再び籠城戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/17 19:43 UTC 版)
趙昂は姜叙たちと馬超を討つ計画を立てた後、王異に「我々の計画はこの通りだが、人質の趙月をどうしようか」と訊ねた。王異は「忠義を立てて君父の恥辱をそそぐためなら、自分の首を失ったとしても大したことではありません。まして一人の息子がなんだと言うのです。そもそも項託や顔回は百歳まで生きたでしょうか。義を尊ぶだけです」と述べた。趙昂はこの言で自らの考えに確信を持ち、尹奉らとともに馬超を冀城から閉め出した。行き場を失った馬超は漢中に逃げた。 後に、張魯の助けを得た馬超が攻め上がってきたが、王異は夫とともに祁山へ立て籠もり戦った。三十日が経過すると救援の張郃が到着し包囲が解けたため、馬超は人質だった趙月を殺すことになった。 冀城が襲われてから祁山を守備することになるまで、王異は趙昂の九つの奇計実行を補佐し、その勝利に貢献した。
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