公民館図書館から公立図書館へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 17:26 UTC 版)
「帯広市図書館」の記事における「公民館図書館から公立図書館へ」の解説
1933年(昭和8年)に帯広町に市制が施行され、2年後の1935年(昭和10年)に市議会の議決によって名称が大典記念図書館に変更された。その後、建物の老朽化や狭あい化といった理由のほか、建物が軍の司令部に転用されたために数度の移転を経て、1950年(昭和25年)に市内西5条南9丁目に帯広図書館として移転開館した。また、この間、1945年(昭和20年)には、第二次世界大戦の戦局悪化により約半年間の閉館も経験した。 その後、サービスの充実が図られ、1954年(昭和29年)には児童室が開設されるとともに、16か所の移動図書ステーションが設置されたほか、15歳以上を対象とした図書の館外貸し出しも始まった。1955年(昭和30年)には、アイヌ研究者の吉田巖が収集した郷土の文化・歴史資料を編纂した帯広市教育叢書(現帯広叢書)の発行が始まった。また、1961年(昭和36年)には地域の文芸振興を図る取り組みとして、帯広市民文芸誌「市民文藝」が創刊された。 これまで帯広図書館は公民館図書館として運営されていたが、図書も整理されて公共図書館の一応の形態を整えたとして、1963年(昭和38年)3月30日に、図書館法にもとづく図書館として分離独立し、名称が帯広市図書館となった。 帯広市図書館として独立した後、1964年(昭和39年)に自動車文庫が始まり、1966年(昭和41年)には専用の移動図書館車が導入された。1968年(昭和43年)には市内西7条南7丁目に新築移転し、施設面の充実が図られた。並行して各種サービスの拡充も進められ、1967年(昭和42年)にレファレンスサービス、1972年(昭和47年)に複写サービスを開始、1983年(昭和58年)にはリクエスト(予約申込)制度が実施された。
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