曲線通過性能の追求
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「鉄道車両の台車史」の記事における「曲線通過性能の追求」の解説
鉄道車両に限らず、車輪を使用する各種陸上交通機関において最も困難な問題は、曲線走行に伴う車輪と車体の位置関係や回転数の制御である。 たとえば、軌間1,067mmの鉄道で内周軌条において半径1,000mの真円を描く曲線軌道があるとした場合、単純計算でも内周と外周では、半周で約3,350mm、つまり3m以上もの距離差が生じる。ここで車輪径を日本の鉄道で一般に用いられる860mm径とした場合、このカーブを半周走行するだけで約1.25回転の回転数差が輪軸の左右で生じることになる。そうした回転数差は一般的な構造の輪軸では、踏面と呼ばれる車輪の軌条との接触面となる部分について、断面形状に一定角度の勾配や曲線を与え、また軌条の側でも頭頂部を緩く円弧を描いた形状とすることで解決している。このような工夫によって、左右の車輪がリジッドに車軸に固定された一般的な輪軸は、曲線通過時に車輪と軌条の間に縦横のクリープ力を発生させて接触位置を「滑らせ」ることで輪軸単体での自己操舵を実現し、複雑な機構なしでの円滑な曲線通過が可能なようになっているのである。だが、この方式は簡潔である一方で、極端な急曲線では左右の車輪の回転数差を吸収しきれず、また一般的な2軸ボギー台車の場合、いずれかの車輪について曲線の内外周差と車輪と軌条との間に角度差(アタック角)が発生することで主に車輪のフランジや踏面に大きな摩擦および摩耗、騒音などが生じ、さらに不適切な車輪形状の場合には、迫り上がり脱線などの原因になるという問題を抱えている。 こうした問題に対する最も原始的、かつ消極的な解決手段は、当該問題が発生する区間での軌条に対する塗油あるいは散水、つまり車輪と軌条の接触面に何らかの潤滑剤を介在させることで車輪と軌条の滑りを良くし、車両の円滑な通過を助ける、という方策であった。塗油は平坦線を走行する、つまり潤滑剤による摩擦係数の低下による空転をある程度無視できる路線で一般に使用され、散水は空転が全く許容できない急勾配線において保守負担の増加を承知の上で使用されてきた。だが、いずれにせよこれらの手法はあくまで対症療法でしかなく、曲線通過における問題の根本的な解決をなすものではない。 車輪の踏面形状と軌条の断面形状の最適化は、高速走行時の蛇行動対策の観点からも無視できないものである。このため第二次世界大戦後、高速運転を指向する各国、特に日本やフランス、ドイツなどで新しい車輪踏面・軌条断面形状が盛んに研究された。その成果として、円弧踏面、修正円弧踏面といった新しい踏面形状が次々に開発され、軌条についても日本のN形(40kgN形・50kgN形など)やT形(50kgT形。東海道新幹線用)などが順次開発・規格化されていった。だが、これらとて急曲線区間を抱える路線で使用される車両に適用するには、完全に満足のゆくものではなかった。 この問題に対する技術的・機械的な解決のアプローチは2つあった。 一つは、輪軸を左右で分割し、左右の車輪が別個に回転するようにする独立回転車輪方式。 もう一つは、通常平行である台車の各輪軸に何らかの形で操舵を可能とする機構を組み込み、各車輪単位で軌条に対するアタック角が極力0に近づくように操舵させる、あるいは台車そのものと車体の間でリンク結合を行い、台車の転向をコントロールすることで各輪軸のアタック角を最小限に抑制する、自己操舵方式である。 これらのうち、独立回転車輪方式には各車輪が個別の回転数を取り得るため車輪の偏摩耗や曲線通過時の大きな騒音が発生せず、また車軸の全長が短くて済むためばね下重量も軽減される、といったメリットが存在する。 だが、この方式にはそうした魅力的な利点の一方で、以下のような解決の困難な問題が存在した。 左右の車輪間のバックゲージ保持が困難 各車輪を支持する軸受の構造複雑化が不可避 動力台車における動力伝達が難しい 特にこの機構ではバックゲージの保持が保証されない場合、脱輪によって脱線に直結する危険がある。それゆえ、フェイルセーフ性が特に重視される鉄道において独立回転車輪方式を実用化するためには、このバックゲージ保持の機械的な保証は、必ず解決せねばならない問題であった。また、各軸受の負担すべき荷重は通常の輪軸の場合と比較して単純計算で約半分となるが、軸受そのものの数は倍増するため、軸箱支持機構は全体が自ずと複雑・大型化することになる。さらに、車輪の回転数が左右で異なることを許容するということは、各車輪に主電動機を内装するダイレクトドライブ方式やそもそも車輪を駆動に用いないリニアモーター方式などを別にすると、駆動装置にも左右の輪軸間の回転数差を許容するディファレンシャル・ギアなどの差動装置を組み込む必要がある、ということを意味していた。 