いちじょう‐てんのう〔イチデウテンワウ〕【一条天皇】
一条天皇
兼家らの陰謀により花山天皇が退位した後、七歳にして践祚。
同時に当時十一歳だった花山天皇の異母弟居貞親王のちの三条天皇が皇太子となり、外祖父で右大臣の藤原兼家が摂政となった。
兼家一門は栄華を極めた。
初め藤原定子を皇后とし、敦康親王が生まれたが、翌年実権を握った藤原道長の娘彰子を中宮に立て、彰子との間に敦成親王のちの後一条天皇、敦良親王のちの後朱雀天皇が生まれた。
かの紫式部はこの中宮彰子に仕えた女房である。
一条天皇と藤原道長の関係は良好で、在位中は宮廷文化の花が咲き誇り、一条天皇は「寛弘の聖主」と称されるほどであった。
第66代天皇 | |
天皇名 | 一条天皇 |
読み方 | いちじょうてんのう |
名・諱等 | 懐仁親王 |
読み方 | やすひとしんのう |
時代区分 | 古代 |
天皇在位 | 986年から1011年 |
生年 | 980 |
没年 | 1011 |
父 | 円融天皇 |
母 | 藤原詮子 |
兄弟 | □□□ |
配偶者 | 藤原定子・彰子 |
皇子女 | 敦成親王・敦良親王 |
即位宮 | 平安京 |
天皇陵 | 圓融寺北陵 |
所在地 | 京都市右京区竜安寺朱山 |
一條天皇 圓融寺北陵
(いちじょうてんのう えんゆうじのきたのみささぎ)
一条天皇
一条天皇(いちじょうてんのう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 17:03 UTC 版)
「暴れん坊少納言」の記事における「一条天皇(いちじょうてんのう)」の解説
時の天皇。やや気弱ではあるがとても温厚なお人柄。中宮定子を寵愛するが、道長の策略によって彰子を女御とする。
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