A号券とは? わかりやすく解説

A号券

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/18 15:39 UTC 版)

十円紙幣」の記事における「A号券」の解説

1946年昭和21年2月17日大蔵省告示23号日本銀行券百圓券及拾圓券樣式ノ件」で紙幣の様式定められている。主な仕様下記の通り日本銀行券 額面 拾圓(10円表面 国会議事堂鳳凰 裏面 彩紋 印章表面総裁之印、発券局長裏面〉なし 銘板 記載なし 記番号仕様記番号赤色通し番号なし(組番号のみ)] 記番号構成記号〉「1」+組番号数字1 - 4製造工場数字2番号通し番号なし 寸法 縦76mm、横140mm 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1946年昭和21年2月14日 - 1954年昭和29年3月29日 記号(組番号範囲 1 - 1977(1記号当たり5,000,000製造製造枚数 9,869,055,000 発行開始1946年昭和21年3月1日告示上:同年2月25日支払停止1955年昭和30年4月1日 発行終了 有効券 終戦直後猛烈なインフレーション抑制策として、政府により新円切替極秘裏に検討されていた。これは発表からごく短期間のうちに旧紙幣全て無効化して金融機関強制預金させたうえで預金封鎖し、代わりに発行高を制限した新紙幣(A号券)を発行して最低限度の生活費だけを引き出せるようにするものであった。これを実施するには従前紙幣明確に識別可能な新紙幣急遽準備する必要が生じるため、印刷局の他に民間印刷会社4社に対して新紙幣デザイン案の提案求め、その中から「斬新なデザインのもの」を選ぶという選考方針のもとで新紙幣デザイン案が決定された。紙幣図案検討としては異例指名型公募方式による選定であった連合国軍占領下当時は改刷を行い新紙幣発行する場合図案についてGHQ連合国軍最高司令官総司令部)の承認が必要であった公募により採用され図案は、民間企業凸版印刷株式会社によって提案され図案1つであり、当初の案ではこの図案伐折羅大将像の肖像描いたA千円券図案であったインフレーション闇取引助長懸念から高額紙幣発行に対してGHQ反対したため不発となったA千円券デザイン流用してA十円券図案とすることで図案申請が行われた。GHQによる図案審査結果肖像不適切であるとクレーム付き変更指示されたため、伐折羅大将像を国会議事堂差し替えてGHQ承認得たうえで発行された。 券面左右に二分した図柄特徴的であり、表面左側には十字型枠内国会議事堂中央塔部分を、右側には四角輪郭中に法隆寺古鏡鳳凰胡蝶図柄描いたものであった裏面には正倉院御物古代裂から採った睡蓮宝結び模様描いている。日本銀行券としては珍しく券面上に日本銀行行章の図柄含まれていないほか、円記号(「¥」)により額面金額表記されローマ字表記による国名表示NIPPON」の表記があるなど、他の券種とは一線を画し様式となっている。 