中国との交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 01:45 UTC 版)
頻度こそ高くはないものの、南北朝の両者との交流を保っている。549年には梁から使者を受け、564年には北斉に朝貢して翌565年2月には<使持節・東夷校尉・楽浪郡公・新羅王>に冊封された。同年9月には陳からも使者を受け、566年から571年にかけてはほぼ毎年のように朝貢を行った。盛んに朝貢を行い、また冊封体制下に入ったものの正朔を奉じたわけではなく、先代からの建元に続けて、開国、大昌、鴻済といった独自の元号を使用し続けた。
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