過去の主なトラブル
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「玄海原子力発電所」の記事における「過去の主なトラブル」の解説
1998年(平成10年)1月20日 - 3号機定期検査中、燃料集合体シッピング検査の結果、1体に漏洩を発見 7月18日 - 1号機で定格出力運転中、復水器細管漏洩により出力低下 1999年(平成11年)3月31日 - 2号機定期検査中、蒸気発生器伝熱管の渦流探傷検査の結果、管板拡管部に有意な信号指示を発見 2008年(平成20年)6月20日 - 4号機の冷却水圧に異常を検知したため自動停止 2010年(平成22年)12月9日 - 3号機の1次冷却水のヨウ素濃度がこれまでの平均値の4倍に上昇。燃料棒に穴が生じ放射性物質の漏洩が確認される。同年12月11日より第13回定期検査を前倒して実施し、2018年(平成30年)まで3号機が運転停止された 2011年(平成23年)10月4日 - 4号機で、タービンを回転させた蒸気を水に戻す復水器の異常を示す信号を検知し、自動停止 2011年12月16日 - 3号機で放射性物質を含む冷却水約1.8トンが漏れた。
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過去の主なトラブル
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「フォルスマルク原子力発電所」の記事における「過去の主なトラブル」の解説
2006年7月25日:電気的トラブルで停止。国際原子力事象評価尺度(INES)のレベル2。
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過去の主なトラブル
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1999年(平成11年)、3号機に使用予定だったMOX燃料ペレットにデータ改ざんが発覚した(詳しくは原子力発電の事故隠し・データ改ざん一覧を参照)。
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過去の主なトラブル
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「デービス・ベッセ原子力発電所」の記事における「過去の主なトラブル」の解説
2002年3月の検査で原子炉圧力容器の6.5インチ(約165mm)肉厚の上蓋が腐食貫通寸前となっていたことが発見された。ノズルの割れによって漏れ出した一次冷却水中のホウ酸による腐食で圧力容器の表面20-30平方インチ(約130-190cm2)の炭素鋼部分が失われ、クラッド材のステンレス鋼のみが残っている状態であった。仮に一次冷却水が格納容器内に漏れ出すことがあれば非常用炉心冷却装置の作動が必要となるところであった。本事象は2005年にNRCによって原子力災害に至る可能性のある事象(スリーマイル島原子力発電所事故は含まない)の第10位に位置するとされた。国際原子力事象評価尺度(INES)はレベル3。
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過去の主なトラブル
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1973年3月(日付不明)美浜1号機において第三領域の核燃料棒が折損する事故が発生した。しかしこの事故は当初外部には明らかにされず、関西電力は秘密裏に核燃料集合体を交換しただけであった。 この事故が明らかになったのは、当時、雑誌『展望』に「原子力戦争」(講談社文庫に収録)を連載していた田原総一朗に宛てて内部告発があったためである。田原はこれを「美浜一号炉燃料棒事故の疑惑」(『原子力戦争』講談社文庫に収録)として明らかにした。これを受けて、衆議院議員の石野久男が衆議院科学技術振興対策特別委員会などで追及した結果、原子力委員会はこの事故を認めた。しかし、原子力委員会が認めたのは1976年12月7日であり、事故が発生してから4年近く経った後であった。 内部告発では、この事故は核燃料棒が溶融したものと指摘していたが、原子力委員会の発表ではこれは溶融ではなく「何らかの理由で折損」したものであり、「重大な事故ではない」としている。しかし、田原はこの発表に対し「原子力戦争」の追記で、「この発表の内容はもとより発表前後の経過にも、つじつまの合わない点や新たな疑惑が数多く指摘されており」と疑問を投げかけている。 1991年2月9日2号機の蒸気発生器の伝熱管1本が破断し、原子炉が自動停止、緊急炉心冷却装置 (ECCS) が作動する事故が発生した。