『恥 (Lajja)』
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「タスリマ・ナスリン」の記事における「『恥 (Lajja)』」の解説
1992年12月、ウッタル・プラデーシュ州(インド)のアヨーディヤーでムガル帝国初代スルタンのバーブルが建設したバーブリー・マスジドがヒンドゥー原理主義集団により破壊される事件が起き(アヨーディヤー事件)、これ以降インド各地でヒンドゥー原理主義者のイスラム教徒への攻撃が始まり、対抗してパキスタンやバングラデシュではヒンドゥー教徒に対する迫害が強まった。ナスリンは翌1993年2月に、イスラム教徒によるヒンドゥー教徒迫害を告発した『恥 (Lajja)』を出版。イスラム原理主義者らはさらに怒りを募らせ、過激派がファトワーを発令。ナスリンの殺害に5万タカの賞金をかけた。ナスリンは警察の保護下に置かれながら執筆活動を続けた。翌94年5月、今度はナスリンがカルカッタの英字新聞『ステーツマン』に掲載された記事に「コーランは書き換えられるべきである」と書いたために、大規模な抗議デモが各地で行われ、ナスリンはコーランではなくイスラム法(シャリーア)に対する批判だと説明したが、デモは勢いを増すばかりで、過激派からは死刑を求める声が上がり、さらに2件のファトワーが出された。ナスリンは逮捕され、世界各国のメディアが大々的に報じた。逮捕の理由は、コーランに関する彼女の発言が刑法第295 a条に定める冒涜にあたるということであった。刑法第295 a条には、「バングラデシュ市民のなかのいかなる集団の宗教感情についても、それを侮辱しようという計画的であからさまな悪意をもって、発言や文書など、あきらかに認識しうる表現によって、宗教や信仰を侮辱した者、あるいは侮辱しようとした者は、2年以下の懲役か罰金、あるいはその両方に処する」と規定されている。
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