公民館図書室時代
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太平洋戦争後に公民館運動が全国的な高まりを見せると、丹羽郡大口村でも1946年(昭和21年)頃から有志によって公民館運動が推進された。1949年(昭和24年)に社会教育法が制定されると、1950年(昭和25年)4月29日には大口村公民館の竣工落成式が行われ、総建坪160坪の公民館の2階に9坪の図書室が設置された。1952年(昭和27年)には文部省によって全国優良公民館として表彰されている。 1962年(昭和37年)には大口村が町制施行して大口町となり、大口村公民館は大口町公民館に改称している。その後相次いで設置された地区公民館の図書部員が巡回貸出を実施していたものの、蔵書数の少なさから十分な成果は得られなかった。また、愛知県図書館は図書館未設置自治体に対して移動図書館車を運行しており、1人10冊まで・約3か月間貸出することができたが、移動図書館の利用は多くなかった。 町民からの強い要望により、大口町は図書館や老人福祉センターを含む総合福祉会館の建設を計画した。1977年(昭和52年)7月に大口町総合福祉会館の建設に着工し、1979年(昭和54年)3月30日に竣工式を行った。用地取得費は1億2000万円であり、工費は7億8211万8000円である。
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公民館図書室時代(1961-2004)
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「ゆうき図書館」の記事における「公民館図書室時代(1961-2004)」の解説
結城市は1954年(昭和29年)6月に、浦町児童公園に既にあった木造2階建ての建物を改装して結城市立公民館を設立した。この公民館には当初、図書室はなかったが、2階に郷土史資料室が設けられ、その後1961年(昭和36年)7月に図書室が設置された。1970年(昭和45年)8月に総工費1億6000万円をかけて鉄筋コンクリート構造4階建ての新しい結城市立公民館が建設されると、同年10月に最上階の4階に図書室が置かれた。 1986年(昭和61年)7月になると、「結城市公民館図書分室」として公民館から独立した建物を得て業務を開始した。結城市公民館図書分室は鉄筋コンクリート構造2階建て、延床面積457.6m2の建築物で、大町と通称される地域(結城13番地2)にあった。1987年(昭和62年)3月31日時点の蔵書数は12,696冊、職員数は4人で、うち2人は司書資格を有していた。1986年(昭和61年)度の利用登録者数は5,915人(うち児童が4,409人)で貸出冊数は34,014冊、開館時間は9時30分から17時まで、休館日は月曜日であった。また、公民館図書室としては珍しくレファレンスサービスも提供しており、電話により年間72件のレファレンスをこなしていた。 2004年(平成16年)5月15日にゆうき図書館が開館するにあたって、図書分室は閉室となった。その際、図書分室の保有していた図書の一部はゆうき図書館へと引き継がれた。閉室前の統計を見ると、2003年(平成15年)3月31日時点の蔵書数は85,236冊に増加、職員数は6人で、うち3人は司書資格を有していた。2002年(平成14年)度の利用登録者数は14,817人で貸出冊数は50,171冊、開館時間は10時から18時まで(土日は17時まで)、休館日は月曜日であった。
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公民館図書室時代(1979年 - 1994年)
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「あま市美和図書館」の記事における「公民館図書室時代(1979年 - 1994年)」の解説
1949年(昭和24年)に社会教育法が施行されると、昭和20年代には美和町役場西側に美和町公民館が建設された。美和町公民館のほかには、美和町立美和中学校の敷地内にある青年研修所も公民館的役割を果たした。 1979年(昭和54年)4月1日には海部郡美和町の美和町役場の東隣に美和町立中央公民館が開館し、公民館図書室が設置された。美和町立中央公民館の総工費は4億2834万6900円である。開室日は毎週日曜と水曜の2日間だった。1985年(昭和60年)時点の蔵書数は約6,300冊であり、年間の利用者数は約2,000人だった。 公民館図書室の設置から6年間は館内閲覧のみだったが、1985年3月には館外貸出を開始し、貸出冊数を2冊まで、貸出期間を2週間とした。その後は利用者の増加に応じて、図書のリクエストサービス、基本的蔵書以外のベストセラーや文庫本の購入、雑誌の貸出や新聞の設置、学校の夏季休暇中の図書室の開放などを行い、利用者に対する便宜を図った。1988年度(昭和63年度)末時点では約8,600冊の蔵書を有しており、1988年度の貸出人数は6,450人、1988年度の貸出冊数は14,536冊だった。 1991年(平成3年)4月には美和町第2次総合計画に基づいて文化会館と図書館の複合施設の建設を計画。1992年(平成4年)4月には複合施設の建設工事に着工した。1994年(平成6年)3月には中央公民館図書室を閉鎖し、また複合施設が竣工した。この複合施設は11,797.65m2の広大な敷地に建設されており、ふれあいの森と合わせて美和町文化の杜と呼ばれる。同年7月には美和町議会が図書館条例を制定した。
