。主題はロココ風のまろやかなふくらみを描く」(平島)などの形容がなされている。 また、ドビュッシーの弦楽四重奏曲のスケルツォ楽章を予告している点で、この作品はヴァイオリンソナタ第1番のスケルツォと対をなしている。 第3楽章は、フォーレの作品では稀にしか見られないアダージョ楽章であり、この楽章に見られる悲痛な表現から、マリアンヌ・ヴィアルドとの婚約破棄がこの曲に影を落としていると思われてきた。例えば、フランスの哲学者ウラジミール・ジャンケレヴィッチは、マリアンヌとの婚約解消の直後にこのアダージョ楽章とチェロとピアノのための『エレジー』(作品24。いずれもハ短調)が書かれたとしている。しかしフランスのフォーレ研究家ジャン=ミシェル・ネクトゥーは、フォーレはその生涯を通じて創作と生活を別次元で捉えていたとし、この四重奏曲の大半は1876年に作られたもので、マリアンヌとの婚約はその1年後の出来事だと指摘している。 第4楽章は、若々しく生命感と力強さにあふれる。ネクトゥーはこの楽章について、アルペジオによるうねるような楽想はブラームスのピアノ三重奏曲第3番(1886年)を思わせるとする。
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「ピアノ四重奏曲第2番 (フォーレ)」の記事における「各楽章について」の解説
第1楽章の雰囲気は暗く、あふれるエネルギーを弦の低音部が支えている。ジャンケレヴィッチは、とくに第1楽章再現部の転調の素晴らしさについて言及しており、「ロ音がロ長調の主音からト長調の上中音となってト長調へと転調する。さらにト長調の主音であるト音が変ホ長調の上中音、ロ長調の主和音で上中音だった嬰二音が異名同音である変ホ音に読み替えられて変ホ長調に移行する。卓越した手法が見られる。」とする。 第2楽章は「風に逆巻く、目もくらむような一種のスケルツォ」であり、幻想的ともいえる熱に浮かされたような曲調は、フォーレの作品中でも異色のものといえる。 第3楽章について、ネクトゥーは「全楽章を通じてもっとも素晴らしい楽章であり、フォーレ特有のメランコリーと美意識に彩られた心静かな雰囲気が前面に押し出されており、黄昏時の静寂感が伝わってくる。」、「心地よい微風と夢見るような空気、音楽は素晴らしい沈黙の中で響き渡るのだ。」と述べている。『クラシック音楽史大系7 ロシアとフランスの音楽』でフォーレの項を担当したロナルド・クライトンは、「ト短調四重奏曲の栄光は、アダージョ・ノン・トロッポの緩徐楽章で、(中略)ヴィオラの主題はヴォーン・ウィリアムズの沈思を思わせる。楽章は長いが、魅力は最後まで変わらない」、矢代もまた「やや冗長ながらきわめて美しく、もっとも独創的な部分」と賛辞を寄せている。 フォーレは自作の解説をほとんど残していないが、この第3楽章については例外的に、幼いころアリエージュ県フォワ近郊にあるモンゴジの渓谷で聞いた微かな鐘の音の思い出によるものだと、1906年9月11日付の妻宛の手紙に書いている。 「ピアノ四重奏曲第2番のアンダンテの中で、私はほとんど無意識のうちに、モンゴジで夕暮れに聞いた微かな鐘の音の思い出を音に描いたことを覚えている。西風が吹いてきたとき、私たちはカディラックという村にいた。ざわめきとともに、いつもと同じようなぼんやりとした、言葉では言い表せないような空想が湧き起こった。不明瞭な考えのもとでは、このように外部の出来事が私たちの感覚を往々にして鈍らせることがある。もっとも実際には、あれは考えというよりも、自らを満足させる何らかのものに他ならないのだが……。存在しないものへの願望は、おそらく音楽の領域に属するものなのであろう。」 — 1906年9月11日付、妻マリーに宛てたフォーレの手紙 とはいえ、絵画的な描写はフォーレの持ち味ではなく、この部分においても音楽は非具象的で、生まれ故郷のかすかな追憶の跡が認められる程度のものである。 第4楽章は、明快さとエネルギッシュなリズムを特徴とする。その一方で、クライトンやネクトゥーはこの楽章の重厚さや入念なタッチ、冒頭のピアノのオクターヴについて「ブラームス的」とし、矢代は主題の構成要素が並列的な点についてシューベルトやシューマンの影響を指摘している。
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「ピアノ五重奏曲第2番 (フォーレ)」の記事における「各楽章について」の解説
