地学的知見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 03:43 UTC 版)
地附山の山頂南側の小川累層と呼ばれる斜面が地すべりを起こしたもので、中新世後紀から洪積世初期の堆積岩と火砕岩類からなり、上から畑山砂質泥岩層(300m)、裾花凝灰岩層(700-800m)、浅川泥岩層(300m)と呼ばれている(括弧内は現場付近での推定される厚み)。地すべりを起こした土砂には、表土層もあるが多くは流紋岩質凝灰角礫岩の粘土化したものである。水分を多量に含みグリス状に粘土化し軟弱となった層が、上に乗る土砂の重みに耐えられなくなり地すべりを起こしている。経験則から見れば、現場付近には明治以降の地すべり痕跡もあり、古い地すべり箇所が再度地すべりを起こした典型的な例である。同じ裾花凝灰岩層地域では、他に茶臼山の地すべりも知られている。
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地学的知見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 14:35 UTC 版)
乳頭山-秋田駒ヶ岳火山列の中では形成時期が最も新しい火山である。笊森火山および乳頭火山の形成時期は、各々約56万年前、36-63万年前、と考えられ、活動開始は約10万年前頃と推定されている。火山形成史は大きく3つに分けられ、活動順に主成層火山形成期、カルデラ形成期、後カルデラ活動期と呼ばれる。火山体の形成史に関わる研究は十分に行われておらず未解明な部分が多い。火山活動と三陸沖の地震に関連性が有るとする見解がある。
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地学的知見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 10:16 UTC 版)
越後平野は新潟-神戸歪集中帯の構造運動の強い影響を受けている地域で、特に沈降運動の影響を大きく受け、厚い約150mの最大層厚を持つ沖積層が形成されている。この平野の信濃川流域地域と阿賀野川流域地域では、平野の形成様式(堆積物の供給)に大きな違いがある。信濃川流域地域の西蒲原地域では、約8000年前にはサロマ湖の様なラグーンが形成され、その後、信濃川からの堆積物などにより、ラグーンは埋め尽くされた。一方、阿賀野川流域地域では、縄文海進期から上流の沼沢火山などを由来とした土砂により堆積が進んだ。大規模な堆積は約5350年前に起きていて、火砕流噴火により只見川がせき止められた後に決壊し、噴出源から約150km下流の平野部まで達した。
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地学的知見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 05:04 UTC 版)
北部フォッサマグナの糸魚川静岡構造線のすぐ東側に位置し黒姫山、飯縄山、斑尾山、新潟焼山と共に妙高火山群をなし山体の基盤からの高さは 1200m、体積は 50km2で、主に輝石安山岩、角閃石安山岩を主体とする安山岩(SiO252%-60%)質の成層火山であるが、高アルミナ玄武岩、角閃石デイサイトなどで山体が構成される。山体崩壊する以前の山頂は標高2,800 - 2,900m程度であったと推測される。単純なひとつの成層火山では無く、4つの独立した成層火山が積み重なっている多世代火山である。
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地学的知見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 06:55 UTC 版)
Clip 松本盆地周辺 フォッサマグナ西縁部に形成された地溝性の盆地で糸魚川静岡構造線が南北に貫き西側には北アルプスがそびえ、東側は中央高地帯に挟まれる地域。盆地の東縁を松本盆地東縁断層群が南北に走っている。東縁の断層帯に沿うように北からは高瀬川が流れ、北アルプスから流れ出す梓川と合流した犀川 (長野県)が犀川丘陵帯を蛇行しながら浸食し流下する。また、盆地の西縁には信濃坂断層、常念岳起震断層が南北に走っているが、常念岳起震断層は地殻変動の境界では無いとされている。 新生代第三紀の別所層と青木層が分布している旧四賀村の保福寺川河床からは、かつてこの地域が海底であったことから、化石鰭脚類のアロデスムスやマッコウクジラの全身骨格化石、ウチムラユイガイダマシ、シロウリガイなどが出土。