この事故は日本の原子力発電所において初めてECCSが実際に作動したものである。 事故の原因は、伝熱管の振動を抑制する金具が設計通りに挿入されておらず、そのため伝熱管に異常な振動が発生し、高サイクル疲労(金属疲労)により破断に至ったものと判明した。この金具は点検対象とされていなかったことも一因とされる。 この事故により微量の放射性物質が外部に漏れたが、周辺環境への影響はなかったと発表されている。また、美浜沖の海水から、通常なら数Bq/Lより少ないトリチウムが、2月10日に470Bq/L、2月18日にも490Bq/L検出された。 国際原子力事象評価尺度(INES)はレベル2と判定された。 2000年4月7日運転中に一次冷却水のホウ酸水が漏洩し原子炉を手動停止した。 2003年5月17日2号機の高圧給水加熱器の伝熱管に2か所の穴が開いた。放射性物質の外部への漏れはない。 2004年8月9日3号機二次冷却系の復水系配管が通常運転中に破裂する事故が発生した。(後述)
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過去の主なトラブル
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1981年4月福井県の定期モニタリング調査で、海藻から異常に高い放射能が検出された。調査の結果、敦賀発電所一号機の一般排水溝から放射性物質が漏洩したことが分かった。漏れた放射性物質はコバルト60であり、平常時の約10倍の量が検出された。さらに調査を進めたところ、一般排水路の出口に積もった土砂からも高濃度のコバルト60とマンガン54が検出された。しかし、一般排水路は放射能とは関係のない配水系統であり、ここからは放射性物質が検出されるはずがない場所であった。結局、放射性物質が検出された原因は、原子力安全委員会の調査によると放射性廃棄物処理旧建屋の設計・施工管理上の問題に、運転上のミスが重なったからとされた。 しかし、コバルト60とマンガン54が検出された原因は、この漏出が判明する前月に大量の放射性廃液がタンクからあふれるという事故が起きていたからであった。そして敦賀発電所はその事実を隠蔽していたことも同時に明らかとなった。つまりいわゆる「事故隠し」が行われていたのであった。この「事故隠し」によって、これ以降の日本での原子力発電に対する不信感が大きく芽生えるきっかけになったと考えられている。 1996年12月24日、敦賀2号機で化学体積制御系エルボの製造に問題があり、一次冷却水ホウ酸水が漏洩したため、原子炉を手動停止した。 1997年10月24日、敦賀1号機、制御棒1本の動作不良で原子炉手動停止。国際原子力事象評価尺度(INES)はレベル1。原因は制御棒の製造不良だった。 1999年7月12日、敦賀2号機の再生熱交換器から大量の1次冷却水漏れ。原子炉手動停止。国際原子力事象評価尺度(INES)はレベル1。 1999年12月9日、定期検査中シュラウドサポートに300か所のひび割れを発見し改修。 2003年9月9日、2号機加圧器逃し弁の溶接部から漏洩。 2010年7月21日、日本原子力発電は、敦賀1号機で、再循環ポンプなどの溶接部分について点検が一度も行われていなかったことが明らかになったと発表した。その溶接部分は、冷却水を炉心に送り込む原子炉再循環ポンプや原子炉圧力の排水用配管の弁などである。第33回定期検査(2011年に実施する予定)で再循環ポンプ系の配管を取り替える工事の準備段階で判明したという。 2011年1月24日、経済産業省の原子力安全・保安院は、敦賀1号機で、複数ある緊急炉心冷却システムの1つが機能しない状態で約1か月間運転していたとして、日本原子力発電を厳重注意した。2010年12月の検査時には正常に動作していたが、2011年1月の検査では正常に動かなかった。 2011年5月2日、敦賀2号機の1次冷却水で放射能濃度上昇。 2011年5月7日、敦賀2号機原子炉手動停止。 2011年5月9日、敦賀2号機 放射性ガス漏洩。 2011年6月3日、日本原子力発電は、敦賀2号機で5月8日に排気筒から微量の放射性ガスが漏れた問題で、放射性ガスが通る配管に33カ所の微小な穴が開いていたこと、及び、1987年の運転開始以来、この配管の点検をしていなかったことを明らかにした。
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過去の主なトラブル