しかしながら表面デザイン全体が「米国」の漢字見えることに加え製造開始間際十分な検討時間がない中で千円券十円券券面するべく無理に修正した影響で、輪郭の「十」の連続模様十字架の鎖のように見え、さらに千円券として検討されていた図柄十円券寸法合わせて無理に縮小したために、右側左下彩紋模様圧縮され進駐軍MPヘルメット形状連想させるなど、GHQ陰謀ではないかとの悪評が立ち国会で問題となった異例公募による図案決定併せて当初紙幣の製造についても発行元日本銀行から民間印刷会社直接発注するように調達方式変更する構想大蔵省持っていたが、極めて厳格な管理求められる紙幣製造業務の特殊性から望ましくないとのGHQ意向によりこちらは実行されなかった。券面上から製造元を示す銘板記載省略されているが、これはこの調達方式変更予定見越したのである結局のところ一部い号券ろ号券などと同様に従来通り印刷局一元的紙幣製造管理を行うこととなり、凸版印刷株式会社にて完成され版面印刷局引渡したうえで、印刷局とその委託受けた大日本印刷凸版印刷などの複数民間印刷会社分散して印刷されることとなった記番号については通し番号はなく記号のみ表記となっている。記号の下2製造工場表しており、下表通りA号券の中では最も多い13箇所印刷所別に分類できるこのように多数民間委託先でも印刷されたが、もともと紙幣として十分とは言い難い粗末な仕様であったことに加え製造数量や秘密保持管理が不十分で一部委託先から製造中の半製品外部流出するなどの問題発生し、これらが偽造多発する原因一つとなったほか、用紙刷色変化多く品質不均一となっている。 製造工場記号下2大蔵省印刷局滝野川工場 12 大蔵省印刷局酒匂工場 22 大蔵省印刷局静岡工場 32 大蔵省印刷局彦根工場 42 凸版印刷板橋工場 13 凸版印刷富士工場 23 凸版印刷大阪工場 33 大日本印刷市ヶ谷工場 14 大日本印刷秋田工場 24 大日本印刷新発田工場 34 共同印刷小石川工場 15 東京証券印刷王子工場 16 東京証券印刷武生工場 36 他の十円券以下のA号券と同様に透かし入っていない。なおA号券の紙幣用紙抄造については緊急かつ大量に必要となることから、印刷局工場だけでは賄いきれず一部民間製紙会社においても抄造が行われている。いずれも発行され日本銀行券の中では初めてのことであり、これ以降このような事例存在していない。 使用色数は、表面3色(内訳は主模様1色、地模様1色、印章記番号1色)、裏面1色となっている。印刷方式は、製造効率優先したため当初両面とも平版印刷であったが、透かしもなく印刷色数最低限という余りにも簡素な仕様であることから精巧な偽造券が発生する可能性考慮して2度にわたり変更が行われ、1度目変更では表面凸版印刷裏面平版印刷2度目変更では両面とも凸版印刷という変遷たどっている。 A十円券製造終了は、十円硬貨十円青銅貨)が市中出回り始めた1953年昭和28年であった日本の現在発行されていない紙幣の中では現存数が非常に多く、しばしば未使用100枚帯封などが古銭市場ネットオークション等に現れるほどであり、古銭商による買取場合1枚での買取はほとんど期待できず、ある程度まとまった枚数買い取ってもらう場合も、額面若干超えた程度となるのが一般である。

