他国との外交
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詳細は「バラク・オバマ政権の外交政策」を参照 イギリス 2009年3月、同盟国のイギリスからゴードン・ブラウン首相が訪問した。しかし、イギリスのマスコミは首脳会談の時間が短いと指摘するなど、オバマ側の応対に懐疑的な論調が強まっていた。首脳会談に際し、ブラウンは、イギリス海軍の帆船の廃材を加工したペンホルダーをオバマに贈呈した。その帆船は奴隷貿易撲滅活動に参加した経歴を持ち、姉妹船の廃材はホワイトハウスの大統領執務室の机にも使われていることから、考え抜かれた贈答品であると評価されていた。ところが、オバマからの返礼の品は、『スター・ウォーズ』など25枚のDVDであり、しかもイギリス国内では再生不可の規格「リージョン1」であった。 同様に首相の妻であるサラ・ブラウンは、オバマの娘たちのためにトップショップのドレス、ネックレス、イギリス人作家の本を贈ったが、ミシェルからの返礼の品はブラウンの男児のためのマリーンワンのおもちゃ2つであった。さらに、ホワイトハウスによりサラとミシェルの会談の写真が公表されたが、公開された写真は1枚のみでサラの後頭部しか写っていなかった。これらの応対の様子が公になると、『デイリー・メール』が「無作法な対応」 だと指摘し、『タイムズ』に至っては「これほどサラ夫人を見下し、うぬぼれた意思表示は無い」 と厳しく指摘するなど、火に油を注ぐ結果となった。 2009年4月、オバマ夫妻はバッキンガム宮殿を訪問したが、その際もミシェルはイギリス女王エリザベス2世の背中に手を回し身体に触れるなど、外交儀礼を無視した行動をとった。 日本 日米安全保障条約を締結するなどアメリカと関係の深い日本との間では、沖縄県の普天間基地移設問題などで民主党政権に移行した日本政府との間で軋轢が生じた。 政権交代以前の:2009年2月、日本から麻生太郎首相(当時)がアメリカを訪問し、オバマにとってはホワイトハウスで開催される初の外国首脳との会談となった。オバマとの首脳会談に際し、麻生ら日本側は外務省を通じて共同記者会見の開催を懇願したが、ホワイトハウスが拒否したため、共同記者会見は開催できなかった。日米首脳会談後に共同記者会見が開催されないのは極めて異例である。この麻生の訪米の以前に、アメリカはヒラリーを日本に派遣しているが、日本側は皇后とのお茶会を用意するなど、ヒラリーを閣僚クラスとしては破格のもてなしをしている(ヒラリー側の強い希望によるもので、宮内庁は外交儀礼上現職閣僚では無く元大統領夫人として招待)。そのため両国の対応の違いを比較して「アメリカは麻生政権を重視していないことの表れではないか」(江田憲司)という批判的な解釈をする論者もあった。 2009年11月にシンガポールで開催されるAPEC首脳会議に出席する途中の13日にオバマは来日(翌14日まで滞在)した。本来12日に来日予定であったが「テキサス州の陸軍基地で起きた銃乱射事件の追悼式に出席するため」として13日に変更された。13日から14日にわたる日本滞在では鳩山由紀夫首相主催の晩餐会と鳩山首相との首脳会談で「日米安保」について会談した。この会談でオバマは、鳩山が敬愛する第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの著作『勇気ある人々』の初版本を持参しプレゼントしている。なお、同共同記者会見では、9.11事件のムハマド被告の裁判に付いて触れ、公正な裁判が期待される旨を述べている(引用されたノーカット版では、「モハメド被告は…厳しい形で裁かれる」と通訳されているが、大統領自身は「justice」という用語を用いており、「公正に裁かれる」の意。なお、NHKでは、その様に通訳、報道されている。)。また、サントリーホールで特別に招待された小浜市長を含む日本国民を前に演説した。さらに皇居御所(スケジュールの都合で宮殿ではなく天皇の自宅にあたる御所となった)で天皇・皇后と昼食会など準国賓並みの待遇を受けた。この時天皇と握手した際に最敬礼に近い角度で深々とお辞儀をしたが、アメリカ国内の一部メディアからは「大統領が他国の君主に対して頭を下げるのは不適切」との批判の声が挙がった。このお辞儀についてケリー報道官は11月16日の記者会見で「天皇に対する尊敬の表れ」と述べて問題は無いとし、さらに「日本の国家元首と初めて会う際に敬意を示すことは、大統領にとって自然な振る舞いだ」と述べた。退任後も日本を訪れ、安倍首相と会談して旧交を温めている。 2010年11月13日、菅直人内閣総理大臣との日米首脳会談で、日本の国際連合安全保障理事会常任理事国入りを支持することを表明した。 また、ロシアや中国との領土関係問題での対応に苦慮する日本政府の立場を支持したり、北朝鮮による砲撃事件を契機として安全保障面での協力関係強化を主張するなど、日米同盟を基盤とした関係強化を重視した。 メキシコ メキシコはアメリカ合衆国と国境を接する国の1つであり、大統領就任前後に首脳会談を行うことが半ば慣例となっているなど両国関係は深い。しかし麻薬を巡る非難の応酬によりメキシコ首脳部が激怒する事態を招いた。 2009年1月12日にオバマとメキシコの大統領カルデロンとの非公式会談が行われたが、その直後アメリカ国防総省幹部が「メキシコは、いつ崩壊してもおかしくない国」 と名指しで批判したことが明らかになった。