公民館図書室時代とは? わかりやすく解説

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公民館図書室時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/01 20:07 UTC 版)

大口町立図書館」の記事における「公民館図書室時代」の解説

太平洋戦争後に公民館運動全国的な高まり見せると、丹羽郡大口村でも1946年昭和21年)頃から有志によって公民館運動推進された。1949年昭和24年)に社会教育法制定されると、1950年昭和25年4月29日には大口村公民館竣工落成式が行われ、総建坪160坪の公民館2階に9坪の図書室設置された。1952年昭和27年)には文部省によって全国優良公民館として表彰されている。 1962年昭和37年)には大口村が町施行し大口町となり、大口村公民館大口町公民館改称している。その後相次いで設置され地区公民館図書部員巡回貸出実施していたものの、蔵書数少なさから十分な成果得られなかった。また、愛知県図書館図書館未設自治体に対して移動図書館車運行しており、1人10冊まで・約3か月貸出することができたが、移動図書館利用多くなかった町民からの強い要望により、大口町図書館老人福祉センターを含む総合福祉会館建設計画した1977年昭和52年7月大口町総合福祉会館建設着工し1979年昭和54年3月30日竣工式行った用地取得費は1億2000万円であり、工費は7億82118000円である。

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公民館図書室時代(1961-2004)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 04:24 UTC 版)

ゆうき図書館」の記事における「公民館図書室時代(1961-2004)」の解説

結城市1954年昭和29年6月に、浦町児童公園に既にあった木造2階建ての建物改装して結城市立公民館を設立した。この公民館には当初図書室はなかったが、2階郷土史資料室設けられその後1961年昭和36年7月図書室設置された。1970年昭和45年8月総工費1億6000万円をかけて鉄筋コンクリート構造4階建ての新し結城市立公民館が建設されると、同年10月最上階4階図書室置かれた。 1986年昭和61年7月になると、「結城市公民館図書分室」として公民館から独立した建物得て業務開始した結城市公民館図書分室鉄筋コンクリート構造2階建て、延床面積457.6m2の建築物で、大町通称される地域結城13番地2)にあった1987年昭和62年3月31日時点蔵書数12,696冊、職員数は4人で、うち2人司書資格有していた。1986年昭和61年)度の利用登録者数は5,915人(うち児童が4,409人)で貸出冊数34,014冊、開館時間は9時30分から17時まで、休館日は月曜日であったまた、公民館図書室としては珍しくレファレンスサービス提供しており、電話により年間72件のレファレンスこなしていた。 2004年平成16年5月15日ゆうき図書館開館するにあたって図書分室閉室となったその際図書分室保有していた図書一部ゆうき図書館へと引き継がれた。閉室前の統計を見ると、2003年平成15年3月31日時点蔵書数85,236冊に増加職員数は6人で、うち3人は司書資格有していた。2002年平成14年)度の利用登録者数は14,817人で貸出冊数50,171冊、開館時間は10時から18時まで(土日17時まで)、休館日は月曜日であった

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公民館図書室時代(1979年 - 1994年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 14:05 UTC 版)

あま市美和図書館」の記事における「公民館図書室時代(1979年 - 1994年)」の解説

1949年昭和24年)に社会教育法施行されると、昭和20年代には美和町役場西側美和町公民館建設された。美和町公民館のほかには、美和町美和中学校敷地内にある青年研修所公民館役割果たした1979年昭和54年4月1日には海部郡美和町美和町役場の東隣に美和町中央公民館開館し公民館図書室設置された。美和町中央公民館総工費は4億28346900円である。開室日は毎週日曜水曜2日間だった。1985年昭和60年時点蔵書数は約6,300冊であり、年間利用者数は約2,000人だった。 公民館図書室設置から6年間は館内閲覧のみだったが、1985年3月には館外貸出開始し貸出冊数を2冊まで、貸出期間を2週間とした。その後利用者の増加に応じて図書のリクエストサービス、基本的蔵書以外のベストセラー文庫本購入雑誌貸出新聞設置学校夏季休暇中の図書室開放などを行い利用者対す便宜図った1988年度昭和63年度)末時点では約8,600冊の蔵書有しており、1988年度貸出人数は6,450人、1988年度貸出冊数14,536冊だった。 1991年平成3年4月には美和町第2次総合計画基づいて文化会館図書館複合施設建設計画1992年平成4年4月には複合施設建設工事着工した1994年平成6年3月には中央公民館図書室閉鎖し、また複合施設竣工した。この複合施設11,797.65m2の広大な敷地建設されており、ふれあいの森合わせて美和町文化呼ばれる同年7月には美和町議会図書館条例制定した

