引き揚げ 『シベリア抑留資料等引き揚げの記録』と世界記憶遺産

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引き揚げ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 02:30 UTC 版)

『シベリア抑留資料等引き揚げの記録』と世界記憶遺産

白樺日誌(シベリア抑留者が白樺の皮に書いた日誌・舞鶴引揚記念館)

2015年10月10日未明に文部科学省が発表したところによると、歴史的に貴重な文書や絵画などを対象としたユネスコ国連教育科学文化機構)の「世界の記憶」に、「舞鶴への生還1945-1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」が登録された[44]

シベリアに抑留された後、舞鶴港に引き揚げた抑留者らの570点にものぼる記録であり、抑留生活の様子を約200首の和歌にしたため白樺樹皮につづった「白樺日誌」や、靴の中に隠して持ち帰ったメモ帳などが含まれ、すべて京都府舞鶴市にある舞鶴引揚記念館(1988年開館)に所蔵されている[44]。その中には、大阪府門真市の坂井仁一郎(故人)が、ラジオのモスクワ放送で流されていた抑留者の情報を聞き取り、日本で待つ家族に伝えた葉書やそれへの礼状なども含まれる[45]

舞鶴港は戦後、引き揚げ者の約1割の約66万人が上陸した港であり、舞鶴市は1961年、シベリア抑留者が引き揚げ船に乗船したソ連(当時)のナホトカ市と姉妹都市協定を結び(これは日ソ間での最初の姉妹都市協定である)、各種訪問団の相互派遣などで交流を深めてきた[46]。記憶遺産への申請は舞鶴市であり、この申請にあたっても市職員がナホトカ市を訪問して説明をするなどした[46]。同市では一時は共同申請をする案も出るほどの理解があったという[46]。登録の3年前は、同記念館に膨大な資料が未整理のまま眠っていた[45]。登録へ導いた立役者の一人である同記念館学芸員の長嶺睦は、「630万人が引き揚げた壮大な出来事が日本の歴史から消えようとしている。きちんと公開し、調査研究に結びつけたい」と当時の感想を語った[45]。また同記念館への資料寄贈者である木内信夫、安田清一は日本初の生存作家となった。


注釈

  1. ^ 台湾朝鮮関東州及び南洋諸島
  2. ^ 満洲国(法律上は外国)及びその他日本軍の占領地。
  3. ^ 南樺太及び千島列島
  4. ^ 軍人や軍属を召集解除または解雇し、軍籍から外すことを「復員」という。軍人軍属が日本本土以外にいる場合は、日本への帰還が完了することで最終手続きとなるため、所定の「復員手続」を済ませて、帰郷旅費を支給するまでの面倒を見ることまでが「復員業務」とされた。本項では、一般日本人の「引き揚げ」に加え、軍人軍属の「復員業務」を併せて扱う。以上は河原後掲書による。
  5. ^ 海軍については解員

出典

  1. ^ #引揚援護の記録
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 河原(2011年)12ページ
  3. ^ 「 戦後引き揚げ 大国の思惑/国文学研究資料館・加藤准教授 全体像描く研究書」『読売新聞』朝刊2021年7月7日(文化面)。加藤聖文『海外引揚の研究 忘却された「大日本帝国」』(岩波書店)の紹介記事。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m #引揚援護の記録 p.1
  5. ^ 久しぶりの母国に感激の顔『大阪毎日新聞』昭和16年11月15日夕刊(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p456 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  6. ^ 第二船大洋丸にはハワイの四百四十七人『大阪毎日新聞』昭和16年11月16日夕刊(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p456)
  7. ^ 第三船氷川丸が横浜入港『朝日新聞』昭和16年11月19日夕刊(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p456)
  8. ^ 蘭印から高千穂丸、門司へ帰る『朝日新聞』昭和16年11月23日夕刊(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p456)
  9. ^ ボルネオ、マレーには浅間丸が『朝日新聞』昭和16年12月6日(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p457)
  10. ^ 在米残留邦人、龍田丸で最後の引き揚げ『朝日新聞』昭和16年11月30日夕刊(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p457)
  11. ^ 終戦の詔書”. 国立公文書館. 2024年3月20日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g 河原(2011年)3ページ
  13. ^ a b c d e ポツダム宣言”. 国立国会図書館. 2024年3月20日閲覧。
  14. ^ 井出孫六 2008, p. 82
  15. ^ 井出孫六 2008, p. 83
  16. ^ a b 井出孫六 2008, p. 86
  17. ^ 井出孫六 2008, p. 87
  18. ^ 引揚援護の記録』引揚援護庁、1950年3月31日。doi:10.11501/1707048https://dl.ndl.go.jp/pid/1707048/ 
  19. ^ a b #引揚援護の記録 p.11-13
  20. ^ a b c d e f g h i #引揚げと援護三十年の歩み pp.149-167
  21. ^ #引揚援護の記録 pp.55-62
  22. ^ #引揚援護の記録 続々 pp.311-344
  23. ^ #引揚げと援護三十年の歩み pp.60
  24. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 河原(2011年)4ページ
  25. ^ a b c d e f g #引揚援護の記録 pp.13-30
  26. ^ a b c d 若槻(1991年)50ページ
  27. ^ a b c d 若槻(1991年)51ページ)
  28. ^ 若槻(1991年)255ページ
  29. ^ 若槻(1991年)251ページ
  30. ^ 若槻(1991年)260ページ
  31. ^ a b c d e f 若槻(1991年)261ページ
  32. ^ a b c 若槻(1991年)262ページ
  33. ^ a b c d 伊藤(1993年)134ページ
  34. ^ a b c d e 加藤(2009年)183ページ
  35. ^ a b c d e f g h i j k l 朝日新聞夕刊 2015a, p. 3「あのときそれから/サハリン残留/離別 望郷」
  36. ^ a b c d e f g h 加藤(2009年)214ページ
  37. ^ a b c d 加藤(2009年)215ページ
  38. ^ 加藤(2009年)81ページ
  39. ^ a b c d e f g 加藤(2009年)82ページ
  40. ^ a b c d e 加藤(2009年)196ページ
  41. ^ a b c d e f g h i j k 厚生省援護局(1978年)145ページ
  42. ^ a b c 若槻 1991, p. 284
  43. ^ a b c d e f g h i 厚生省援護局(1978年)147ページ
  44. ^ a b 朝日新聞夕刊 2015b, 1面「シベリア引き揚げ資料・東寺百合文書」
  45. ^ a b c 朝日新聞朝刊 2015d, 34面「守った遺産 世界へ未来へ」
  46. ^ a b c 朝日新聞夕刊 2015c, 9面「抑留、風化させぬ」


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