明野町立図書館(1986-2005)
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1986年(昭和61年)4月に図書館条例が施行され、開館直前の7月初頭に水海道市立図書館(現・常総市立図書館)で職員研修を実施した。7月20日午前10時に開館し、明野町は茨城県で20番目の図書館設置自治体となった。県西地区では最初の町村立図書館であり、県西全体でも下館市立図書館、水海道市立図書館、古河市立図書館に次ぐ4番目の公立図書館であった。建設費は1985年(昭和60年)の日本国の補助事業を利用し、2億4600万円を要した。開館当初の蔵書数約2万5千冊に対し収蔵可能冊数は6万冊だったため、書架にはゆとりのある状態であった。開館当日は記念講演を含むセレモニーが開催され、多くの利用者で混雑した。富士通の技術者・尾見半左右が明野町出身であることにちなみ、富士通製のコンピュータシステムを利用した貸し出しを当初から採用していた。 しかし、開館から間もない8月4日から8月5日にかけて明野町は豪雨災害に見舞われ(8.5水害)、図書館員は救援活動に駆り出され、すでに準備していた開館を告げるチラシの配布は取りやめとなった。水害から2か月ほどは町の復興が優先され図書館はひっそりとしていたが、開館初年度の貸し出し実績は公民館図書室時代の40倍に跳ね上がった。開館間もなく三輪館長自らが語り手として絵本や紙芝居の読み聞かせを開始し、後に職員の担当制となった。 1987年(昭和62年)6月1日、館報「花さき山」を創刊した。館報は明野町の全戸に配布され、町内の学校から県内の図書館、更には日本図書館協会へも届けられた。1988年(昭和63年)度の町民に占める図書館利用登録率は54.1%で、蔵書数は町民1人当たり3.1冊に相当する55,462冊、貸出冊数は48,928冊であった。なお1989年(平成元年)時点で1人あたり5冊まで2週間借りることができた。同年2月28日、日本フィルハーモニー交響楽団の石井啓一郎らを招いて弦楽四重奏の音楽会を初めて開催し、以後図書館主催の音楽会を不定期に開催した。1991年(平成3年)7月に貸出冊数の制限は取り払われた。 1995年(平成7年)より読み聞かせの担当が図書館員からボランティアの「一歩朗読会」に交代した。2000年(平成12年)度に学校図書館との連絡協議会を立ち上げ、2001年(平成13年)度よりブックスタートを開始した。同年4月に開館以来の貸出冊数が100万冊を突破した。2003年(平成15年)4月23日、開館以来の子供への読書推進活動やブックスタート事業が評価され、子どもの読書活動優秀実践図書館として文部科学大臣表彰を受けた。
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