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1991年(平成3年)4月 - 1号機の低圧タービンの静翼309枚の溶接部分に亀裂が発見され、地元に5日遅れで連絡。 2003年(平成15年)9月 - 2号機の1次冷却水が漏れ、運転停止。 2004年(平成16年)9月 - 蒸気発生器伝熱管56本に摩耗減肉。 10月 - 2号機で、B充填ポンプトリップの警報により、Bポンプが自動停止。 2005年(平成17年)5月 - 原子力発電所のフェンスを越えて、山菜加工業者とそのアルバイトらが敷地内に不法侵入。タケノコ採りをしていたアルバイトの1名が、たまたま職員に捕まったことをきっかけに総勢24名が逮捕、後日書類送検された。テロ対策強化の必要性が改めて問われる事件となった。 2006年(平成18年)12月 - 定期点検中の2号機で火災。 2007年(平成19年)5月末、6月 - 3号機の原子炉建屋近くの屋内作業現場に、人糞。 7月3日、4日、7日、11日、24日、8月7日、9日 - 建設中だった3号機の原子炉建屋、原子炉補助建屋、作業員事務所の仮設トイレ等で、火災発生。他にも電源コードの切断も見つかった。何者かが放火している疑いが持たれている。 9月27日 - 1号機の非常用ディーゼル発電機2基が故障。北海道電力は、その原因を メンテナンス会社が検査した際に、「調整装置」に異物が混入した為と発表。 2010年(平成22年)3月2日 - 北海道電力は、1号機で、定期検査中に50代男性作業員の一人が微量の放射性物質を体内に取り込み被ばくしたと発表した。 2011年(平成23年)1月9日 - 北海道電力は、3号機で、定期検査中に20歳代の男性作業員一人が微量の放射性物質をあびて被ばくしたと発表した。 2018年(平成30年)9月6日 - 北海道胆振東部地震の発生で道内全域が停電したことに伴い、外部電源を喪失。非常用電源に切り替えた。同日午後、全号機の外部電源復旧。
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過去の主なトラブル
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「浜岡原子力発電所」の記事における「過去の主なトラブル」の解説
1991年4月4日 - 3号機 原子炉給水量が低下、自動停止、国際原子力事象評価尺度(INES)レベル2。 2001年11月7日 - 1号機 配管破断事故 2001年11月9日 - 1号機 原子炉水漏洩事故 2002年 - 自主点検の書類に16箇所の記入ミス、ひび割れの兆候を見つけるも県へ報告せず 2002年5月24日 - 2号機 点検用水抜き配管水漏れ 2004年2月21日 - 2号機 タービン建屋屋上にて火災 2004年8月 - 4号機 骨材データ偽造問題(別項で詳述) 2005年11月4日 - 1号機 配管水漏れ事故 2005年11月16日 - 3号機 屋外配管の腐食による蒸気漏れ 2005年11月16日 - 1号機 燃料プールに異物混入 2006年6月 - 5号機タービン羽根破損 2007年3月 - 不正行為やミスが計14件あったことを中部電力が発表など 2009年4月13日 - 3-5号機のデータ改竄問題で、542個所の溶接後の熱処理を行ったうち5号機の94個所の作業を実際に改竄した作業員が担当していたことが判明し、県に報告するとともに早急に安全性を確認することとしている。 2009年8月11日 - 駿河湾地震の発生に伴い、4号機と5号機が緊急停止(放射能漏れは無し) 2009年8月19日 - 8月11日の地震で点検停止中の5号機排気筒排出ガスからごく微量のヨウ素131を検出。モニタリングポストに変化はなく、外部への放射能の影響はなし。 2009年12月 - 3号機で放射性廃液が漏れる事故があり、作業員34人が被曝したことが分かった。 2011年5月14日 - 国の申出により浜岡原子力発電所5号機停止作業中において、復水器に海水が混入するトラブル。 2011年5月 - 上記トラブルの影響で、海水中のヒ素が放射化、ヒ素76を検出。
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過去の主なトラブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 13:57 UTC 版)
1971年7月15日 - 制御棒付属装置を交換中に作業員3人が被曝。遠隔作業で付属装置を交換中、装置が保管孔に収まらなかったため棒でつついて作業をしたもの。放射線量モニター装置の針が振り切れるとゼロを示す欠陥も加わった事故。 1995年10月24日、制御棒駆動用ロープが切れ、制御棒1本が炉内に挿入。原子炉手動停止。国際原子力事象評価尺度(INES)レベル1。
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