再び荻窪に戻る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 18:18 UTC 版)
そして1973年(昭和48年)、再び荻窪に戻り、第三シャシー設計部の第三シャシー設計課に配属となる。(課長は伊藤修令。) 当時は、4代目スカイライン(ケンメリ)のマイナーチェンジの作業中だった。 そこでは、荻窪で設計する、スカイライン、パルサー(チェリーの後継車)、ニッサン・プリンス・ホーマー等の旧プリンス系の車両のシャシーを、横並びで担当した。この期間に、ケンメリのマイナーチェンジ版の足回りやパワステの設計も担当した。渡邉によれば、この頃、御料車のニッサン・プリンス・ロイヤル(S390P-1)の部品を交換してお納めし、恩賜の煙草を下賜され、感無量だったという。 当時は排ガス規制対応で多くの人を引き抜かれており、わずか2、3名で仕事を切り盛りしていた。その部署には1975年(昭和50年)まで在籍した。
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