再び細川家へ伝来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 03:04 UTC 版)
その後、1662年(寛文2年)に金百枚の折紙を極められて、その後は細川家の所有となる。稲葉家から細川家へと所有が移った経緯は明らかではないが、刀剣研究家の福永酔剣は、著書『日本刀大百科事典』にて、正勝の弟である正利は徳川忠長(駿河駿府藩主、徳川家光の弟)に仕えていたが、忠長は数々の不行跡のため改易された。重臣であった正利も連座して1634年(寛永11年)3月に細川家の預かりとなり、1676年(延宝4年)に赦免されることがないまま肥後国で逝去したが、正利の逝去時に今までお世話になったお礼として、篭手切江のかつての所有者である細川家へ贈られたものとしている。また、細川家からも本阿弥家に鑑定に持ち寄られた際には金百三十枚と値上げしている。
※この「再び細川家へ伝来」の解説は、「篭手切江」の解説の一部です。
「再び細川家へ伝来」を含む「篭手切江」の記事については、「篭手切江」の概要を参照ください。
- 再び細川家へ伝来のページへのリンク