曲線救国から人民解放軍へとは? わかりやすく解説

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曲線救国から人民解放軍へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/16 20:53 UTC 版)

呉化文」の記事における「曲線救国から人民解放軍へ」の解説

1943年民国32年1月18日呉化文汪兆銘政権への参加表明する。なお、この呉の投降は、国民政府農林部長沈鴻烈(かつての呉の上官)の指示よるもので、しかも蒋介石黙認得たものであったとされるいわゆる曲線救国」)。軍は山東方面軍改組され、呉がそのまま総司令に留まった。7月山東方面軍和平建国第3方面軍改組され、そのまま呉が上将総司令の職をつとめている。1945年民国34年1月軍事委員委員に任ぜられた。 日中戦争終結後呉化文は再び蒋介石配下に戻る。和平建国第3方面軍国民革命軍第5路軍に改組され、呉がやはり総司令をつとめ、さらに津浦鉄路南警備司令兼ねた1946年民国34年)、山東保安第2縦隊司令に任ぜられる。翌年2月には部隊が整編第84師に改組され、そのまま師長をつとめる。1948年民国37年)、整編第96軍長済南西守備区指揮官となった同年9月中国共産党からの働きかけ応じる形で、呉化文は3個旅2万人率い済南中国共産党への帰順宣言(起義)した。翌月中国人民解放軍第35軍軍長に任ぜられ、12月には淮海戦役参加南京占領している。中華人民共和国建国後、呉は病気理由軍人から引退し政治家に転じた1951年浙江省人民政府委員交通庁長に任ぜられている。また、中国人民政治協商会議全国委員会委員浙江省政治協商会議副主席つとめた建国前軍功から、一級解放勲章授与されている。 1962年4月病没享年59。呉の死去にあたり周恩来陳毅及び8大軍区から献花なされている。

※この「曲線救国から人民解放軍へ」の解説は、「呉化文」の解説の一部です。
「曲線救国から人民解放軍へ」を含む「呉化文」の記事については、「呉化文」の概要を参照ください。

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