詰将棋
詰将棋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 14:55 UTC 版)
詰将棋作家としても知られる。中手数の制作を得意とするが、短手数の『脳トレ○手詰』はシリーズ化されている(監修を除けば、年齢が最も若いプロ棋士による詰将棋作品集となっている)。また、『将棋世界』誌における詰将棋サロンの選者を務めた実績も持つ。その他、BSプレミアム『将棋列伝』、早水千紗女流三段とともに『魅惑の詰将棋』などの司会も担当するなど、詰将棋の普及、啓蒙に精力的である。 また、詰将棋を解くのも得意であり、2007年5月5日に開催された第4回詰将棋解答選手権で優勝した(2位谷川浩司、3位広瀬章人)。しかし、子供の頃は詰将棋を解くのが苦手だったといい、得意となったのは奨励会時代に、詰将棋に打ち込んでからだという(前述『魅惑の詰将棋』による本人の発言)。
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詰将棋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/18 06:01 UTC 版)
宗看の詰将棋百番「象戯図式」(俗称:将棋駒競)は1649年(慶安2年)に献上された。これにより、八段に昇り、次期名人と目された者が名人襲位前に詰将棋を献上するしきたりはここから始まった。また、詰将棋の手余り(詰みの局面で持ち駒が余る)を廃した。
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詰将棋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/24 19:20 UTC 版)
詰将棋では献上図式である『象戯図式』(俗称:将棋勇略)の他に『将棋精妙』(全て不成を含む作品で、「成らず百番」の異名がある)、がある。 前者は一部が添田宗太夫の作ではないかという指摘がある。添田は当時の有力棋客の一人で詰将棋に優れた曲詰集である『象戯秘曲集』の他、1753年(宝暦3年)に開板した『象戯洗濯作物集』がある。なお、添田が伊藤家の門下で、宗印との競作部分が存在したのではないかという指摘がある。 後者は没後135年の安政5年に開板されており、序を付した八代伊藤宗印は「生涯に2百番の作図を残した人物は稀である」と称えているが、宗印のオリジナルかどうか疑問も持たれている。また、巻末の第99番と第100番は、玉方に妙手があって不詰となる「逃れ図」という趣向を持っている。
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詰将棋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/24 19:22 UTC 版)
宗看の残した詰将棋作品集『象戯作物』(俗称:『詰むや詰まざるや』『将棋無双』)は、詰将棋史上の傑作とされる。これにより、詰将棋の水準は格段に上がったとされる。『象戯作物』は、八段昇段が早かったため異例の名人就位6年後に献上された。
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詰将棋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:11 UTC 版)
連続王手で詰ます将棋クイズ。詰ます方を攻め方、逃げる玉の方を玉方というが、玉方は盤上以外の駒全部を合駒として使用できる。
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詰将棋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 17:26 UTC 版)
詰将棋作家としての一面がある。詰将棋専門誌『詰将棋パラダイス』が主催する「看寿賞」の1997年度特別賞を受賞した。 詰将棋作家の若島正が主催する「詰将棋解答選手権」に2007年から参加し、40代でありながら果敢に挑戦している。 2008年に、初の詰将棋作品集『光速の詰将棋』を刊行した。 2011年に、永世名人としては225年ぶりの図式集百番『月下推敲』を刊行した。2012年、本作が、第24回将棋ペンクラブ大賞特別賞を受賞する。
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詰将棋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 23:39 UTC 版)