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A号券

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 06:58 UTC 版)

一円紙幣」の記事における「A号券」の解説

1946年昭和21年3月19日大蔵省告示123号「日本銀行券壹圓券ノ樣式ノ件」で紙幣の様式定められている。主な仕様下記の通り日本銀行券 額面 壹圓1円表面 二宮尊徳ニワトリ、麦・稲などの食料 裏面 彩紋 印章表面総裁之印、発券局長裏面〉なし 銘板 記載なし 記番号仕様記番号赤色通し番号なし(組番号のみ)] 記番号構成記号〉「1」+組番号数字1 - 4製造工場数字2番号通し番号なし 寸法 縦68mm、横124mm 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1946年昭和21年3月8日 - 1957年昭和32年3月29日 記号(組番号範囲 1 - 1156(1記号当たり5,000,000製造製造枚数 6,278,185,080 発行開始1946年昭和21年3月20日告示上:同年3月19日支払停止1958年昭和33年10月1日 発行終了 有効券 終戦直後猛烈なインフレーション抑制策として、政府により新円切替極秘裏に検討されていた。これは発表からごく短期間のうちに旧紙幣全て無効化して金融機関強制預金させたうえで預金封鎖し、代わりに発行高を制限した新紙幣(A号券)を発行して最低限度の生活費だけを引き出せるようにするものであった。これを実施するには従前紙幣明確に識別可能な新紙幣急遽準備する必要が生じるため、印刷局の他に民間印刷会社4社に対して新紙幣デザイン案の提案求め、その中から「斬新なデザインのもの」を選ぶという選考方針のもとで新紙幣デザイン案が決定された。紙幣図案検討としては異例指名型公募方式による選定であった連合国軍占領下当時は改刷を行い新紙幣発行する場合図案についてGHQ連合国軍最高司令官総司令部)の承認が必要であった公募により採用され図案は、民間企業凸版印刷株式会社によって提案され図案1つであり、当初の案最終的に発行されたものとほぼ同一図案人物肖像武内宿禰となっていた。GHQによる図案審査結果武内宿禰軍国主義シンボルであり新紙幣人物肖像として不適切であるとして変更指示されたため、肖像二宮尊徳差し替えてGHQ承認得たうえで発行された。 表面右側描かれている二宮尊徳肖像は、神奈川県小田原市にある報徳二宮神社参拝記念品として販売していた絵図参考したものとされる表面下部には雄鶏の他、麦、稲、甘薯蜜柑玉蜀黍といった食料描いているが、これは当時食糧難時勢反映した図柄である。裏面彩紋唐草模様のみで、単色刷り簡易な図柄となっている。 異例公募による図案決定併せて当初紙幣の製造についても発行元日本銀行から民間印刷会社直接発注するように調達方式変更する構想大蔵省持っていたが、極めて厳格な管理求められる紙幣製造業務の特殊性から望ましくないとのGHQ意向によりこちらは実行されなかった。券面上から製造元を示す銘板記載省略されているが、これはこの調達方式変更予定見越したのである結局のところ一部い号券ろ号券などと同様に従来通り印刷局一元的紙幣製造管理を行うこととなり、凸版印刷株式会社にて完成され版面印刷局引渡したうえで、印刷局とその委託受けた大日本印刷凸版印刷などの複数民間印刷会社分散して印刷されることとなった記番号については通し番号はなく記号のみ表記となっており、多く日本銀行券異なり紙幣右上の1ヶ所にしか印刷されていない記号の下2製造工場表しており、下表通り9箇所印刷所別に分類できるこのように多数民間委託先でも印刷されたが、もともと紙幣として十分とは言い難い粗末な仕様であったことに加え製造数量や秘密保持管理が不十分で一部委託先から製造中の半製品外部流出するなどの問題発生し、これらが偽造多発する原因一つとなった製造工場記号下2大蔵省印刷局滝野川工場 12 大蔵省印刷局酒匂工場 22 大蔵省印刷局静岡工場 32 大蔵省印刷局彦根工場 42 凸版印刷板橋工場 13 大日本印刷榎町工場 44 共同印刷小石川工場 15 東京証券印刷王子工場 16 東京証券印刷小田原工場 26 他の十円券以下のA号券と同様に透かし入っていない。なおA号券の紙幣用紙抄造については緊急かつ大量に必要となることから、印刷局工場だけでは賄いきれず一部民間製紙会社においても抄造が行われている。いずれも発行され日本銀行券の中では初めてのことであり、これ以降このような事例存在していない。 使用色数は、表面3色(内訳は主模様1色、地模様1色、印章記番号1色)、裏面1色となっている。印刷方式は、製造効率優先したため当初両面とも平版印刷であったが、透かしもなく印刷色数最低限という余りにも簡素な仕様であることから精巧な偽造券が発生する可能性考慮し1949年昭和24年)頃から両面とも凸版印刷変更された。 1948年昭和23年10月戦後初の一円硬貨として一円黄銅貨発行されたが、その後もA一円券製造続けられた。ちなみにその一円黄銅貨1953年昭和28年)の年末小額通貨整理法により通用停止となったため、有効な1円法定通貨は再び一円紙幣のみとなった。そして1955年昭和30年6月一円アルミニウム貨の発行後、1956年昭和31年)にA一円券製造中止され1958年昭和33年)にA一円券日本銀行からの支払い停止された。 額面金額5円法定通貨では1948年昭和23年)、額面金額10円法定通貨では1953年昭和28年)までにそれぞれ紙幣製造終了となり硬貨が行われたものの、上記経緯から1954年昭和29年始めから1955年昭和30年6月一円硬貨流通再開までの期間は10円5円より小額1円法定通貨では硬貨存在せず紙幣のみが発行されているという歪な態となっていた。 日本の現在発行されていない紙幣の中では現存数が非常に多く、しばしば未使用100枚帯封1000完封古銭市場ネットオークション等に現れるほどであり、古銭商による買取場合1枚での買取はほとんど期待できず、ある程度まとまった枚数買い取ってもらう場合も、額面若干超えた程度となるのが一般である。

