他国との連携
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 00:24 UTC 版)
「ムスチスラフ・ケルディシュ」の記事における「他国との連携」の解説
再編により縮小した後も、科学アカデミーが主に担っていた機能の一つが、国外の科学組織との連絡であり、総裁はソ連科学界の代表として、ソ連の影響下にある東側諸国に限らず多くの国を訪問した。総裁職に付随する特権の中で、ケルディシュが特に喜んだのはこの点で、公務で外遊し、国外の優れた科学者と会えることだったという。エジンバラ王立協会(英語版)の数学者イアン・スネドン(英語版)は、1965年にケルディシュがエジンバラ王立協会を訪れた際、晩餐会の席で上機嫌で挨拶する様子を書き残している。 ケルディシュは、東側諸国の科学アカデミーの連携強化だけでなく、アメリカやフランスとの協力関係の構築にも力を入れた。アメリカとは、アポロ11号の成功に対する祝電を機に、ケルディシュとアメリカ航空宇宙局 (NASA) 長官トーマス・O・ペイン(英語版)の間で書簡のやりとりが始まった。1970年には、レニングラードで開催された国際宇宙空間研究委員会に参加したNASA副長官ジョージ・ロウ(英語版)、直後にソ連を訪問した米国科学アカデミー総裁フィリップ・ハンドラー(英語版)が相次いでケルディシュと会談、宇宙開発でソ連とアメリカが協力する意義を確認し、具体的な協働へ向けた対話を継続することになった。1971年には、長官代行となったロウがモスクワへ招かれ、ケルディシュとの間で具体的な項目を挙げて協力への合意が成立した。これによって、アポロ・ソユーズテスト計画へ向けた米ソ両国の具体的な活動が始まった。1972年には、ハンドラーの招きによって、ソ連科学アカデミー総裁として初めて訪米、宇宙科学と関連の深い大学や研究所を見学している。 なお、1973年には、ケルディシュも署名したソ連科学アカデミー会員のサハロフ批判の書簡が公となり、米国科学アカデミーからケルディシュへ、サハロフ批判を止めるよう警告の電報が送られた。これに対しケルディシュは、非はサハロフにあり米国科学アカデミーの主張は事実無根だとしながらも、「サハロフはいかなる差別にもさらされたことはないし、今もさらされていない。サハロフが科学者として活動する機会は保証されている」と宣言し、両国の協力関係が途絶えることにはならなかった。
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