第1楽章は簡素なソナタ形式である。平島は、この曲では第2期の室内楽作品のように展開部に新しい楽想を置かず、総体としていっそう簡潔・緊密でありながら、生気に富んだ大きさを感じさせるのは、晩年のフォーレの内的な豊かさと知性の高さの現れとしている。 第2楽章は、フォーレのもっとも斬新な曲の一つであり、ネクトゥーは「ほとんど風のように吹き抜けるこの熱狂的なスケルツォには一種異様な雰囲気が漂っている」とする。クライトンは、このスケルツォはヴェルディのオペラ『ファルスタッフ』を想起させると述べている。また、フランスの哲学者ウラジミール・ジャンケレヴィッチは、即興曲第5番(作品102)に見られる「無限の流動性」がこの楽章やチェロソナタ第2番やピアノ三重奏曲の終楽章など後期の作品で姿を変えて現れていると指摘している。 高貴な第3楽章は第1楽章とともに、この曲中もっとも優れた部分である。ネクトゥーは、フォーレがかつて作曲した『ペレアスとメリザンド』に登場する年老いたアルケルになぞらえて、この楽章では「目に映るものすべての悲しみ」が歌われていると述べる。また、開始部分について「秘教的で、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲のあるページを連想させる」(平島)、続く第1主題の推移について「形容しがたいほど美しい」(矢代)、「ピアノと弦の間で限りなく優しい表情を持った対話が交わされる」(ネクトゥー)などと評されている。 第4楽章はロンド形式で、ネクトゥーによれば「ハ短調にもかかわらず喜びに満ちた曲」であり、フォーレの滑らかな筆遣いの跡が認められる。平島は「第1番の終曲を思わせる進展だが、もっと規模が大きく複雑で、毅(つよ)く、切迫感がある。」と述べており、ネクトゥーも「奇妙なことに、歳をとってからの作品の方が、より多くの生命力と軽やかさ、そして喜びを、より素朴な形で表現している。ピアノは終始舞踏のリズムを保持し、アクセントをつけ、テンポの移り変わりを見守りながら、2つの主題からなるロンド形式に見事な統一感を与えている。リズムと変化してゆく光のめまぐるしい饗宴。」と賛辞を贈っている。 一方で矢代は「ケクランは、フォーレがいつもフィナーレにおいて失敗しているといっているが、このフィナーレも前の3楽章があまりにも素晴らしいためか、やや聞き劣りがするように思える。」としている。
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各楽章について
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「ピアノ三重奏曲 (フォーレ)」の記事における「各楽章について」の解説
最初の二つの楽章は比較的穏やかで、淡彩の絵にも似た哀調を帯びている。 第1楽章は明快な書法と分かりやすい形式を持つ。ベルギーの音楽研究家ハリー・ハルブライヒ(en:Harry Halbreich)はこの第1楽章について、「地上的な一切の情熱から遠い、澄み渡った明るさ」と評している。またネクトゥーは、「フォーレの作品中でも透明感において群を抜いており、言葉では言い表し得ないほどの優しさを秘めた輝きに満ちている」とする。 第2楽章は歌謡的な緩徐楽章であり、主題間の対比や結合に精緻な工夫が認められる。とくにこの楽章の美しさについては、「並外れて美しい第1主題」(クライトン)、「至上の美しさ」、「フォーレのもっとも純粋な霊感のひらめき」、「弦楽器が奏でる恋人同士のような語らいは、この世のものとは思えない」(いずれもネクトゥー)、「高雅な抒情味がくまなく全体に及んで香り立つ、魅惑的な音楽」(平島)といった賛辞が寄せられている。 第3楽章は、活気にあふれたスケルツォによる終曲である。これについては、後の弦楽四重奏曲に関するフォーレの口述として「(弦楽四重奏曲の)第3楽章では、私のピアノ三重奏曲を思わせるような、スケルツォ風の軽快で楽しい気分を強調すべきです。」という言葉が残されている。 フォーレの室内楽作品の終楽章としてもとくに優れており、「終楽章は、ピアノ五重奏曲第1番よりも成功している。」(クライトン)、「創意面でも手堅い手法の面でも、チェロソナタ第2番の驚異的な終楽章をはるかに上回っている。」(ネクトゥー)など、高い評価がなされている。 楽章冒頭のヴァイオリンとチェロによるオクターヴ・ユニゾン音型については、イタリアの作曲家レオンカヴァッロ(1857年 - 1919年)のオペラ『道化師』(1892年)で歌われるカニオのアリア「衣装を着けろ」の中の「さらば歌え、道化師(パリアッチ)よ」との類似がしばしば指摘されている。これについてフォーレの長男エマニュエルは、あくまでも偶然によるものであり、フォーレ自らはそのような指摘を快く思っていなかったと伝えている。 とはいえ、「フォーレはイタリアのヴェリズモ・オペラを嫌っていたことを考えると、ここには皮肉が含まれているかもしれない」(クライトン)、「もし77歳のフォーレが意識して引用したのだとすると、導入部での呼びかけに潜む粗野な暗さが、コーダで洗い落とされていると思われる。」(平島)といった論考もなされている。
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「ヴァイオリンソナタ第2番 (フォーレ)」の記事における「各楽章について」の解説