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A号券

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十銭紙幣」の記事における「A号券」の解説

1947年昭和22年9月5日大蔵省告示205号「日本銀行券拾銭券の樣式」で紙幣の様式定められている。主な仕様下記の通り日本銀行券 額面 拾錢(10銭) 表面 裏面 国会議事堂 印章表面総裁之印 〈裏面〉なし 銘板 印刷局製造 記番号仕様記番号赤色通し番号なし(組番号のみ)] 記番号構成記号〉「1」+組番号数字1 - 3製造工場数字2番号通し番号なし 寸法 縦52mm、横100mm 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1947年昭和22年8月13日 - 1949年昭和24年12月12日 記号(組番号範囲 1 - 116(1記号当たり5,000,000製造製造枚数 580,000,000 発行開始1947年昭和22年9月5日 通用停止1953年昭和28年12月31日 発行終了 失効造幣局手持ち資材活用して終戦直後1945年昭和20年11月から十銭アルミニウム貨の製造始めた。これによりい拾錢券は製造発行中止された。しかしGHQ連合国軍最高司令官総司令部)の政策により日本国内アルミニウムの精錬禁止されことによる貨幣材料入手困難加えインフレーション昂進により材料価格高騰し1946年昭和21年10月以降十銭硬貨製造継続できない状況陥ったことから、小額通貨の不足が深刻化したため再度十銭紙幣発行決定された。 なおA号券の発行検討時にも、十銭紙幣小額政府紙幣として発行することが選択肢1つとして検討されたものの、い号券発行時と同様に法改正不要であり大蔵大臣告示のみで対応できることから従来通り日本銀行券として発行された。 連合国軍占領下当時は改刷を行い新紙幣発行する場合図案についてGHQ許可が必要であった加えて1946年昭和21年)にはGHQにより軍国主義的見做されデザイン紙幣郵便切手新規発行原則禁止されたことを受け、再度十銭紙幣発行合わせてそのデザイン改訂行ったのであるデザイン国会議事堂を使うなど戦時中い号券印象異なっている。表面右側には平和の象徴とされるが、裏面左側には民主主義象徴として国会議事堂描かれている。菊花紋章描かれ最後紙幣であり、旧字体右横書き文言記載されている最後紙幣でもある。券面寸法小さいことから印章表面の「総裁之印」の1個のみであり「発券局長」の印章省略されている。 紙幣印刷一部除き民間印刷会社委託されていたが、印刷され工場関わらず銘板は「印刷局製造」である。 記番号については通し番号はなく記号のみ表記となっている。記号の下2製造工場表しており、下表通り製造された7箇所印刷所別に分類できる製造工場記号下2大蔵省印刷局滝野川工場 12 大蔵省印刷局静岡工場 32 凸版印刷板橋工場 13 凸版印刷大阪工場 33 共同印刷小石川工場 15 東京証券印刷王子工場 16 東京証券印刷小田原工場 26 同時期に発行され十円券以下のA号券と同様に透かし入っていない。 使用色数は、表面3色(内訳は主模様1色、地模様1色、印章記番号1色)、裏面1色となっている。印刷方式両面とも平版印刷簡易な紙幣である。 製造期間1947年度(昭和22年度)から1949年度昭和24年度)までであった

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A号券

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 14:41 UTC 版)

