図書館開館後(2010年以降)
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「海士町中央図書館」の記事における「図書館開館後(2010年以降)」の解説
海士町役場に隣接する隠岐開発総合センターには、海士町中央公民館や海士町教育委員会事務局が入っている。海士町は図書館として使用する木造平屋建の建物(図書館棟)の増築を計画し、2010年(平成22年)3月19日に着工した。設計は松江市のIMU建築設計事務所、施工は鴻池組山陰支店。増築工事を含む総事業費は2億3049万5000円であり、うち図書館費は4474万2650円である。2010年10月16日、隠岐開発総合センターの1階に海士町中央図書館が開館した。開館時の蔵書数は9,895冊だった。専門書はほとんどなく、住民一人ひとりの要望に応えるのが難しい状況での開館だった。 2011年(平成23年)10月には公式ウェブサイトを開設し、オンライン蔵書目録(OPAC)を導入した。2011年度(平成23年度)には海士町立福井小学校が「子どもの読書活動優秀実践校」として文部科学大臣表彰を受け、2012年度(平成24年度)には海士町中央図書館が「子どもの読書活動優秀実践図書館」として文部科学大臣表彰を受けた。「子どもの読書活動優秀実践図書館」として表彰されたことで、過疎地域における図書館振興の先駆的モデルとして全国に知られるようになった。子どもにとって身近な学校図書館が充実していることで、休日に海士町中央図書館を訪れる子どもは年々増えている。 公民館図書室時代の2003年度(平成15年度)と図書館開館後の2013年度(平成25年度)を比較すると、図書の貸出数は8.7倍に増加している。2013年度の登録率は32.2%であり、登録者には島外者が759人含まれていた。2013年度の住民1人あたり蔵書数は9.8冊、2013年度の住民1人あたり貸出数は4.1冊、2013年度の登録者1人あたりの貸出数は12.8冊だった。2017年度の登録率は36.9%(島内のみ)、住民1人あたり蔵書数は15.2冊、住民1人あたり貸出数は5.1冊、登録者1人あたりの貸出数は11.4冊だった。 図書館には資料・情報提供にとどまらず多面的な役割が潜んでおり、図書館の充実が町の元気アップと魅力アップにつながると思います。また、町づくりの視点でみても、文化・教育・情報は町づくりに不可欠なものであり、これらの拠点施設である図書館は町にとって大切な存在であると思います。ハンデを抱える地方や僻地にこそ、町を下支えする図書館が必要なのではないでしょうか — 「島根県隠岐島の海士町中央図書館にみんなで本を贈ろう!」プロジェクト概要より 海士町中央図書館の蔵書冊数(薄青は図書館開館前)年度 冊数 2003 約3,500 2011 13,287 2013 23,064 2015 31,012 海士町中央図書館の貸出冊数(薄緑は図書館開館前)年度 冊数 2003 1,189 2011 8,628 2013 10,429 2015 14,110 海士町は他自治体との合併を選択しない単独町政を決めており、2013年(平成25年)時点の図書購入費は年間約130万円と少額、蔵書数は約18,000冊であり専門書が少なかった。2013年5月に海士町を訪れた図書館関係者の話をきっかけとして、2013年10月には図書館と住民有志が協力して、蔵書の充実を目的としてクラウドファンディング「あま図書館応援プロジェクト」を立ち上げた。公共図書館としては全国初のクラウドファンディングである。目標は100万円だったが、2014年1月までに93人から124万5000円が集まり、住民とともに選書して約300冊を購入した。93人の支援者のうち78人は島根県外在住であり、関東地方からの支援金が50%を占めた。支援金のほかに図書そのものの寄贈も相次ぎ、2013年度だけで4,000冊以上が寄贈された。 2014年(平成26年)にはNPO法人知的資源イニシアティブ(IRI)が主催するLibrary of the Year 2014で優秀賞を受賞した。同年11月にパシフィコ横浜の図書館総合展で開催された最終選考会において、優秀賞4機関の中で最多の会場票を集めている。同年の大賞は京都府立総合資料館である。2015年(平成27年)4月12日には「しまとしょサミット 2015 in 海士町」を開催し、離島における図書館などの情報環境についての議論を行った。海士町中央図書館司書の磯谷奈緒子が「海士町中央図書館の冒険」と題した基調講演を行い、アカデミック・リソース・ガイドの岡本真が「離島の情報環境-LRG第10号の調査から」と題した事例報告を行っている。
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図書館開館後
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図書館開館後