第1楽章は同じく1916年に書かれた夜想曲第12番と同じホ短調であり、共通した暗い雰囲気を持つ。ここに見られる激しいリズムや緊張した和声、ピアノのオクターヴ音程やヴァイオリンの反復音は、曲が書かれた第一次世界大戦下の悲劇的な状況を思わせる。 第2楽章は哀愁を帯びたイ長調で書かれており、これはヴァイオリンソナタ第1番と同じ調性でもある。次男フィリップによれば、この楽章の中心主題は30年前に書かれた交響曲ニ短調(作品40)の緩徐楽章として使われたものである。晩年の様式の中に若々しさや純粋さが再び姿を現しており、フォーレの作品中でもっとも心の琴線に触れるもののひとつとなっている。 第3楽章は、フォーレが室内楽曲の終楽章で好んで用いたロンドソナタ形式によっている。加えて、第1楽章に続けて書かれたこの楽章では、第1楽章の主題が再現する循環形式が取り入れられている。ネクトゥーは、これについて、おそらくはフォーレが慣れ親しんでいたロベルト・シューマンのヴァイオリンソナタ第1番(作品105)から想を得たものとする。なお、数ヶ月後にドビュッシーが完成させたヴァイオリンソナタでも循環形式が採用されているが、ネクトゥーは「偶然の一致にすぎない」とする。
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「弦楽四重奏曲 (フォーレ)」の記事における「各楽章について」の解説
第1楽章は、自由なソナタ形式により、きわめて簡潔かつ対位法的に書かれている。 ヴィオラと第1ヴァイオリンの対話で開始される第1主題は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番(作品135)の第4楽章の冒頭を連想させる。この主題を含め、楽章を構成する二つの中心主題は、1878年から1879年にかけて書かれたものの出版されなかったフォーレのヴァイオリン協奏曲(作品14)の第1楽章アレグロから転用されたものである。フォーレによる、このような過去の未出版作品からの再利用としては、同じヴァイオリン協奏曲のアンダンテ楽章からの『ヴァイオリンとピアノのためのアンダンテ変ロ長調』(作品75、1897年出版)や、交響曲ニ短調(1894年)からのチェロソナタ第1番(作品109、1917年)第1楽章の冒頭部分、同交響曲のアンダンテ楽章の主要主題がヴァイオリンソナタ第2番(作品108、1917年)のアンダンテ楽章に使われた例がある。 第2楽章は、ネクトゥーによれば、徹頭徹尾超自然的な光に満たされた音楽である。ネクトゥーは、豊かな旋律のひらめき、独創的な形式、緊密なポリフォニック書法、透明感などにおいて、この楽章は同作品中でも最高峰をなすという評価を与えており、平島もまた「抒情家フォーレの本領を表す緩徐楽章のなかでもとくに美しいページに数えられる音楽」として、「昂揚と鎮静を微妙に交替させながらよどみなく流れてゆく高貴で濃密な持続は、多彩な主題的要素を包み込んで、内奥に詩的感情の純一な自己同一性を保っている。」と述べる。 第3楽章は、前作ピアノ三重奏曲(作品120、1923年)の終曲と同様に、スケルツォとロンドの性格を兼ね備えるが、より力強い音楽となっている。この楽章では、和声の反復進行と中心動機の3連符のリズムが多用され、最後はホ長調の激しい歓喜に至る。ネクトゥーは、民衆的な喜びに輝くこの終曲は何度も注意深く聴くことが要求される前の二つの楽章とは違い、ただちに記憶に止まる曲であり、ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏曲を想起させると述べている。 またネクトゥーは、この楽章全体を通じて、リズムと伴奏部分とが主題の要素と同等の価値を持っていることに注目すべきとする。この伴奏のピッチカート音型について、クライトンは、チェロソナタ第1番の第1楽章や歌曲集『幻影』(作品113、1919年)の終曲「踊り子」のピアノ伴奏と共通した「非情な要素」を持っていると指摘する。クライトンは同時に、「この並外れた終楽章はフォーレの死を予想させるものはなにもなく、創作力の衰えも感じられない。フォーレの健康が衰えなかったとしたら、室内楽の見事な収穫は、なお続いたと考えて良さそうである。」と述べている。 ジャンケレヴィッチはこの終曲について、「彼(フォーレ)の人生は『熱情』ではなく、一つのゲームとも冗談とも取れるようなフィナーレで終わっている。」としながら、フォーレの作品中における特徴の一つである高雅なソステヌートが見られ、「威厳に満ちたリズムと調和しているかのようであり、まさに彼の安らぎにふさわしい様相を呈している。」と述べている。
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