作中人物
★1a.戯曲の登場人物が、「自分たちは作者によって創り出された存在だ」と自覚している。
『作者を探す六人の登場人物』(ピランデルロ) 舞台稽古中の演出家や俳優たちの前に、「父親」「母親」「父違いの娘」など6人の家族が現れる。彼らは、作者の創造力から生み出されながらも、作品化されることなく見捨てられた登場人物だった。「自分たちのドラマを完成し、上演してくれる新しい作者を探しに来たのだ」と、彼らは演出家に訴える。
『ペール・ギュント』(イプセン)第5幕第2場 母親オーセ(オーゼ)の死後、ペール・ギュントは旅に出て、モロッコ、エジプトなどを放浪する。老年に達し、彼は故国ノルウェーへ帰ろうと船に乗るが、嵐が来て船は沈む。ペールが「おれは死んだりしないぞ!」と叫ぶと、一緒にいる船客が「心配ご無用。5幕半ばで主役が死んだりはしません」と言う〔*ペールは無事に故郷へたどり着く。恋人ソールヴェイ(ソルヴェーグ)が彼を迎える〕。
★1b.小説の登場人物が、「自分たちは作者によって創り出された存在だ」と自覚している。
『ソフィーの世界』(ゴルデル) 15歳になる少女ソフィーと彼女に哲学を教えるアルベルトは、自分たちが現実の人間ではなく、書かれつつある小説中の登場人物にすぎないことを知る。2人は、小説を書いているクナーグ少佐の無意識の奥にもぐり、少佐の精神から抜け出て、彼ら自身の意志で行動する。
『不滅』(クンデラ)第4部の17 1988年。あの世の小道を散策しつつ、死後27歳のヘミングウェイと、死後156歳のゲーテが語り合う。ゲーテは「貴方もご存じのとおり、私たちは、ある小説家の、軽薄な気まぐれの産物にすぎないのです」と言う。
『三つの棺』(カー) 密室内で、グリモー教授の射殺死体が発見される。名探偵フェル博士は、関係者たちに向かって、「これから推理小説の密室トリックの一般的機構とその発展について講義する」と言い出す。「なぜ推理小説を論ずるのか?」との問いに、博士は「我々は推理小説の中にいる人物だ。実在人物のふりをして読者をバカにするわけにはいかないからだ」と答える。
★1c.マンガの登場人物が、「自分たちは作者によって創り出された存在だ」と自覚している。
『サザエさん』(長谷川町子)第29巻118ページ 昭和39年(1964)の大晦日。大人になったカツオとワカメ、中年夫婦のサザエとマスオ、白髪の波平とフネが現れ、「(本当なら)サザエ一家もこうなってるところよ」「(マンガを)かきだして20年だもの」という会話をする。波平が「年をとらんとこだけがマンガはいいよなア」と言って笑う。
『ハレンチ学園』(永井豪)「ハレンチ大戦争の巻」~「ああハレンチ学園の巻」 ハレンチ学園の実態を見た大日本教育センターの大人たちが怒り、学園をつぶすべく強力な軍隊で攻め寄せ、戦争が始まる。生徒のイキドマリは「おれたち主役だから死ぬ心配ない」と言うが、山岸が「作者の永井豪は、主人公だって容赦はしない」と教える。イキドマリもアユちゃんも砲撃で身体を裂かれて死に、山岸と十兵衛は乱戦の中で生死不明になる。
★1d.舞台上で死んだ作中人物も、劇が終われば元気な姿で観客に挨拶する。
『日曜はダメよ』(ダッシン) イリアはギリシア悲劇が大好きだったが、彼女の劇の解釈は独特なものだった。『メディア』(*→〔子殺し〕6の『メデイア』)において、メディアは自分の子供2人を殺さず、一時期隠しただけで、ハッピーエンドだというのである。一緒に劇場に行ったホーマーが「子供を殺す場面を見たじゃないか」と言うと、イリアは劇終了後の舞台を指し示す。観客の拍手に応えて、メディア役の女優と子役2人が、にこやかに挨拶をしていた。
