エンジン・トランスミッション
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「フォルクスワーゲン・ポロGTI」の記事における「エンジン・トランスミッション」の解説
エンジンは、1.8L 直列4気筒 DOHC 5バルブ インタークーラー付ターボエンジンを搭載。出力150PS、トルク22.4kgmというスペックを発生させる。速度100km/hに至るまでに要する時間は約8.2秒である。 トランスミッションは、5速MTのみ設定された。
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エンジン・トランスミッション
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「ポルシェ・997」の記事における「エンジン・トランスミッション」の解説
カレラのエンジンはクランクの捩れ吸収ダンパーがアルミニウム製になった程度の微細な変更で、996型カレラのエンジンがほぼそのまま搭載された(前期型)。出力も5馬力増の325馬力であった。カレラSのエンジンはカレラをベースに内径が3mm拡大されて排気量は3.8Lとなり2段階切り替え式のレゾナンスチャンバーの設置もあり出力は355馬力となった。トランスミッションは、6速MTと5速ティプトロニックSAT(後期型では7速PDK)が用意された。6速マニュアルトランスミッションはアイシン・エーアイ製が採用され、ギヤのシンクロリングが996型の真鍮製からスチール製に変更され、1-2速がトリプルコーン(996ではダブルコーン)、3速がダブルコーン(996ではシングル)となった。シフトもショートシフト化され、支点やリンクケーブルの変更など細かい改善がなされている。スポーツシャシオプションを選択すると、スプリングとスタビライザーが硬いものに変更され車高も2cmダウンする。
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エンジン・トランスミッション
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「トヨタ・XS10」の記事における「エンジン・トランスミッション」の解説
エンジンはコンフォート教習車のみ4S-FE(1,800cc)・3S-FE(2,000cc)のガソリンエンジンおよびディーゼルターボの2L-TE(2,400cc)の設定があった他は基本的にLPGエンジンの3Y-PE(2,000cc)であった。直6の1G-PEおよび1G-GPEはクラウンコンフォートおよびクラウンセダンのみの設定であったがクラウンコンフォートはスーパーデラックス以上の廃止により、クラウンセダンはマイルドハイブリッドの廃止により消滅。 2007年に先行してコンフォート教習車のガソリンエンジンが1TR-FE(2,000cc)に変更されたのを皮切りに2008年にLPGエンジンも1TR-FPE(2,000cc)に変更され、燃料のインジェクション化およびエンジンヘッドのDOHC化がなされた。 トランスミッションはフロア式5速MT(コンフォート)とコラム式4速MT(クラウンコンフォート)、コラム式4速AT(クラウンコンフォート)およびフロア式4速ATを設定(このうちコラム式は2007年に廃止)。XS10系の中でガソリンエンジンとMTの組み合わせがあるのはコンフォート教習車だけである。
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エンジン・トランスミッション
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「スバル・1000」の記事における「エンジン・トランスミッション」の解説