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1907年(明治40年)9月13日 郡立真庭図書館として開館(図書館費総額1,241円、図書購入費800円、蔵書2,500冊)する。 開館にあたり建物は勝山町より真庭郡に寄附された真庭高等小学校の校舎(勝山町字城内96番地)が使われた。住民の便を図る為、郡内の町村に回送書庫も設置された。 1912年(明治45年)5月2日 真庭郡告示第13号により真庭郡立真庭図書館則が改正される。また、当時の記録によれば、蔵書数は洋書51冊、和漢書4,134冊とあり、年間の利用者数は館内4,699人、回送書庫15,483人の計20,182人となっている。 1913年(大正2年)4月8日 真庭郡立真庭図書館職員労務細則が認可される。 1923年(大正12年) 郡制廃止に伴い、管理が私立真庭教育会に移管され私立真庭図書館となる。 1946年(昭和21年) 勝山町営となる。これに伴い名称も勝山図書館に変更となる。 1952年(昭和27年) 名称が町立勝山図書館に変更となる。またこの当時の蔵書数は2,558冊とされている。 1963年 (昭和38年) 当時の統計によれば、蔵書数は一般7,422冊、児童370冊とある。また昭和38年度の利用状況は入館者数13,423人(館内)、15,039人(館外)、利用冊数15,039冊、資料費198,000円となっている。また当時の建物については、勝山町勝山に木造2階建て(156.3m²)とあり、専任の職員が2名おり、20席の閲覧室があったとされる。 1968年(昭和43年) 勝山公民館が大字本郷に新築され、図書館も同館内に移転される。 1978年(昭和53年)3月31日 この時点での蔵書数は12,791冊であり、年間利用者数は4,058名となっている。 1991年(平成3年)7月 図書館ボランティアサークル「麦の穂」サークルが開設される。 2005年(平成17年)3月31日 真庭郡勝山町・湯原町・落合町・久世町・川上村・八束村・中和村・美甘村、上房郡北房町の合併により真庭市が誕生し、同日をもって勝山町は廃止となる。これに伴い、名称も真庭市立勝山図書館となる。 2006年(平成18年)4月1日 真庭市立久世図書館と書籍データの併合を行うと共に、貸出冊数が10冊に変更される。
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図書館開館後(1979年 - )
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「高浜市立図書館」の記事における「図書館開館後(1979年 - )」の解説
1979年(昭和54年)4月11日に高浜市立図書館が開館した。開館に向けて一般書6,848冊、児童書3,302冊を購入しており、吉浜公民館図書室から移管された3,024冊を加えて、開館時の蔵書数は13,804冊だった。開館時には『大日本百科事典』などのJCコーナー、『世界大百科事典』などの内田繁春コーナーが設置されている。貸出方法にはブラウン方式が採用され、貸出冊数は3冊まで、貸出期間は2週間だった。開館年である1979年度の図書購入費は約1,500万円であり、うち1,000万円は寄付によるものである。1980年(昭和55年)度から1988年(昭和63年)度も500万円 - 570万円で推移している。 開館から1か月で1,385人が利用登録を行い、7,430冊が貸出された。開館から3か月後の7月11日には2階に郷土資料館が併設され、9月には図書館に三琇文庫が設置され、11月には美術書などの高浜卯辰会コーナーが設置され、1981年(昭和56年)11月には杉浦正俊コーナーが設置された。開館した1979年度の貸出冊数は60,044冊であり、市民1人あたり1.87冊だった。1980年(昭和55年)度からの7年間は5万冊台が続き、1987年(昭和62年)度に再び6万冊を上回って62,974冊となった。 1980年(昭和55年)10月には団体貸出サービスを、1981年(昭和56年)5月には紙芝居の貸出サービスを、7月には大活字本の貸出サービスを開始している。同年6月にはボランティアグループによる紙芝居の上演会も開始された。1988年(昭和63年)1月には『原色日本の美術』などの高浜ロータリークラブコーナーが設置され、12月には『世界の大遺跡』などの高浜子丑会コーナーが設置された。1988年(昭和63年)4月には委託方式で高取公民館図書室が設置された。蔵書数は1987年(昭和62年)度に5万冊を突破し、1988年(昭和63年)度末の蔵書数は58,277冊だった。
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図書館開館後
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