オバマ政権発足後も国務省が公文書中で「メキシコは、失敗国家」 と名指しで批判したことが発覚するなど、麻薬の蔓延が深刻化するメキシコへの批判が繰り返されたが、その中で世界最大の麻薬消費国であるアメリカについての自己批判や、アメリカの麻薬犯罪組織摘発の失敗などについては言及されなかった。 一方、カルデロンは麻薬撲滅を最重要政策の1つとして掲げており、捜査当局に摘発の強化を厳命した結果、およそ1年2ヶ月で捜査員や麻薬組織関係者ら約7300人の死者を出すほどの厳正な捜査が進められていた。ところが、その捜査によりアメリカ側の公務員が事件に関与していた疑いが強まり、アメリカの警察関係者800名近くが摘発されていた。このような経緯があるにもかかわらず一方的な非難が繰り返されたため、穏健な親米派と目されていたカルデロンが「麻薬撲滅の障害はアメリカの“汚職”だ。ギャングと癒着している自国の政府関係者もいるが、アメリカはもっと酷い。何人逮捕されていると思っているのか」 と激怒する事態となった。さらにカルデロンは「麻薬問題が解決しないのはアメリカが最大の消費国だからだ」 とも指摘している。 同年4月16日の首脳会談では、アメリカ国内の麻薬に対する需要がメキシコを混乱させた一因であることをオバマが自ら認め、メキシコとの関係改善を図っている。また、アメリカ合衆国からメキシコへの銃器の流入が麻薬組織と警察や軍との抗争を激化させている点も認めたが、流入防止のための銃規制強化については実施する考えがないことを明らかにした。 中華人民共和国 オバマ個人としては、異父妹の夫が中国系カナダ人であり、また異母弟にも中国人妻と結婚している者もいることから親戚筋を通じて中国と関わりを持ってはいる。 政権発足当初は、中華人民共和国との関係を深めようとする関与的な協調路線を採ったため、「親中派」であると評された事もあった。米中戦略経済対話の冒頭演説では、中国の思想家、孟子の教えを引用し、米中両国の相互理解を促した。また米中が緊密な協力関係を結ぶ新時代の幕開けへ向け、気候変動や自由貿易、イランの核開発問題など多くの課題で協力していくことで合意した。このような協力関係はG2と呼ばれた時期もあった。 2009年の米中首脳の会談の時点では、チベットや新疆ウイグルの独立問題や、中華人民共和国と中華民国の間における、いわゆる「台湾問題」では、中華人民共和国の立場を尊重し、それに対し中国の胡錦濤国家主席(党総書記)は「アメリカ側の理解と支持を希望する」と述べた。他にオバマはダライ・ラマ14世の訪米での会談を見送っており、人権派議員らに「北京への叩頭外交だ」と批判された。 しかしオバマ政権は、ブッシュ前大統領と同じように、2010年に入ると台湾へ総額64億ドル(約5800億円)に上る大規模な武器売却を決定するなど台湾関係法に準じた対応を行った。 2010年2月18日にオバマは訪米したダライ・ラマ14世と会談した際、中国政府と中国共産党は会談以前から猛烈な抗議と非難を行ったが、アメリカ政府は中国の抗議に取り合わない姿勢を表明していた。その後も中国政府は、オバマとダライ・ラマの会談に対して最大限の非難を繰り返した。 2010年9月に東アジアの軍事バランスの変化を重要視するアメリカとASEAN諸国との共同声明において、南シナ海の資源を狙って軍事活動を行う中国の動きを牽制する内容が盛り込まれた。ただし、米中の信頼醸成のために環太平洋合同演習(リムパック)への中国の参加を認め、環境政策では協力できるとしてパリ協定に中国と同時批准を行った。退任後も釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席(党総書記)と会見して中国との交流を深めたいと表明してる。
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日本 2014年4月24日に日本の安倍晋三首相と会談し、その後の記者会見で、日本の尖閣諸島は日米安全保障条約第5条の適用対象であり、アメリカは防衛義務を負うことを表明した。 キューバ 詳細は「キューバの雪解け」を参照 オバマは2013年春にキューバとの「ハイレベルでの接触」に着手した。アメリカとキューバの1年半に渡る秘密交渉では、カナダ政府とローマ教皇フランシスコが仲介役を担った。2013年12月10日には、南アフリカ共和国で執り行われたネルソン・マンデラの追悼式でオバマはスピーチの前にキューバ国家評議会議長ラウル・カストロに握手を求め、両首脳は双方の歩み寄りを示唆する握手を交わした。 2014年12月17日にオバマとカストロは国交正常化交渉の開始を電撃発表した。数か月以内に大使館を開設し、銀行や通商関係の正常化を話し合うことでも合意した。『ニュー・リパブリック(英語版)』はこの雪解けを「オバマ政権の最大の外交成果」だと位置づけている。 2015年7月1日にアメリカとキューバは54年ぶりに国交を回復することで正式合意した。オバマとカストロが親書を交わし、大使館を相互に開設することで一致した。2015年7月20日にワシントンD.C.の「キューバの利益代表部(英語版)」とハバナの「アメリカの利益代表部(英語版)」が大使館に格上げされ、アメリカとキューバ両国は1961年の断交以来54年ぶりに、国交の正常化を実現した。 2016年3月20日に現職の大統領として1928年以来88年ぶりにキューバを訪れた。
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