宗桂は現存する最古の詰将棋集「象戯造物」の作者である。この作品集は、慶長年間に発行されている。 また、宗桂は将棋所に就任して4年目の元和2年(1616年)に、幕府に作品集を献上している。後の名人がこれに倣った事で、名人が幕府に作品集を献上するという慣習が生まれた。宗桂の詰将棋の作風は実戦的で力強いと森雞二は評している。手数は十数手詰めで、実戦的な手筋を多く用いており、江戸中期に盛んになった華麗な手筋を用いるものとは趣が異なる。 宗桂の詰将棋でもっとも有名なのは、俗に「香歩問題」として知られている15手詰めのものであろう。一見5手詰めに見えるが、玉方に銀をただで合駒する妙手があってなかなか詰まない。後世の大道詰将棋の客寄せ問題として使われ、大勢の庶民が頭を悩ました。 これ以前にも、山科言経が著した『言経卿記』の慶長7年(1602年)12月3日条に、「少将棊指の宗桂が来たりて了んぬ、少将棊の作物五十、一冊禁中へ進上申したきの由、来たりて了んぬ、予一冊之を与ふ」とあり、宗桂が言経を通して天皇に詰将棋集を献上しようとしたことが記されている。ただしこの詰将棋集は現存を確認できていない。
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詰将棋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/30 05:48 UTC 版)
詰将棋作家としても著名な内藤國雄九段は、プロ入り直後に見た1959年版の映画に着想を得て構想を重ね、40余年後の2001年に「ベン・ハー」と題する詰将棋を完成し発表した。「盤上、玉が斜めに動くのがゴルゴダの丘に向かうキリスト、槍(香)を斜めに打って、竜で追いかけるというのが戦車競争」との思いを込めた111手詰みの長編の中に数々の趣向が織り込まれていて、映画の世界観を表現するという詰将棋の新たな地平を切り拓いた名作と評価される[要出典]。
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詰将棋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 05:01 UTC 版)
看寿は指し将棋の実力もあったが、上述の『将棋図巧』により今日では詰将棋作家としての方が有名であり、年間で最も優れた詰将棋作品に与えられる賞である「看寿賞」にもその名が冠せられている。 享保10年(1725年)、7・8歳の時に詰将棋の批評をして兄の宗看を感嘆させたといわれ、享保16年(1731年)、13歳の時には601手の長編を作成したという。『将棋営中日記』には、江戸時代末期の十一代大橋宗桂は「作物の最上は伊藤看寿なり」と評していたことが記録されている。
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詰将棋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 15:25 UTC 版)
詰将棋の創作も手がけ、詰将棋の賞としては最高峰の看寿賞を1983年度に短編部門で受賞し、1994年度には同賞の特別賞を受賞している。プロ棋士で看寿賞を2度受賞したのは浦野が初である。 煙詰の愛好家でもあり、詰将棋パラダイス誌で行われたコンクールで優勝したこともある。優勝作品である「春時雨」は看寿賞の特別賞(前述)を受賞したが、後に二通りの余詰を指摘されている。 握り詰(無作為に選んだ駒だけを過不足なく使って作る詰将棋)の達人として知られている。NHK BS2で毎年1回放送されていた「大逆転将棋」でも何度か握り詰を披露している。特に2003年の同番組では、指定された駒を使って3題の詰将棋をつくることを課せられたが、それに成功したのはもちろん、その3題すべてを1か一の字の形で詰むようにまとめた。さらに、3題の詰め手数の合計が111手になることも狙っていたが、これは目論見がはずれて107手だった。 2004年2月に発売された『5手詰ハンドブック』は八重洲ブックセンター本店の趣味・娯楽・スポーツ部門において週間1位を記録。その後のシリーズ化された詰将棋ハンドブックシリーズはamazonの将棋部門において上位を占めており、ロングセラーとなっている。浦野と親交のある先崎学は本シリーズについて『作風にこだわりがあり、洗練されていることを最上とする人が、啓蒙書として易しい本を出した。だから五手詰といえども、美しい作品が多い。奥底に高度な技術を持っている人の作品というのは、どんなに軽く作っていても一味も二味も違うのである』と評している。 創作以外では、2006年まで将棋世界誌の詰将棋欄の担当を務めていた。2013年現在看寿賞の選考委員も務めている。また、2008年から詰将棋解答選手権の実行委員を務めている。 関西奨励会所属の都成竜馬が四段への昇段を決めた時には即席でその名前に掛けた詰将棋を作り、祝福した。
