他国との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 05:44 UTC 版)
1911年にはひとりのチンロン選手が欧米各国でチンロンの技術を披露して回り、欧米人たちは文献以外で初めてチンロンに触れた。1924年の大英帝国博覧会でもミャンマーから派遣されたチンロンチームがチンロンの技術を披露しており、ウー・ロー・ポーはつま先・肩・膝・脛などを使って6個のチンロン球を同時に扱ったとされる。1955年にはビルマのサッカーチームが日本(東京と大阪)と中国に遠征して試合を行っているが、サッカー選手たちは各都市でチンロンの紹介も行った。1959年には第1回東南アジア競技大会(タイ)でチンロンが紹介されたが、この時にはビルマに加えて、タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、マレーシア、シンガポールなどでもチンロンを行う習慣があったことが知られている。1960年にはビルマのサッカーチームとチンロンチームが約1ヶ月かけて中国遠征を行い、サッカーの試合の合間にチンロンの技術を披露した。北京、西安、南京、上海、広東、昆明の6都市を回り、中国遠征に加わった選手は「北京帰り」という称号で紹介された。
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