先天性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 01:28 UTC 版)
哲学における先天性
哲学、とりわけ認識論においては、ある精神の能力や趨向、認識の内容やその形式の存在可能性などが、生まれつきか後天的かという議論が存在する。
哲学においては、人間の精神は先天的に、ある原型的な構造あるいは枠組みを持っており、経験や知識がこの枠組みのなかに分類されて収められ、有機的な連関構造が築かれるときに認識が成立するという考えと、人間の認識は単純な知覚等の複合による後天的な構造構成から成立するとする二つの主要な考えがある。
前者はイマヌエル・カントが代表する「超越論的な(先験的な、transzendental )認識論」であり、後者はデイヴィッド・ヒュームなどが代表する「経験主義の認識論」であると云える。
ア・プリオリとア・ポステリオリ
「ア・プリオリ」はラテン語で、「の前に(a priori)」を意味する言葉から来た哲学用語で、「ア・ポステリオリ」すなわち「の後に(a posteriori)」を意味する用語の対語である。ア・プリオリを日本語に訳して「先天的」とか「先験的」とか云う(カントの哲学で云う「先験的」は、a prori のことではなく、「超越論的」とも云う)。これに対し、ア・ポステリオリは日本語に訳すと、「後天的」または「経験的」と云う。「ア・プリオリな認識」あるいは「ア・プリオリな知識」という風な形で使う。「ア・プリオリ」とは人間の主体にとって、経験に先立ってすでにその精神のなかに含まれている何かを言う。それは経験しないで知っている認識内容であったり知識であったりする。
古代ギリシアの哲学者であるプラトーンはイデア説を主張し、人間はこの「事物の世界」(Reich der Dinge)に生まれて来る前には、イデア界にその魂が存在したのであり、人間の魂にはイデア界で知った知識が含まれていると主張した。これは、「この世=事物の世界」での経験を積む前にすでに知っている知識であり、先天的な知識と云うことになる。プラトーンは、数学に関する知識が純粋論理的な知識であり、人間は経験で学習しなくとも数学的な真理をみずからの純粋思考で導入できるとし、これがイデア界に魂がかつて存在した証明であるともした。
西欧近世のドイツ観念論哲学の代表的哲学者であるイマヌエル・カントは、ア・プリオリな知識や認識は存在するとし、これをプラトーンと同様に数学の真理に関する人間の認識力・知識に求めた。数学の公理や定理、そして論理学の規則は、人間がこの世での経験を通じて学習し見出した知識ではなく、経験の前に、すなわち先天的(ア・プリオリ)に主体が知っている知識である。カントの超越論的認識論におけるこの「先天的な知識」は、厳密に云えば、生物学的に人間個人が「生まれる前から」持っている知識という意味ではない。
しかし、言語や思考、論理の原型的な構造が、生まれる前から人間の精神には備わっているという現代の発達心理学や言語学の知見から云えば、カントのア・プリオリな認識や知識は、言語や論理の生成的な先天的な構造の存在と同じことを示唆していることにもなる。
先天性と同じ種類の言葉
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