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詰将棋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 13:59 UTC 版)
詰将棋作家としても活動しており、本人曰く「詰将棋は実戦の終盤から発生したものだが、それだけで十分楽しめる小さな楽園のようなものだと思っている」という感想を述べている。また、ストーリーやメロディがある点で歌とも相通ずるものがあるとも答えている。発表作品は数千以上に上っており、緻密な作風が売りである。 代表作に「玉方(ぎょくかた)実戦初形」、「攻方(せめかた)実戦初形」、「ベン・ハー」がある。 実戦初形詰将棋ができるまで(この節は、1999年7月24日放送の「囲碁・将棋ジャーナル」における本人の談話を引用。)[信頼性要検証] 12歳で、「級」がつかないほど将棋が弱かったとき、江戸時代の棋士・伊藤看寿が著した詰将棋集「将棋図巧」(全100題)と出会う。そして、その第1番(第1題)を見て、「こんなにすごいのがあったのか」と驚く。それが将棋の道に進むきっかけになった。 しかし、第97番の玉方実戦初形詰将棋については、「(詰将棋の)神様の作品にしてはレベルが落ちる」と思ったという。その第97番とは、20枚の完全な実戦初形ではなく、6枚の歩(4三-9三の歩)がないものであった。そこで、奨励会時代に検討してみるが、「20枚は無理そうだ」と断念する。 それからだいぶ経って九段まで上りつめた後、「一度挑戦してみようか」と思い、1981年に玉方の20枚の駒全てが実戦初形の詰将棋を完成させる。しかし、これは、内藤本人によれば「それほど大変なことではなかった」らしい。 次に、1990年代後半に「攻方実戦初形」の詰将棋の創作に取り組むことになるが、上述の玉方実戦初形とは大違いで、詰将棋の作品としてのルールである「全ての駒に意味を持たせる」ことは困難を極めた。いったんできたと思えば不詰めで作り直し、あるいは、余詰めを発見して作り直しという試行錯誤の連続で、延べ500時間を要したという。あきらめかけていたある日、‘ひらめき’があり、ついに攻方実戦初形詰将棋は完成する。 できあがった作品は、73手詰めであった。詰め手順中、攻め方の自陣にある全ての駒に意味を持たせるため、相手玉は、盤上で自陣近くの左から右へ大きく移動する。左右2枚の香車も、それがなければ詰まないということで役割を果たす。7九の銀は、だいぶ後になってその場所に角を引く空間を作るための邪魔駒として、2手をかけて消去される。飛車を成り込んで角の開き王手をするときには、後でその竜を横に転換して王手するときに歩の中合いという受けの妙手を許さない場所へ成り込む。これらのように、単に実戦初形ということだけではなく、詰将棋としての面白みもある作品として仕上がった。 この「攻方実戦初形」で、1998年度(表彰年は1999年)の看寿賞特別賞を受賞した。ちなみに内藤本人の感想は、「長編詰将棋の作成に必要なのは、体力、少しの才能、そして、幸運」であった。
※この「詰将棋」の解説は、「内藤國雄」の解説の一部です。
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詰将棋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:40 UTC 版)
「好きを通り越して愛している」と公言する程の詰将棋愛好家であり、奨励会員時代から詰将棋解答選手権に参加し、第6回(2009年)で3位・第7回で5位・第8回~第9回で連続優勝と、その手腕を発揮している。プロ入り内定直後に行われた第9回の優勝インタビューでは、「僕の成績というより、今年は作品群が素晴らしく、素晴らしい作品を解かせていただいて幸せ」と発言した。 第16回(2019年)詰将棋解答選手権では第2ラウンドにおいて、この大会で優勝した藤井聡太七段(当時)より5分早く解答したうえに出場者の中で唯一の満点を出し準優勝した。 また、作家としても月刊「詰将棋パラダイス」誌で複数回の入選、半期賞の受賞も果たしている。
※この「詰将棋」の解説は、「斎藤慎太郎」の解説の一部です。
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「 詰将棋」の例文・使い方・用例・文例
- この詰将棋は僕には難解すぎる.
詰将棋と同じ種類の言葉
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