五銭紙幣」の記事における「A号券」の解説

1948年昭和23年5月25日大蔵省告示157号「昭和二十三年五月二十五日から発行する日本銀行券五銭の樣式」で紙幣の様式定められている。主な仕様下記の通り日本銀行券 額面 五銭(5銭) 表面 裏面 彩紋 印章表面総裁之印 〈裏面〉なし 銘板 印刷局製造 記番号仕様記番号赤色通し番号なし(組番号のみ)] 記番号構成記号〉「1」+組番号数字1 - 2製造工場数字2番号通し番号なし 寸法 縦48mm、横94mm 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1948年昭和23年5月20日 - 1948年昭和23年6月29日 記号(組番号範囲 1 - 12(1記号当たり5,000,000製造製造枚数 60,000,000 発行開始1948年昭和23年5月25日 通用停止1953年昭和28年12月31日 発行終了 失効造幣局手持ち資材活用して終戦直後1945年昭和20年12月から五銭錫貨の製造始めた。これと前後してい五錢券は製造発行中止された。しかしマレー半島などの旧日本軍占領地域が主要産地であった錫の輸入途絶による貨幣材料入手困難加えインフレーション昂進により材料価格高騰し1946年昭和21年10月以降五銭硬貨製造継続できない状況陥ったことから、将来的小額通貨の不足の可能性があるとして再度五銭紙幣発行決定された。なお終戦前後猛烈なインフレーションにより額面金額5銭の法定通貨需要ごく僅かとなっていたため、五十銭紙幣十銭紙幣場合異なり小額通貨現金不足は顕在化していなかったものの予防的に発行されている。 なおA号券の発行検討時にも、五銭紙幣小額政府紙幣として発行することが選択肢1つとして検討されたものの、い号券発行時と同様に法改正不要であり大蔵大臣告示のみで対応できることから従来通り日本銀行券として発行された。 連合国軍占領下当時は改刷を行い新紙幣発行する場合図案についてGHQ連合国軍最高司令官総司令部)の許可が必要であった加えて1946年昭和21年)にはGHQにより軍国主義的見做されデザイン紙幣郵便切手新規発行原則禁止されたことを受け、再度五銭紙幣発行合わせてそのデザイン改訂行ったのであるデザインを使うなど戦時中い号券印象異なっている。表面右側には「忍耐努力により敗戦から立ち直ること」を象徴するものとして梅花描かれている。裏面彩紋のみの簡易な図柄となっている。以降発行される日本銀行券同様に文言新字体左横書き表記菊花紋章削除されているが、これはA号券の内では唯一である。券面寸法小さいことから印章表面の「総裁之印」の1個のみであり「発券局長」の印章省略されている。 紙幣印刷全て民間印刷会社委託されていたが、銘板は「印刷局製造」である。 記番号については通し番号はなく記号のみ表記となっている。記号の下2製造工場表しているが、このA五銭券は凸版印刷板橋工場記号下213)で製造されたものしか存在しない同時期に発行され十円券以下のA号券と同様に透かし入っていない。また日本銀行券の中で最小寸法である。 使用色数は、表面3色(内訳は主模様1色、地模様1色、印章記番号1色)、裏面1色となっている。印刷方式両面とも平版印刷簡易な紙幣である。 製造期間1948年昭和23年5月から6月までの2ヶ月間のみであった

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A号券

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 09:01 UTC 版)

