『Becoming]』所収論文とは? わかりやすく解説

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『Becoming]』(BC出版)所収論文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 07:32 UTC 版)

作田啓一」の記事における「『Becoming]』(BC出版所収論文」の解説

酒鬼薔薇君の欲動」『Becoming』1(⇒「酒鬼薔薇少年欲動『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):独り行った供犠向こう側に、彼は何を求めていたのか。 「孤独論」『Becoming』1:人間本性上社会的存在であると見る通説へのひとつのアンチ・テーゼデュルケーム『自殺論』読み直す。 「フェリーニ『道』」『Becoming』2。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):ジェルソミーナの無辜 (innocence) について。 「フロイトラカンによる昇華概念検討」『Becoming』2:欲動運動の終局現実的他者(母)が象徴的父のもとへ到来する。 「超社会化存在論基底」『Becoming』3:ベルクソンフロイト接点を見いだし、社会化論の限界明らかにする。 「ジョイスとシュレーバー――ラカンによる精神病へのアプローチ」『Becoming』4。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):ボロメオ結び目図形もとづいて2つ精神病特徴明らかにする。 「悪の類型論――ラカンジジェクによる」『Becoming』5。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):現実界象徴界想像界崩れたバランス中に悪の発生源を見る。 「真の自己2人の大他者――ラカンレヴィナスが交わる点」『Becoming』6。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):ラカンレヴィナスにおける大他者像を対照させることで、大他者との出会いにより真の自己形成されるという、超社会化論へ向かう。 「倒錯としてのいじめ」『Becoming』7。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):いじめのサディズム蔓延中に倒錯時代到来を見る。周辺人排斥というシステム論説明限界指摘。 「ロマン主義倒錯アノミー」『Becoming』8。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):ロマン主義思想検討つうじて社会学的概念であるアノミー中に精神分析の言う倒錯見いだす。 「ナルシシズムという倒錯」『Becoming』9。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):ナルシシスト価値体系否認して理想自我魅入られる。 「愛の深層――ラカンジジェク通して」『Becoming10。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):現実界根ざす愛の特徴明らかにし、この観点からレヴィナスエリス竹田の説を取り上げる。 「空虚感からの脱出――豊川市主婦刺殺事件少年」『Becoming11。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):動機なき殺人一事例の分析。この少年アスペルガー症候群とする診断疑問をいだく本論は、今日広がっている制度感情のずれに照明当てる。 「直接性倫理――ベルクソンそしてバディウジジェク」『Becoming12与えられ選択肢間の選択ではなく選択するかしないかの選択倫理見いだす思想。 「無意味空虚――ボロメオ結びからの発想」『Becoming13近代化に伴い広がった無意味感(ニヒリズム)に対処する教説として、予定説永遠回帰説をとりあげる。さらに現代広がる空虚感とそれに対処する思想についても言及する。 「ラカン通してニーチェ――A.ジュパンチッチ The Shortest Shadow を読む」『Becoming14ニーチェ哲学ラカン分析理論との間には思いのほか共通性がある。力への意志限りのない欲望、など。本論はこの斬新なアプローチ紹介。 「生の横溢鬱屈――ニーチェシェーラーのルサンティマン論をめぐって」『Becoming15弱者への同情をすべてルサンティマンとみなすことはできないシェーラーのこのニーチェ批判通し、愛の2形態を、ラカンの言う欲望欲動とに対応させる。 「羞恥論」『Becoming16:しばしば恥の中に含まれてしまう羞恥概念確立する試み。恥は社会的劣位露呈から生じるのに対し羞恥はその劣位とはかかわりなく、主体固有の自己の露呈から生じる。サルトルシェーラーなどの羞恥論の検討経て太宰治事例に及ぶ。 「島尾敏雄不安の文学」『Becoming17(⇒ 『現実界探偵――文学犯罪所収):高名となった死の棘』でこの作家病んだ妻への絶対的な自己放棄描いた近代的自我主張することの困難は、突然襲来する不気味なもの」への不安と通底している。ラカン理論手掛かりにした島尾文学読解。 「究極他者について」『Becoming18究極他者は、象徴化から洩れ落ちた現実界に根をおろす。脆弱者、逸脱者、神秘家など。これらのイメージアガンベンドゥルーズ-ガタリ枠組中にも対応物をもつ。 「武田泰淳――他者との遭遇」『Becoming19(⇒ 『現実界探偵――文学犯罪所収):この人ほど戦場戦後体験作品を書く動機づけとなった作家は珍しい。