再び見出した旅する自由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 04:17 UTC 版)
「ヴィフレド・ラム」の記事における「再び見出した旅する自由」の解説
戦争の終わりは、旅や出会い、新たな発見の終わりでもあった。彼の作品は、国際的な認知の対象であった。キューバを拠点とし、彼は1945年の終わり頃からハイチ人詩人クレモン・マグロワール・サン・オードと関係のあるハイチを訪れた。そしてフランスとニューヨーク(1946年と1948年)にも。島で独裁をもたらした1952年5月10日のバチスタのクーデター後-パリからスウェーデンを経てベネズエラに(1955年、1956年そして1957年)、マト=グロッソ(1956年)、メキシコ(1957年)、キューバ(1958年)、シカゴ(1958年と1960年)を訪れている。創作は決して止めず、記念碑的でトーテミズムかつ神話的、そして難解なカンバス、陶磁器の壁画、版画…作品上の初めてのモノグラフィの時期であった。1960年に若いスウェーデン人の芸術家ルー・ローリンと結婚する。カストロの革命後、キューバは彼を1963年に熱狂的な歓迎をもって受け入れた。ラムは頻繁に訪れ、大統領府のため絵画第三世界を描いた。
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