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公民館図書室時代(1951-2001)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/18 17:38 UTC 版)

尾鷲市立図書館」の記事における「公民館図書室時代(1951-2001)」の解説

1947年昭和22年)に尾鷲町矢浜住民自前公民館設立したことに刺激受けた尾鷲町青年団は、1949年昭和24年)に公民館開設しようと立ち上がった。この動き呼応した尾鷲町当局1949年昭和24年12月1日尾鷲町立公民館を尾鷲町役場公会堂設置した公民館自治体警察である尾鷲町警察廃止に伴い空き庁舎となった南浦455番地建物1951年昭和26年11月移転した尾鷲町立公民館には1951年昭和26年4月尾鷲町立図書館設けられ図書館運営公民館活動の3分野の中の1つ位置付けられた。図書館目的は「町民教育高めるため」であり、閲覧時間は9時から20時(夏季21時まで)であった尾鷲町立公民館は活発な活動行い町民もこれに積極的に参加したことから、三重県庁文部大臣らから数々表彰受けた図書館は旧尾鷲町立図書館から蔵書一部引き継いだもののほとんどは新たに入手した図書構成したこうした開館の経緯鳥羽町図書館(現・鳥羽市立図書館)とよく似ている1954年昭和29年6月20日尾鷲町須賀利村九鬼村北輪内村南輪内村合併し尾鷲市となり、尾鷲町立公民館は尾鷲市立中央公民館に、尾鷲町立図書館尾鷲市立図書館それぞれ改称した1955年昭和30年)には蔵書数4,441冊、閲覧者41,312人と記録されている。1957年昭和32年10月1日三重県立図書館尾鷲分館市立図書館併設されたが、1964年昭和39年3月財政難理由閉鎖した尾鷲市立中央公民館手狭になってきたため、延床面積1,078m2の旧・尾鷲電報電話局局舎を1千万円で買収し400万円かけて改装し1967年昭和42年2月1日移転した新し公民館には図書館のほか、大会議室講座室、資料室郷土室、市営結婚式場などが設けられていた。この頃公民館所在地林町であった1980年昭和55年4月30日レンガ風の外観をした新公民館移転し図書館機能その2階に設けられ尾鷲市立中央公民館図書室改称した図書室平成入って以降利用実績急伸長した。1994年平成6年)度の蔵書数56,200であった当時閉館時間平日16時45分休日16時であった1997年平成9年)に図書収蔵能力限界達し原則として図書寄贈受け付けなくなった。またこの頃図書室図書館法に基づく図書館ではなくコンピュータ導入のめどもつかず、手作業による貸し出し続けていた。

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公民館図書室時代(1970-1977)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 10:23 UTC 版)

東海市立中央図書館」の記事における「公民館図書室時代(1970-1977)」の解説

1969年昭和44年4月1日知多郡上野町横須賀町合併して愛知県23番目の市として東海市誕生した東海市誕生から1年間16もの施設の建設行っており、東海市役所北庁舎南側実質的な中央公民館である東海市立上公民館建設計画1969年10月着工し1970年昭和45年4月1日竣工した上野公民館鉄筋コンクリート造2階建であり、開館時延床面積は1,046m2とも1,153m2とも。総工費は6480万円1階には市民談話室集会室調理室資料室設置され2階には講義室展示室・図書室会議室設置された。 1968年昭和43年時点蔵書数は3,496冊であり、内訳文学が約2,300冊、歴史が約900冊、社会科学が約350冊などだった。1970年代には蔵書数大きく増やし1977年昭和52年時点では約42,000冊だった。1977年時点東海市人口は約96,000人に達していたが、図書館設置されておらず、上野公民館図書室移動図書館車みどり号」で図書館サービス行っていた。

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公民館図書室時代(1971-1978)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 08:48 UTC 版)

みよし市立中央図書館」の記事における「公民館図書室時代(1971-1978)」の解説

1971年昭和46年4月1日三好町中央公民館2階図書室開館した蔵書数は約1,000冊、閲覧席20席であり、年間貸出冊数は約6,000冊だった。同時に愛知県図書館移動図書館三好町巡回開始したが、1973年昭和48年12月1日には県図書館移動巡回廃止され豊田加茂広域市町村圏移動図書館巡回開始した豊田加茂広域市町村圏には旧東加茂郡西加茂郡域にある豊田市三好町足助町旭町藤岡町小原村下山村の1市4町2加盟しており、三好町内では団地児童館福祉会館公民館など10地点巡回した豊田加茂広域市町村圏では2005年平成17年)に大規模な自治体合併が行われ、現在は豊田市みよし市の2自治体収斂している。

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