『はてしない物語』(エンデ) 少年バスチアンが、『はてしない物語』というタイトルの本を開き、物語を読み始める。物語の中では、さすらい山の古老が、『はてしない物語』というタイトルの本を書き記している。本の中には、バスチアンが『はてしない物語』という本を読む場面が記されている。バスチアンは、自分が物語中の人物になったことを知り、本の世界の中に入りこむ→〔本〕6。
『船乗りクプクプの冒険』(北杜夫) 小学生タローが買った、キタ・モリオ氏著『船乗りクプクプの冒険』は、「まえがき」と「あとがき」と本文が2ページだけで、あとはすべて白紙の本だった。あきれて本を閉じたタローは、目まいを感じたかと思うと、物語世界の中へ入ってしまい、彼自身が船乗りクプクプになっていた。タローは、物語世界でキタ・モリオ氏に出会うが、氏は編集者に追われて、どこかへ逃げ去った。タローは現実世界へ戻れず、クプクプとして自ら物語を作っていかねばならない。
★2b.自分の行動の記録が他者の手で物語として記されたため、物語中の人物になったことを知る。
『ドン・キホーテ』(セルバンテス)後編第32章・第59章 ドン・キホーテが3度目の遍歴に出た時には、彼の過去の旅は物語化され出版されて大勢の人々に読まれており、ドン・キホーテは自分が物語中の人物になったことを知る。さらに、贋作本『ドン・キホーテ』まで出回っており、「そこに『ドン・キホーテはサラゴーサの馬上槍試合に参加した』と書かれている」、と聞いたドン・キホーテは、その本がにせものであることを世間に示すため、予定していたサラゴーサ行きを取りやめる。
『ブヴァールとペキュシェ』(フロベール) 田舎に隠棲する初老のもと書記ブヴァールとペキュシェは、さまざまな奇行・愚行をして結局何も得られず、身にしみついた文献書写の仕事を再び始める。(*以下、結末構想ノート。蓮見重彦『物語批判序説』「Ⅰ」のⅡによる)2人はあらゆる文献を書写し、その中には、村医者が、変わり者の彼ら2人の全行動を要約して無害な愚者と結論した、知事あての報告書もある。ブヴァールとペキュシェが、ブヴァールとペキュシェの物語を書写する場面で、小説は終わる。
『博覧会』(三島由紀夫) 大庭貞三は、「私」が2~3枚書いて放棄した小説の主人公で、容貌も職業もわからない。ある日、大庭貞三が「私」に憑依し、公園を歩きつつ、「俺と世界には何の関係もない。俺は殺人を犯しても罰せられぬし、自殺しても生き返る」などと考える。やがて大庭貞三は「私」から離れて雑踏に紛れ、「私」はホッとして煙草に火をつける。
『イカロスの飛行』(クノー) 小説家ユベールの書きかけの原稿から、主要作中人物イカロスが逃げ出して、行方不明になる。ユベールは文学の進歩について考え、「いつの日か、すべての小説家は作中人物を失うだろう。作中人物のない小説なんて、想像するのがむずかしい」と思う。イカロスは街をさまよった末に、女性を連れて空へ飛び上がるが、高く昇りすぎて地面に落下する。ユベールはそれを見て原稿を閉じ、「すべてが予想どおりに起きた。私の小説は終わった」と言う。
*人工の翼をつけて飛行したイカロス→〔飛行〕2aの『変身物語』(オヴィディウス)巻8。
★3c.作中人物が作者を叱る。
『心学早染草(しんがくはやそめくさ)』(山東京伝) 理太郎青年は放蕩のあげく、追剥におちぶれる。道理先生が、儒・仏・神の尊い道を彼に教え、改心させる。道理先生は「このついでに、この本の作者をも叱ってやらねばならぬ。ずいぶん不埒じゃそうな」と言う。
『恥』(太宰治) 「私(23歳の女性)」は、戸田さんの小説の愛読者だ。小説によると、戸田さんは無学で貧乏で、長屋に住み、脚気の持病があり、頭のてっぺんが禿げ、歯がぼろぼろに欠けている。さもしい夫婦喧嘩をし、焼酎を飲んで地べたに寝るのだ。「私」は戸田さんを慰めてあげようと、逢いに行く。戸田さんの家は一戸建てで、上品な奥様がいらした。書斎の戸田さんは頭も禿げず歯も欠けず、きりっとした顔をしている。「私」は恥じ入るばかりだった。小説家なんて人の屑だわ。嘘ばっかり書いている。