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地学的知見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 09:38 UTC 版)
サハリンから新潟沖へとつながる、日本海東縁変動帯の日本列島の乗る島弧地殻と、日本海の海洋地殻の境界付近で発生した地震。後年の詳細な調査により、プレート境界型に近い地震発生様式である可能性が高いことが明かになった。また約1000年前に、同様な大地震が発生していた可能性も指摘されている。 青森県西津軽郡岩崎村の沖合約40 kmで、震源域のすぐ近くにある長さ50 m、幅13 m程度の岩礁の島、久六島では約30 cm - 40 cm沈下したと考えられる。
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地学的知見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 09:26 UTC 版)
現在のプレートテクトニクス理論ではフォッサマグナは北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界に相当するとされる。1983年の日本海中部地震前後までは、北海道中部の日高山脈付近が両プレートの境界と考えられていたが、地震を契機に日本海東縁部〜フォッサマグナを境界とする説が広く支持されるようになった。フォッサマグナの厚さは、地下約6,000(平野部) - 9,000m(山地)にも及ぶ。これより深い所は基盤岩とよばれ、西南日本や東北日本と同じ地層の並びになっていると推定されている。フォッサマグナ本体は第三紀の火山岩と堆積岩によって埋積されている。地質断面図で見ると、年代の異なる地層の境界がU字型に形成されている。 フォッサマグナ北部では第三紀層の褶曲によって生じた丘陵地形が際立って目立っている(頸城丘陵、魚沼丘陵など)。また、褶曲に伴って形成されたと考えられる天然ガスや石油の埋蔵も多い。一方、南部ではフィリピン海プレートによって運ばれ、日本列島に衝突した地塊が含まれる(丹沢山地、伊豆半島など)。 また、フォッサマグナの中央部を、南北に火山の列が貫く。北から新潟焼山、妙高山、草津白根山、浅間山、八ヶ岳、富士山、箱根山などである。これらの成因の1つとして、フォッサマグナの圧縮によってできた断層にマグマが貫入して、地表に染み出やすかったことが考えられている。 西縁の糸魚川静岡構造線上および東縁の一部と考えられている群馬県太田断層では、マグニチュード7規模の地震が繰り返し発生している。 北部フォッサマグナの東側(信越地域:長野県北部から新潟県頚城地域)には、大峰面と呼ばれる第四紀の70万年前に海岸平原であったとされる頃に形成された花崗岩質の礫及びシルトによる平坦な地形が広がっていたが、その後の地殻変動により浸食され現在は、標高900m前後の山々に痕跡が残る。
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地学的知見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 14:11 UTC 版)
源流域の川上村から上田市にかけては千曲川構造線に沿うようにして北西に流下し、千曲市付近で北東方向に約90度方向を変え、長野市からは信濃川断層帯を北東に延長した断層帯域の地質的に弱い所を浸食し流下し、日本海へと向かう。河床勾配の変化を見ると、上流部の佐久地域で 7.3 パーミル(‰)、上田地域で、5.5 ‰である。しかし、長野市周辺では、0.93 ‰となるが、西大滝ダム付近を変化点としては再び河床勾配は急になり、長野新潟県境付近から下流の十日町付近までは、3.5 ‰の勾配となる。 こうした勾配の変化をもたらしている原因は第四紀後期完新世の隆起活動と隆起に伴い形成された断層による物である。隆起としては中野市から飯山市付近の高丘丘陵などが影響を与えて、断層としては立ヶ花付近には長野盆地西縁断層の一つである長丘断層が河を横切っている、また西大滝ダム付近には重地原断層、北竜湖断層があり、長野新潟県境付近には津南断層がある。 信濃川源流域の一つ、飛騨山脈。日本屈指の標高の奥穂高岳(3,190m)、槍ヶ岳(3,180m)を水源に持つ。 信濃川水系上高地・大正池 群馬県より日本海側へ流れ出る信濃川支流の野反湖空撮写真。 長岡市付近を流れる信濃川。大河津分水を境に川幅が大きく変化する。 信濃川(右)と中ノ口川(左)の合流部。広大な越後平野が広がる。 萬代橋(重要文化財) 新潟市街を流れる信濃川。日本最長の川である。
