藤原惟成
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藤原 惟成(ふじわら の これしげ/これなり)は、平安時代中期の貴族・歌人。初名は惟賢。字は式太[1]。藤原北家魚名流、右少弁・藤原雅材の長男。官位は正五位上・権左中弁。
注釈
出典
- ^ 『二中歴』
- ^ 『江談抄』
- ^ a b 『日本紀略』
- ^ 『扶桑略記』
- ^ 『栄花物語』巻第二,花山たづぬる中納言
- ^ 『勅撰作者部類』
- ^ 『古事談』第二 臣節「惟成清貧の事」
- ^ 『古事談』第二 臣節「惟成の妻、内助の功の事」
- ^ 『小右記目録』寛和2年6月23日条
- ^ 『古事談』第二 臣節「惟成、旧妻の怨みにより乞食となる事」
- ^ a b 『親信卿記』
- ^ 「天延2年記」(『続群書類従』29-下293所収)
- ^ 『一条大納言家歌合』
- ^ 『御産部類記』
- ^ 『源順集』
- ^ 『二中歴』第2
- ^ a b c d 『蔵人補任』
- ^ 『衛門府補任』
- ^ 『御歴代抄』
- ^ 黒板[1994: 91]
[続きの解説]
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