現在の富士重工業が謳う「シンメトリカルAWD」の始祖(ルーツ)といえる、この水平対向エンジンを核とした、左右対称レイアウトの採用は、3,900mmの全長に2,400mmというロングホイールベースを採用することによる広い室内空間の確保と、FF方式の採用のためにエンジン全長を短くする必然から生まれた。 フロントエンジン・リアドライブ(FR)方式について百瀬はこう述べている。 「P-1でFRをやったが、そのときに感じたのはいかにも非合理的なパワートレーンだということだ。駆動力をフロントのエンジンからプロペラシャフトでリアデフに持っていき、さらにドライブシャフトを経てタイヤに伝えるという駆動経路の長さ。しかも長いプロペラシャフトはやっかいな振動源にほかならない。人を乗せるための乗用車に採用する合理性はない。それに対してRRやFFは、部品点数が少なく、乗員のためのスペースを圧迫することのない、合理的な駆動方式だ」 スバル・360でリアエンジン・リアドライブ (RR) 方式の採用により、わずか3.0mという全長の制約の中で大人4人が無理なく移動できる革新的なパッケージングを構築した当時の富士重工業の技術陣は、スバル・1000の開発にあたり、一転して当時まだ世界的にも採用例が少なかったFF方式の採用を決定したのである。もちろん、FF方式の採用には、当時の乗用車・軽自動車の一般的な駆動方式だったFR・RR方式では、1964年東京オリンピック以来の、大規模な全国的高速道路網の拡大の「高速時代」に、直進性、横風安定性などの操縦安定性で十分な性能が得られないという判断もあったといわれている。 こうして先に決定された室内スペース・駆動方式のために、スバル・360に引き続き、エンジンに割り当てられるスペースは非常に限られたものとなった。しかし、当時の富士重工業の技術陣は、1959年発売のミニのように、狭いスペースの中に横置き直列エンジンの下にトランスミッションを詰め込むメカニカル・パッケージではなく、よりメカニカルロスが少なく、よりコンパクトなエンジン・トランスミッション構成を目指した。そのため、本質的に低重心で全長が短く、直列エンジンと比較して優れた回転バランスを有し、なおかつ「A-5」以来の技術的蓄積のある水平対向エンジンの採用につながった。当時エンジン開発を担当した山川徹は当時を回想して「水平対向なら入る」と直感的に思ったという。 また水冷方式の採用については、「A-5」計画の空冷水平対向エンジンがオーバーヒートに悩まされたためだといわれている。 スバル・1000の「EA52」型エンジンは、軽量化とフロントオーバーハング部への搭載による操縦性の悪化を防ぐために、シリンダー・ブロック、シリンダー・ヘッドはアルミ合金鋳造製とされ、エンジン重量は乾燥重量でわずか75kgと、非常に軽量に仕上げられている。 冷却方式には「デュアルラジエーター」と呼ばれるシステムを採用。これは従来のエンジンのような冷却ファンを持たず、メインとサブの二つのラジエーター、それに小型電動ファンで構成され、低温時はサブラジエーターのみが作動し、高温になるとメインラジエーターも合わせて作動、さらに高温になった場合、電動ファンが作動してサブラジエーターの強制冷却を開始するため、クランクシャフト先端に冷却ファンを持つ、当時の一般的な4サイクルエンジンの宿命だったパワーロスがなく、しかも軽量で静粛性に優れた冷却システムとなった。また、サブラジエーターをヒーターの熱源として利用するため、1,500~2,000ccクラスの乗用車に匹敵するヒーターがスタンダードモデルまで標準装備となっていた。 縦置きのトランスミッションは、ドライブシャフト長を左右等長かつ可能な限り長く取ることで、ロールセンターの最適化による良好な走行安定性と乗り心地を両立させるという、スバル・360と同じ設計思想に基づいており、開発期間を通じ最適な等速ジョイントが得られなかったことから、ジョイントの不等速性から発生する振動の軽減も狙ったといわれている。 また、ブレーキを一般的なホイール内からトランスミッション側に移動して、キングピンとタイヤの中央線を一致させた「センター・ピボット式ステアリング」の採用については、フロント・アクスルが、駆動と操舵というふたつの役割を受け持つために、それまでの前輪駆動では少なくなりがちだった前輪の操舵角を増大させる意図があったといわれる。 スバル・1000の開発陣は、ジョイントの不等速性から発生する振動や耐久性の問題を解決するため、インボード側の伸縮可能な等速ジョイントの開発に「63-A」計画の初期から取り組んでいたが、その実用化には開発の最終段階に至ってもなかなか目途が立たなかった。 自動車用のドライブシャフト用ジョイントとしては、すでに「十字継手」として広く使用されていたが不等速性のある「カルダン・ジョイント」、戦前より「シトロエン・トラクシオンアヴァン」などの高級車や一部のレーシングカーに用いられていたものの、構造上、主に耐久性に問題を抱えていた「トラクタ・ジョイント」、戦前、アメリカの高級車「コード・L-29」やレーシングカーに用いられたものの高度な工作精度が要求されるため、主にコストの面から普及が進まなかった「ワイス・ジョイント」、「ツェッパ・ジョイント」などがあり、1959年には、イギリスの「ミニ」に「C.V.J(コンスタント・ベロシティ・ジョイント)」が採用され、不等速性の問題はほぼ解決されたが、サスペンションのストローク時、前輪駆動軸に大舵角を与えた際のドライブシャフトの全長変化の問題から、依然としてその耐久性に課題を抱えていた。