それはこの体験自己中心的世界の外に在る他者体験であったからだ。彼は自律的であるとされる主体他者により操られるという認識により、超近代的な作家となりえた。 「純粋な赦し巡って」『Becoming20無条件赦しは可能か。不可能だ。だがそれなしには不純な赦し実現しないデリダ)。純粋な赦しには純粋な正義対応する本論純粋な赦しの底に苦悩共有を見る。 「夢野久作――現実界探偵」『Becoming21(⇒ 『現実界探偵――文学犯罪所収):『ドグラ・マグラ』知られる夢野の魅力無意識の探求にある。それは予感分身など時空上のトラブルにかかわる。しかし彼はその内経験を反西欧イデオロギーへと移し替えた。 「報復正義赦し」『Becoming22報復から正義裁きに至る刑事制裁進化の過程は、その裁き母胎共同体そのものを裁く点まで到達する。その地点正義赦し向かって開かれる。これが攻撃性昇華である。 「殺人禁止の掟とその効力」『Becoming23(⇒ 『現実界探偵――文学犯罪所収):近代前期から後期へ移るに従い殺人禁止の掟の効力が更に弱まることを、ラカンの「言説」式を用いて表すと共に動機なき殺人実験型(『罪と罰』)とアノミー型を導出する。 「不特定多数を狙う犯罪」『Becoming24(⇒ 『現実界探偵――文学犯罪所収):ここ10年間、不特定多数を狙う秋葉原事件類する事件が5件発生している。その背景には階層的地位人間のすべてであるとする 社会一次元価値観がある。犯行はこの社会への怨恨から始まり、その価値覆い人間から剥奪しようとする破壊で終わる。 「文学的感動幻想」『Becoming25:『カラマーゾフの兄弟』の中の1つの夢を手掛かりフォースター人物の広がりについて論じている。人物はその自我の外に出ることで広がる本論はその観点から幻想の2タイプ区別する。 「自己愛憐憫――ルソードストエフスキーニーチェ」『Becoming26ルソーが自然の性向として仮定した自己愛憐憫が、ドストエフスキーニーチェにおいてどう展開されているか。この3人はデビュー当時準拠集団への訣別という共通性をもつ。本論ドストエフスキーまで。 「自己愛憐憫――ルソードストエフスキーニーチェ(続)」『Becoming27時としてニーチェエゴイズム称揚した思想家であると言われているが、じつは力への愛を主張していたのだ。有機物入り込んだ力は強者弱者とを分化させる。力の流れ円環運動する方向と垂直下降す方向とに分かれる。この観点から存在感情永遠回帰体験)やルサンチマン位置づける。 「対象不特定の報復」『Becoming28(⇒ 『現実界探偵――文学犯罪所収):秋葉原通り魔事件見られるような不特定多数を狙う一連の事件動機1つに、承認欲求無視した社会への怨恨が見いだされるこのような場合犠牲者とは的をしぼり切れなかったために拡散する報復宛先にすぎない本論は、この種の報復観点から、児童虐待を、そしてパリ郊外若者暴動検討している。 「「存在感情」と憐憫」『Becoming29本論2つ自我概念検討したあと、ニーチェふうの自我休息時に生じる「存在感情」(ルソー)の一側面として、憐憫位置づけている。続いて憐憫が、R.ローティ議論との照合において、社会統合基礎となる可能性を見る。 「日本近代文学見られる自我放棄――伊藤整枠組に従って」『Becoming30(⇒ 亀山佳明編『記憶リアルのゆくえ――文学社会学試み所収):今日自我評価をめぐり意見分かれているが、この観点から伊藤整昭和20年代仕事である私小説論が検討されている。彼は西洋風発想法による本格小説高く評価する一方日本風のそれによる私小説にも強い共感を示す。 「日本近代文学見られる自我放棄(続)――リアル現れる場所」『Becoming31(⇒ 亀山佳明編『記憶リアルのゆくえ――文学社会学試み所収):「集団力学認識」と「死または無による認識」という2つ発想法による作品において、それぞれリアル現れる場所が異な る。前者では諸項目間の隙間ナッシングが、後者では現象の底にサムシング現れる梶井太宰漱石古井由吉等様々の作品用いて検討。 「チェーホフ――絶望と希望文学」『Becoming32本論は I「絶望的な環境」 と II絶望する主体」 の2部から成る。Iではチェーホフ描いた1880~90年代ロシヤ現実農民都市生活者など5つ区分して記述IIではそれに対応して絶望しているチェーホフ主要作品分析する。しかし、その環境のせいだけとは言えないメタフィジカル彼の絶望原因を、筆者はその宿痾苦しんだ作家の死の強迫中に見いだす。その観点から従来謎とされてきたサハリン旅行動機を、一種カタルシス説によって説明している。最後に、その絶望にもかかわらず抱かれていた希望は、作家未来からの視線による、との解釈示される。 「漱石における夜の思想――「夢十夜」と「坑夫」を巡って I」『Becoming33:「夢十夜」を解読するために、筆者は「夜の思想」という概念提唱するそれぞれの夜における他界(死)の現れ方とそれの作中人物の受けとめ方を分析した石原千秋の論をたどり、他界外部性夢幻性に立ち会う。 「漱石における夜の思想――「夢十夜」と「坑夫」を巡って II」『Becoming34自殺願望をもつ主人公銅山入山から下山までのいきさつ書かれた「坑夫」を、夜の思想観点から読み通す。死への親近性からくる主人公放心背景にして、の中を歩くがごとくに描かれ入山場面景色は、一幅の動く絵画のように幻想的美しい。

※この「『Becoming]』(BC出版)所収論文」の解説は、「作田啓一」の解説の一部です。
「『Becoming]』(BC出版)所収論文」を含む「作田啓一」の記事については、「作田啓一」の概要を参照ください。

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