一般に使用される鉄道車両として、この独立回転車輪方式を実用化した最初期の事例に、スペインで1942年に開発された「タルゴI」客車がある。独立回転車輪方式の1軸台車と前後の車体をリンク機構で結合した、特徴的な連接構造を備えるこの超軽量客車は低重心化と軽量化のために床面を極端に引き下げた結果、貫通路が通常の輪軸であれば車軸が存在するべきスペースを使用するため、またスペインの鉄道は超広軌であるため、特に小直径の車輪を使用する場合、曲線区間の内外周差が無視できないほど大きくなったことから、独立回転車輪方式を半ば以上必然的に採用した。 この「タルゴ」シリーズはフランコ政権末期に設計された3世代目の「タルゴIII」でほぼ完成の域に達した。さらに派生モデルである「タルゴIII-RD」で軌間可変機構が実用化されたこともあり、このシリーズとその改良・発展型は以後長らくスペイン国鉄の代表的車種の一つとして使用されることとなった。 だが、「タルゴ」が一定の成功を収めたにもかかわらず、タルゴ社からライセンス供与を受けて製作された車両を除き、この「タルゴ」を追って独立回転車輪方式の採用に踏み切る鉄道は、その後しばらくの間現れなかった。一般的なボギー台車を備える鉄道車両、例えば電車などの動力車においては左右の車輪の回転数差を吸収するために何らかの装置を組み込む必要があるなど駆動装置の複雑化が避けられず、この方式を採用することによる曲線通過時の負担低減などのメリットよりも、そうした機構の複雑化がもたらすデメリットの方が大きかったためである。 ただし、この時期に独立回転車輪方式を通常の2軸ボギー台車に適用しよう、という動きが全く存在していなかった訳ではない。例えば1959年には、日本の京阪神急行電鉄が蛇行動対策と走行抵抗の軽減を目的として「自由回転車輪」と称する通常の台車に組み込み可能で左右の車輪が独立回転する輪軸を製作、これを同社京都線の1500形1528の4軸全てに組み込み、1959年4月から約1年にわたって長期試験を実施した。この実験では独立回転車輪の走行特性について、常に一方の車輪のフランジが軌条側面に接触して走行しようとする、つまり片寄って走行しようとする性質があることなど、貴重な知見が得られた。 また、1962年には空気ばね台車の開発で名を馳せた汽車製造大阪製作所の台車設計グループがKS-68と称する独立回転車輪方式台車を1両分試作し、京阪電気鉄道の1810形1815に装着、同年4月から約半年にわたって走行試験を繰り返し、こちらも貴重なデータを収集している。このKS-68は平面形がS字状の、つまり左右非対称構造の台車枠を採用し、一方の車輪を内側軸箱支持、もう一方の車輪を外側支持として左右いずれの面から見ても一方のスポーク車輪が露出する特異な外観を備えていた。なお、この台車は主電動機を装架する動台車であり、曲線通過時に生じる左右の車輪の回転数差を自動車用のリミテッド・ディファレンシャル・ギアにより吸収する機構を採用するなど、その内部機構についても非常に野心的な設計を導入していた。 このKS-68の走行試験結果は良好であったとされるが、バックゲージの保持が難しいという問題は解決せず、また差動装置など複雑な駆動メカニズムを採用する関係で保守が難しいという問題も存在した。しかもこの方式は主電動機の1台車2基装架が困難で、そのためこの台車を採用した場合には全電動車方式とせねば所定の性能が得られない、と結論され、この台車は本格採用が断念された。 この時代、他にも国鉄や小田急電鉄で同時期に同様の独立回転車輪の試験が行われたが、いずれも曲線区間では高成績を残したものの直線区間での輪軸の偏りの問題が解決せず、こうして1970年代に入る頃までには、日本の鉄道各社で独立回転車輪方式の実用化に挑む例は途絶え、その後約20年近くに渡って基礎研究のレベルにとどめられることとなる。 1980年代後半になると、独立回転車輪は曲線通過とは別の目的で、各国において再び脚光を浴びるようになった。 例えば日本では、旧国鉄時代から営々と続けられてきた基礎研究の成果により、前後非対称特性の台車の有効性が見いだされた。これにより、車軸の軸端部にクラッチ機構を組み込んで進行方向後位の輪軸のみを選択的に独立回転車輪とすることで、通常状態でロックした前位輪軸によって自己操舵性を確保しつつ、蛇行動安定性を後位の独立回転車輪によって得られることが明らかとなった。これは、曲線走行性能の向上手段として独立回転車輪を用いる、という従来の発想から脱却し、超高速走行時の安定性を高める手段の一つとして、独立回転車輪の応用を図ったものであった。 