五円紙幣」の記事における「A号券」の解説

1946年昭和21年3月5日大蔵省告示97号「日本銀行券五圓券樣式ノ件」で紙幣の様式定められている。主な仕様下記の通り日本銀行券 額面 五圓5円表面 彩紋 裏面 彩紋 印章表面総裁之印、発券局長裏面〉なし 銘板 記載なし 記番号仕様記番号赤色通し番号なし(組番号のみ)] 記番号構成記号〉「1」+組番号数字1 - 2製造工場数字2番号通し番号なし 寸法 縦68mm、横132mm 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1946年昭和21年3月7日 - 1946年昭和21年12月19日 記号(組番号範囲 1 - 92(1記号当たり5,000,000製造製造枚数 460,000,000 発行開始1946年昭和21年3月8日告示上:同年3月5日支払停止1955年昭和30年4月1日 発行終了 有効券 終戦直後猛烈なインフレーション抑制策として、政府により新円切替極秘裏に検討されていた。これは発表からごく短期間のうちに旧紙幣全て無効化して金融機関強制預金させたうえで預金封鎖し、代わりに発行高を制限した新紙幣(A号券)を発行して最低限度の生活費だけを引き出せるようにするものであった。これを実施するには従前紙幣明確に識別可能な新紙幣急遽準備する必要が生じるため、印刷局の他に民間印刷会社4社に対して新紙幣デザイン案の提案求め、その中から「斬新なデザインのもの」を選ぶという選考方針のもとで新紙幣デザイン案が決定された。紙幣図案検討としては異例指名型公募方式による選定であった連合国軍占領下当時は改刷を行い新紙幣発行する場合図案についてGHQ連合国軍最高司令官総司令部)の許可が必要であった公募により採用され図案は、民間企業凸版印刷株式会社によって提案され図案1つである。肖像風景一切なく彩紋模様のみの無難な図柄ということで、当初の案そのままGHQにより承認され発行された。 表面だけでなく裏面彩紋唐草模様のみで、特に裏面単色刷り簡易な図柄となっている。表裏両面とも肖像風景などの図柄がない。改造券からA号券までに発行され日本銀行券では菊花紋章表面中央上部配置されていたが、A五円券限って右上配置されている点で特異である。 異例公募による図案決定併せて当初紙幣の製造についても発行元日本銀行から民間印刷会社直接発注するように調達方式変更する構想大蔵省持っていたが、極めて厳格な管理求められる紙幣製造業務の特殊性から望ましくないとのGHQ意向によりこちらは実行されなかった。券面上から製造元を示す銘板記載省略されているが、これはこの調達方式変更予定見越したのである結局のところ一部い号券ろ号券などと同様に従来通り印刷局一元的紙幣製造管理を行うこととなり、凸版印刷株式会社にて完成され版面印刷局引渡したうえで、印刷局とその委託受けた大日本印刷凸版印刷などの複数民間印刷会社分散して印刷されることとなった記番号については通し番号はなく記号のみ表記となっている。記号の下2製造工場表しており、下表通り5箇所印刷所別に分類できるこのように多数民間委託先でも印刷されたが、もともと紙幣として十分とは言い難い粗末な仕様であったことに加え製造数量や秘密保持管理が不十分で一部委託先から製造中の半製品外部流出するなどの問題発生し、これらが偽造多発する原因一つとなった製造工場記号下2大蔵省印刷局滝野川工場 12 大蔵省印刷局酒匂工場 22 共同印刷小石川工場 15 東京証券印刷小田原工場 26 帝国印刷工場 17 他の十円券以下のA号券と同様に透かし入っていない。なおA号券の紙幣用紙抄造については緊急かつ大量に必要となることから、印刷局工場だけでは賄いきれず一部民間製紙会社においても抄造が行われている。いずれも発行され日本銀行券の中では初めてのことであり、これ以降このような事例存在していない。 使用色数は、表面3色(内訳は主模様1色、地模様1色、印章記番号1色)、裏面1色となっている。印刷方式は、製造効率優先したため両面とも平版印刷である。A一円券やA十円券とは異なり製造期間短かったことから印刷方式変更行われなかった。 A五円券製造されたのは1946年昭和21年限りで、その2年後の1948年昭和23年)には五円硬貨(穴ナシ五円黄銅貨)が登場した現在法律上有効な唯一の五円紙幣である。仮に損傷紙幣としてこのA五円券日本銀行持ち込み、その面積半額交換相当(元の2/5以上2/3未満)であった場合は、1円未満端数切り捨てられるため、2円として引き換えられる。

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