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地学的知見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 14:34 UTC 版)
新生代第三紀の終わり頃からの中央高地の隆起活動と糸魚川静岡構造線の断層運動によって、地殻が引き裂かれて生じた構造湖(断層湖)である。また、糸魚川静岡構造線と中央構造線が交差する地で、諏訪湖を取り囲むように諏訪湖南西側には諏訪湖南岸断層群が、諏訪湖北東側には諏訪断層群がある。「かつて、諏訪湖からの水は東の釜無川方面に流れていたが、八ヶ岳からの噴出物によって堰き止められ、南下するようになった」との説がある。時代が下るにつれて、流入河川からの土砂の堆積や護岸工事などにより、面積は徐々に縮小している。
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地学的知見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 14:48 UTC 版)
3つの活動期と3つの休止期があり、今から約25万年前ごろから火山活動を初め、休止期をはさみ15万年前から12万年前ころまでの活動期があり数万年かの休止の後、最新の活動である4万年前ごろに現在の中央火口丘である御巣鷹山(小黒姫山)(標高2,046 m)を形成した。最高点(標高点2,053 m)は、中央火口丘の東南東1.0 kmの外輪山にある。外輪山と中央火口丘の間には火口原が広がり、「黒姫山湖沼・湿原群」として日本の重要湿地500のひとつに選定されている七ツ池と峰ノ大池などの池塘がある。
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地学的知見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 03:54 UTC 版)
北部フォッサマグナのいわゆる中央隆起帯と西部堆積区の境界部にあり、かつて海底に有った時代に堆積した第三紀層の砂岩、礫岩、凝灰岩が堆積した部分に、第四紀の貫入により形成された安山岩質の溶岩ドームである。山頂付近は複輝石安山岩であるため、風雨に浸食されず溶岩円頂丘(溶岩ドーム)が残ったと考えられる。直接的な火山活動の痕跡は認められないが、頂上の東側斜面の岩には柱状節理が観察出来る。1847年(弘化4年)の善光寺地震により大きな崩落があったと伝えられ、真田宝物館には地震被害を示す詳細な絵図が残されている。またこの山を特徴付けているボコ抱き岩は崩落が進み特に松代群発地震後随分小さくなったと言われている。
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地学的知見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 03:09 UTC 版)
藻琴山、サマッカリヌプリなどを外輪山とする東西約26km、南北約20kmの日本最大のカルデラである屈斜路カルデラの内側に約3万年前に形成された。日本の湖沼では6番目の面積を有し、平均水深は28.4m、カルデラ湖としては浅いほうだが、和琴半島東岸の旧噴火口にある最深部は117mまたは125m。 湖中央部には、日本最大の湖中島である中島(面積5.7km2、周囲12km)が浮かぶ。中島は直径約1.4kmのタフリングを持っており、その中に貫入している溶岩円頂丘が最高点((355m)となっている。南岸には和琴半島が突出する。中島と同様、火山の山頂が湖中島になったものであったが、尾札部川の扇状地から成長した砂州により陸繋島となった。 周囲から小河川が流入し、南端から釧路川が流れ出す。河川からの流入は、湖に入る全水量の20パーセントほどで、残りは地下から湖底に入っている。 道北にあるクッチャロ湖とは、呼び名が似ていることから混同されがちであるが、全くの別の湖である。ただし、語源は同じである。 島 : 中島 流入河川 : 湯川、尾札部川、オンネナイ川、跡佐川、トイコイ川、オンネシレト川、シケレペンベツ川 流出河川 : 釧路川
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