『不在の日』(星新一『未来いそっぷ』) 小説の作中人物である「男」「老人」「青年」が、無能な作者を批判したあげく、諦めの境地にいたる。「われわれ作中人物は、どうあがいても、作者の意にあやつられる。それが運命だと諦めよう。現実世界の連中だって、一段上の何者かの気まぐれな意志に、支配され、あやつられているんじゃないか。でも、やつらはそれに気づかない。われわれは、自己の限界をわきまえているだけ、まだましだ」。
★4b.作中人物が現実世界に現れたかと思って、ギョッとする。
『愛と美について』(太宰治) ある日曜日、ロマンス好きの兄妹5人が物語の連作を始める。主人公の老博士が街へ散歩に出て、別れた妻に出会い、「今は、新しい妻と幸福に暮らしている」と告げる。帰宅した老博士は、誰もいない部屋の机上の写真に「ただいま」と言う。それは、別れた妻の若い頃の写真だった、という結末をつけて物語は終わる。その時、母が「おや、家の門に変なおじいさん立っています」と言ったので、兄妹5人はぎょっとして立ち上がる。母は笑い崩れる。
★5a.小説の作中人物(「男」)が、その小説を読んでいる読者(「彼」)をナイフで殺す。
『続いている公園』(コルタサル) 公園に面した書斎で、「彼」は肘掛け椅子にすわって小説を読んでいる。「彼」は小説の世界に引き込まれ、現実が遠のいていく。小説は密会する「男」と「女」の物語で、彼らは、密会の妨げになるもう1人の男を殺さねばならない。「男」は、「女」から教えられた屋敷へ踏み込み、ナイフを手にして書斎のドアを開ける。肘掛け椅子の背もたれの向こうに、小説を読んでいる「彼」の頭部が見える。
*本を読んでいる人の後ろ姿→〔後ろ〕4の『一千一秒物語』(稲垣足穂)「自分によく似た人」。
★5b.小説の作中人物(実は実在人物である「わたし」)が、その小説を読んでいる読者(「あなた」)をナイフで殺す。
『うしろを見るな』(ブラウン) 印刷業を営んでいた「わたし」は、1冊だけ特別に製本した短編小説集を書店の棚に置く。それを買った「あなた」だけに読ませる本だ。「わたし」は「あなた」を殺すために、尾行する。「あなた」の読んでいる小説の中で、作中人物の「わたし」が言う。「『わたし』は『あなた』のすぐ近くにいる」。「あなた」は「これは小説で、ただの作り話だ」と考えるだろう。背筋にナイフを感じるまでは。
『ミザリー』(ライナー) 小説家シェルダンは、人気のミザリー・シリーズを終わらせて別の新たな作品に取り組みたいと考え、シリーズ最終巻で主人公ミザリーを死なせる。ミザリー・シリーズのファンである看護婦アニーは、最終巻を読んで激怒し、シェルダンを一室に監禁して、ミザリーが生き返る続編を書け、と要求する。シェルダンはタイプライターに向かい、ミザリー復活の物語を書いてアニーをなだめる〔*最後には、シェルダンは自分の命を守るために、アニーを殺さざるを得なかった〕。
*コナン・ドイルは、シャーロック・ホームズがモリアティ教授と格闘して滝壺に落ちる物語を書いて、ホームズのシリーズを終わらせようとした(*→〔死体消失〕5の『最後の事件』)。しかし読者からの強い要求によって、ドイルはホームズを生還させ、さらにシリーズを続けることになった(*→〔足跡〕3の『空き家の冒険』)。
*作中人物である弥次郎兵衛・喜多八が、作者である十返舎一九とその弟子を名乗る→〔偽名〕2の『東海道中膝栗毛』5編下。
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