抗体
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免疫グロブリンの多様性
あらゆる抗原に対応するために、体内では可変領域の異なる重鎖と軽鎖を何百・何千万種類と用意する。このような抗体の多様性をどのようにして作り出しているのかは、長い間不明であった。1897年エールリヒは、もともとさまざまな抗原に対する鋳型を細胞表面にもっている細胞があり、その鋳型が抗原に出会うと、それが刺激となってその抗原に対する抗体を産生すると考えた(側鎖説)[8]が、ラントシュタイナーは、新しく人工合成された化合物に対しても抗体が作用することを示し、この世になかった物質に対する鋳型をもともと細胞が持っていたとは考えにくく、抗体の多様性は側鎖説だけでは説明がつかないと考えた。その後、抗体は抗原に出会うとそれに結合できるように自らの姿を変えることができるという説(鋳型説)や、抗原の刺激により抗体が後天的に作られるという説(指令説)が唱えられたが、1959年エーデルマンが免疫グロブリンの基本構造を解明し[9][10]、また1958年クリックにより、タンパクは遺伝子の情報に基づいて作られることが明らかになる(セントラルドグマ)と、鋳型説・指令説は否定的と考えられた。それに代わってバーネットの提唱したクローン選択説[11](1957年)が受け入れられるようになった。つまり、リンパ球はそれぞれ1種類の抗体しか作ることができず、そのため体内には非常に多くの種類のリンパ球が先天的に用意されている。そして抗原が体内に侵入すると、その抗原と結合できるリンパ球が選ばれて増殖し(クローン)、この抗原に対する抗体を産生する、という説である。この説は種々の実験によって正当性が証明されていったが、クローン選択説もエールリヒの側鎖説と同じように、全く未知の抗原に対応できるような抗体を、遺伝子はどうやって用意できるのか、という点は不明であった。非常に多くの種類の抗体の構造がひとつひとつ全て遺伝子に書き込まれているとは考えにくかった。
1976年利根川らは免疫グロブリンの遺伝子再構成という現象を発見し[12][13]、この抗体の多様性に関する遺伝子レベルの謎に答えを出した。その他、体細胞超変異、遺伝子変換、クラススイッチ組み換えといった現象も抗体の多様性に関与していることが知られている[14]。
V(D)J遺伝子再構成 (gene rearrangement)
B細胞に分化する前の生殖細胞の遺伝子では、重鎖可変領域 (VH) をコードする遺伝子は、VH遺伝子部分、DH遺伝子部分、JH遺伝子部分の3つに分かれており、この3つの遺伝子部分にそれぞれ、可変領域の遺伝子断片が複数個コードされている。抗体を産生するB細胞の重鎖可変領域の遺伝子は、VH遺伝子部分にコードされているいくつかの遺伝子断片の中から1種類、DH遺伝子部分から1種類、JH遺伝子部分から1種類が選ばれて、それが組み立てられてつくられる。VH遺伝子部分に50の遺伝子断片、DH遺伝子部分に30の遺伝子断片、JH遺伝子部分に6種類の遺伝子断片があるとすると、その組み合わせは50×30×6 = 9000種類となる。
軽鎖可変領域 (VL) をコードする遺伝子は、重鎖よりも少なく、VL遺伝子部分、JL遺伝子部分の2つの部分からなる。同じようにVL遺伝子部分に35の遺伝子断片、JL遺伝子部分に5つの遺伝子断片があるとすると、その組み合わせは35×5 = 175種類となる。そして、9000種類の重鎖と175種類の軽鎖の組み合わせは9000×175 = 150万種類以上となる。このように、重鎖のV、D、J、軽鎖のVとJの遺伝子断片の組み合わせで多様な遺伝子をもつB細胞ができ、それぞれ異なった種類のB細胞がそれぞれ異なった抗体を作ることで多様な抗体がつくられる[12][15]。これをV(D)J遺伝子再構成といい、主にヒトやマウスでみられる。
各細胞につき、遺伝子再構成が起こるのは相同染色体の片方だけであり、再構成がないほうの遺伝子は不活化される。
体細胞超変異 (somatic hypermutation; SHM)
幹細胞が分化して体のさまざまな細胞に分化していくが、この分化した細胞を体細胞という。幹細胞が体細胞に分化していくときにごく稀に遺伝子に変異が起こることがある(体細胞変異)。B細胞は変異の頻度が極めて高く、1万倍にも及ぶ[16]。これは末梢の成熟したB細胞の中で、T細胞依存性抗原で活性されたB細胞は胚中心を形成し、この微小環境内で免疫グロブリン遺伝子のV領域が、AID(activation-induced cytidine deaminase)により様々な塩基置換を引き起こされるためである。このメカニズムを体細胞超変異といい、ヒトやマウスにおいて抗体の多様性や親和性の成熟に関与している[14]。
遺伝子変換 (gene conversion)
V(D)J遺伝子再構成を終えた可変領域遺伝子が、V遺伝子上流に存在する偽遺伝子にランダムに置換されて、多様性をつくる。これを遺伝子変換 (gene conversion; GC) といい、主にニワトリでみられる[17][18]。1986年レイノーらにより報告された[19][20]。
クラススイッチ組み換え (class switch recombination; CSR)
V(D)J遺伝子再構成等の過程を経て生まれたB細胞は、抗原の刺激を受けると成熟化し、増殖する。この際、重鎖定常領域 (CH) をコードする遺伝子にDNA改変が起こり、最初IgMを分泌していたB細胞はIgG等他のクラスの免疫グロブリンを産生する。同じ可変領域を異なる定常領域と組み合わせることにより、さらに多様な抗体を作り出す。このことをクラススイッチ組み換えという[14]。
注釈
出典
- ^ 2.抗体産生のしくみ 科学技術振興機構 2021年7月31日閲覧。
- ^ Hamers-Casterman, C. et al., "Naturally occurring antibodies devoid of light chains", Nature 363, 446−448 (1993). doi:10.1038/363446a0、W.W.ギブズ, 「開発進むナノ抗体医薬」, 日経サイエンス 2006年1月号
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