日本でも、戦後、スズキ・スズライトや日野・コンマースなどの国産FF車が登場していたものの、いずれも「カルダン・ジョイント」の派生型である「L型ジョイント」を採用しており、ジョイントの不等速性から発生する振動や、ジョイント自体の耐久性に問題を抱え、FF方式の普及の障害になっていた。 だがスバル・1000発売直前の1965年、富士重工業に協力してにジョイント開発を進めていた東洋ベアリング(現:NTN)が、バーフィールド社の原案に基づき、画期的な伸縮可能なジョイント、「D.O.J(ダブル・オフセット・ジョイント)」の実用化に成功。「センター・ピボット式ステアリング」の採用と相まって、従来のFF車の常識を覆す、滑らかで正確な操縦性と耐久性、さらに製造にかかるコストの問題を解決した。 1970年代後半から始まった世界的な小型車FF化の流れは、その多くが横置き直列エンジンレイアウトを採用しており、かつ、スバル・1000以降に登場した世界のFF車が、ほぼ例外なくインボード側「D.O.J」、アウトボード側「C.V.J」というジョイント方式を採用していることから「D.O.J(ダブル・オフセット・ジョイント)」の実用化がなければ、左右不等長のドライブシャフト長によるFF化は不可能だったといっても過言ではない。 さらにスバル・360に引き続く四輪独立懸架の採用とあわせ、優れた乗り心地とロードホールディングを実現。FF方式ならではの直進安定性と操縦性、水平対向エンジンをはじめとする斬新なメカニズムは、当時の自動車雑誌等からも絶賛された。 スバル・1000のトランスミッション後端から後輪駆動用のプロペラシャフトとリヤアクスルを追加することにより、容易にAWD化が可能であることは、スバル・1000開発過程ですでに話題に上っていたが、スバル・1000開発当時は、まだ乗用車タイプAWDの商品化は時期尚早ということで大きな議論にはならなかったという。 しかし1970年、東北電力からの現場巡回用車輌の共同開発の申し出が発端となり、1971年、1ディーラーである宮城スバルがスバル・1000バンをベースに日産・ブルーバード(510型)のリヤデフを組み合わせてAWD化した試作車を製作。関係者の間で非常に好評だったことから、1971年3月から富士重工業・群馬試作所で生産化に向けてのテストが開始され、1971年秋の東京モーターショー商用車館にスバル・ff-1 1300Gバン 4WDとして参考出品され、注目を集めた。 当時スバル・ff-1 1300Gは新型車「レオーネ」へのモデルチェンジを控えていたため、スバル・ff-1 1300Gバン4WDはパイロットモデルとして、1972年3月から合計8台が生産・納入されたに留まった。 「EA型」水平対向エンジンは、1965年のスバル・1000の登場から1989年のレガシィに搭載された「EJ型」エンジンの登場以降1992年まで、排気量アップを繰り返しながら「レオーネ」に搭載され続け、最終的に1,781ccにまで成長。実に26年もの命脈を保った。 片側2気筒のみのシリンダーブロック配置は、1970年代のアメリカの「マスキー法」に端を発する、世界的な排気ガス規制の流れでも有利に働き、昭和51年度排気ガス規制では、三元触媒、EGRなどの装着なしでクリア 短いエンジン全長と低いエンジン高は1968年のアメリカにおける米国連邦自動車安全基準(FMVSS:Federal Motor Vehicle Safety Standards)の制定以降厳しくなっていく前面衝突基準でもアドバンテージとなった さらに世界初の本格的量産乗用車ベースAWDの発売から、現在のシンメトリカルAWD技術の確立まで、富士重工業の自動車メーカーとしての方向性を決定付けた傑作といえる。しかし、スバル・1000の拡大キャパシティを備えた、優れた素質が、円安に依存したアメリカ市場への過度の依存を招き、富士重工業内部の組織の硬直化が、1985年の「プラザ合意」以降の急激な円高以降、対応の迷走から倒産の危機が公然と報道されるほどの状況にまで繋がったのではないかという指摘もある。
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