また、同じ時期にヨーロッパではLRTの低床化の手段として、つまり左右の車輪間を結ぶ車軸を省略することで通路床面高さの引き下げを実現すべく、独立回転車輪の採用が始まった。この目的での独立回転車輪の利用は1990年代以降完全に定着し、一般化している。 こうして応用的展開の研究が進む一方で、肝心の曲線通過特性の改善策としての独立回転車輪の開発も、この時期には再び盛んになった。 回転する駆動装置を持たないリニアモーターを動力源とし、また極端な急曲線と小直径車輪の組み合わせで使用される、いわゆるミニ地下鉄においては、台車の曲線通過性能の向上は緊喫の課題であった。 実際の量産車においては後述するように自己操舵台車が一般化したが、その研究開発の過程で急曲線通過特性の改善と騒音の減少を目指し、粉体クラッチによる独立回転車輪機構を組み込んだ輪軸が試用されたのである。 この輪軸は、高速回転する場合にはその遠心力によってクラッチが働き、車輪と車軸がロックされて左右の車輪が同じ回転数で同期回転するが、車輪の踏面勾配では回転数の差を吸収できないほどの急曲線を走行する低速時には、遠心力の低下でクラッチが切れて独立回転車輪となる、という性質を備えている。 この輪軸もまた実用化には至っていないが、駆動系が輪軸に依存しないリニアモーター方式の場合、ディファレンシャルギアによる差動機構も不要であるためその採用に当たっての技術的なハードルは一般の鉄道車両に比較して低く、1990年代以降も研究が続いている。 このように技術的なハードルの高さなどから独立回転車輪方式が限られた分野でのみ実用化される一方で、自己操舵台車は比較的古くから実用に供されていたことで知られている。 自己操舵台車の発端は、ボギー台車と同様、蒸気機関車の先台車にあった。 蒸気機関車を高速で円滑に曲線を通過させるための案内装置として実用化された先台車では、高速安定性などの点で有利とされた2軸先台車とは別に、クラウス・ヘルムホルツ式、ツァラ式など1軸の先輪と第1動輪をリンクなどで結合しその位置関係を機械的に変化させることで、転向性能の点で不利だがコスト面や全長短縮の点では有利な1軸先台車において曲線通過時の動輪のフランジ摩耗を軽減する機構が19世紀から実用に供されていた。 ボギー台車の導入前の一時期、次第に大型化する路面電車やインターアーバンにおいて、2軸のまま長軸距・大型車体を実現する必要に迫られた車両メーカーが、こうした機構を2軸単台車に援用することに思い至ったのは、ごく自然な展開であった。世界最大の機関車メーカーとして知られたボールドウィン・ロコモティブ・ワークスがラジアル台車と呼んで製品化したこの機構は、2つの輪軸の左右それぞれの軸箱をX字状にクロスアンカー・リンクで結合し、曲線区間で2つの輪軸の位置関係を平行だけでなく自由にハの字、あるいは逆ハの字に変化できるようにしたものであった。もっともこの種の台車では、車軸の位置関係がハの字あるいは逆ハの字に変化すると言ってもその変化量はごく僅かで、軸箱と台車枠の間の支持機構の複雑さの割に得られるメリットは少なく、むしろ高速走行時の直進安定性に重要な車軸の前後支持剛性が著しく低下するため1軸蛇行動を抑制できず、比較的低速度でも直進安定性が阻害されて乗り心地が著しく悪化する、という問題を抱えていた。そのため、例えば日本でラジアル台車を導入した事業者はその多くが複雑な軸箱支持部の摺動部品の保守に辟易し、また直進安定性の悪さに悩んだ末に曲線通過性能の著しい低下を承知でラジアル機構をロックして通常の2軸単台車相当として使用し、さらに以後の増備を一般的な2軸ボギー台車装着車に切り替えており、他国でも概ね同様の傾向を示した。 こうして一度は技術発達の本流から外れた自己操舵台車であるが、この機構が急曲線通過におけるアタック角の減少による軌条横圧やフランジ摩耗、それにきしり音の低減に大きな効果を持つことには変わりはなかった。 そのため、1970年代に入り南アフリカのハーバート・シッフェル(Herbert Scheffel)によって急曲線区間での使用を目的とするシッフェル式台車として、ラジアル台車のメカニズムをほぼそのまま2軸ボギー台車に適用した台車が開発された。もっとも、これは同じ原理に基づくラジアル台車が抱えていた、軸箱の前後支持剛性の低さ故の直進安定性の悪さをそのまま継承しており、高速運転に適するものではなかった。このため、この種のクロスアンカーリンクを使用した自己操舵台車は、その歴史の古さの割に広く普及するには至っていない。
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