旧国鉄時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 03:06 UTC 版)
リバイバルトレインの元祖は、日本国有鉄道(国鉄)が慢性的な赤字に苦しみ、様々な増収策を打ち出していた1970年代にさかのぼる。どれが元祖であるかという特定は困難であるが、一例としては1973年(昭和48年)に小海線で実施されたC56形によるSL列車の復活運転が挙げられる。これは熱心なファンの活動が国鉄当局を動かし、稼働状態で残っていたC56形による旅客列車を再現したものであった。小海線のC56形は1972年まで稼働したが、旅客列車は早い時期に気動車に置き換えられたため、消滅して10年以上が経過していた。特定の列車のリバイバルというよりは「C56形が牽引する旅客列車」というイメージの再現であったが、後述するようなオリジナルの車両と異なるケースをも「リバイバルトレイン」と称する現状を考慮すれば、立派なリバイバルトレインであったということができる。 明確に特定の列車のリバイバルとして運行された最も早い例は、1981年(昭和56年)7月に東海道新幹線開業前の代表列車「つばめ」を東海道本線東京駅 - 大阪駅間で「栄光の特急つばめ」と称して復活運転したものだった。客車は往時のものが残存していなかったため14系を用いたものの、食堂車も営業し、さらに機関車には定期運行時に実際使用していたEF58形(61号機)を用いた。この時には、学習院大学の女子大生が運行当時乗務していた旅客係「つばめガール」に当時の制服そのままに扮して乗務した。翌1982年(昭和57年)には「つばめ」の姉妹列車である「はと」も運転した。 その後、東海道・山陽本線を中心に「へいわ」、「うずしお」などが1983年(昭和58年)ごろまでに運転されたが、次第に目新しさがなくなったことや、国鉄分割民営化が具体的な日程に乗り、そうした列車を設定する余裕がなくなったこともあって、一旦姿を消した。
※この「旧国鉄時代」の解説は、「リバイバルトレイン」の解説の一部です。
「旧国鉄時代」を含む「リバイバルトレイン」の記事については、「リバイバルトレイン」の概要を参照ください。
- 旧国鉄時代のページへのリンク