再び脚光を浴びる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/07 16:32 UTC 版)
「リチャード・レストック」の記事における「再び脚光を浴びる」の解説
西インド諸島にいたとき、レストックはエドワード・ヴァーノン(英語版)海軍中将によって代将と艦隊の第3指揮官に任命された。レストックはヴァーノンの海軍作戦会議にも参加した。カルタヘナ・デ・インディアスの海戦では1741年3月23日にサン・ルイス砦への攻撃を率いるよう命じられたが敗北に終わり、ボインも大破した。同年夏、レストックはプリンセス・キャロライナに乗ってイングランドに帰国した後、ネプチューンの指揮を執り、地中海艦隊総指揮官に任命された後、1741年11月に増援の大部隊を派遣した。 悪天候により出港は数週間延期され、ニコラス・ハドック(英語版)海軍中将率いる艦隊との合流は1742年1月末までずれ込んだ。そのときまでにレストックの艦隊は天候により損傷し、船員の多くが病気になったか死亡したが、レストックは1742年3月13日に海軍少将に昇進した。数か月後、ハドックは健康の悪化により帰国を余儀なくされ、レストックが暫定総指揮官を務めた。彼はそのまま本国から総指揮官として正式に任命されると期待したが、トマス・マシューズ中将が指揮を執るために派遣されたと知りひどく失望した。
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