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公民館図書室時代(1951-2001)
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「尾鷲市立図書館」の記事における「公民館図書室時代(1951-2001)」の解説
1947年(昭和22年)に尾鷲町矢浜の住民が自前で公民館を設立したことに刺激を受けた尾鷲町青年団は、1949年(昭和24年)に公民館を開設しようと立ち上がった。この動きに呼応した尾鷲町当局は1949年(昭和24年)12月1日に尾鷲町立公民館を尾鷲町役場公会堂に設置した。公民館は自治体警察である尾鷲町警察の廃止に伴い空き庁舎となった南浦455番地の建物へ1951年(昭和26年)11月に移転した。尾鷲町立公民館には1951年(昭和26年)4月に尾鷲町立図書館が設けられ、図書館運営は公民館活動の3分野の中の1つと位置付けられた。図書館の目的は「町民の教育を高めるため」であり、閲覧時間は9時から20時(夏季は21時まで)であった。尾鷲町立公民館は活発な活動を行い、町民もこれに積極的に参加したことから、三重県庁や文部大臣らから数々の表彰を受けた。図書館は旧尾鷲町立図書館から蔵書の一部を引き継いだもののほとんどは新たに入手した図書で構成した。こうした開館の経緯は鳥羽町立図書館(現・鳥羽市立図書館)とよく似ている。 1954年(昭和29年)6月20日、尾鷲町は須賀利村・九鬼村・北輪内村・南輪内村と合併し尾鷲市となり、尾鷲町立公民館は尾鷲市立中央公民館に、尾鷲町立図書館は尾鷲市立図書館にそれぞれ改称した。1955年(昭和30年)には蔵書数4,441冊、閲覧者数41,312人と記録されている。1957年(昭和32年)10月1日に三重県立図書館尾鷲分館が市立図書館に併設されたが、1964年(昭和39年)3月に財政難を理由に閉鎖した。尾鷲市立中央公民館は手狭になってきたため、延床面積1,078m2の旧・尾鷲電報電話局の局舎を1千万円で買収し、400万円かけて改装し1967年(昭和42年)2月1日に移転した。新しい公民館には図書館のほか、大会議室、講座室、資料室、郷土室、市営結婚式場などが設けられていた。この頃の公民館の所在地は林町であった。 1980年(昭和55年)4月30日、レンガ風の外観をした新公民館へ移転し、図書館機能がその2階に設けられ、尾鷲市立中央公民館図書室に改称した。図書室は平成に入って以降、利用実績が急伸長した。1994年(平成6年)度の蔵書数は56,200冊であった。当時の閉館時間は平日が16時45分、休日が16時であった。1997年(平成9年)に図書の収蔵能力が限界に達し、原則として図書の寄贈を受け付けなくなった。またこの頃の図書室は図書館法に基づく図書館ではなく、コンピュータ導入のめどもつかず、手作業による貸し出しを続けていた。
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公民館図書室時代(1970-1977)
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「東海市立中央図書館」の記事における「公民館図書室時代(1970-1977)」の解説
1969年(昭和44年)4月1日、知多郡上野町と横須賀町が合併して、愛知県下23番目の市として東海市が誕生した。東海市は誕生から約1年間で16もの施設の建設を行っており、東海市役所北庁舎の南側に実質的な中央公民館である東海市立上野公民館の建設を計画。1969年10月に着工し、1970年(昭和45年)4月1日に竣工した。 上野公民館は鉄筋コンクリート造2階建であり、開館時の延床面積は1,046m2とも1,153m2とも。総工費は6480万円。1階には市民談話室・集会室・調理室・資料室が設置され、2階には講義室・展示室・図書室・会議室が設置された。 1968年(昭和43年)時点で蔵書数は3,496冊であり、内訳は文学が約2,300冊、歴史が約900冊、社会科学が約350冊などだった。1970年代には蔵書数を大きく増やし、1977年(昭和52年)時点では約42,000冊だった。1977年時点で東海市の人口は約96,000人に達していたが、図書館は設置されておらず、上野公民館図書室と移動図書館車「みどり号」で図書館サービスを行っていた。
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公民館図書室時代(1971-1978)
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「みよし市立中央図書館」の記事における「公民館図書室時代(1971-1978)」の解説
1971年(昭和46年)4月1日に三好町立中央公民館の2階に図書室が開館した。蔵書数は約1,000冊、閲覧席は20席であり、年間の貸出冊数は約6,000冊だった。同時に愛知県図書館の移動図書館が三好町に巡回を開始したが、1973年(昭和48年)12月1日には県図書館の移動巡回が廃止され、豊田加茂広域市町村圏移動図書館が巡回を開始した。豊田加茂広域市町村圏には旧東加茂郡・西加茂郡域にある豊田市、三好町、足助町、旭町、藤岡町、小原村、下山村の1市4町2村が加盟しており、三好町内では団地、児童館、福祉会館、公民館など10地点を巡回した。豊田加茂広域市町村圏では2005年(平成17年)に大規模な自治体合併が行われ、現在は豊田市とみよし市の2自治体に収斂している。
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