奨励会時代
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2001年に初段、2002年からプロ入りに一歩手前の三段リーグに参加。三段リーグ時代に下記の2つのことで話題となった。 1つ目は、2004年に通算2度目の次点(3位)となり、フリークラスの棋士としてプロ入りできる権利を得たにもかかわらず、この権利を放棄したことである。10勝6敗からの2連勝で獲得した権利ということもあり思ってもみなかったことだったため、「これでプロになっていいのか」と迷った。まだ16歳の佐藤に、師匠の中田功は「この歳でフリークラスに行って昇格を見据えた星勘定をするより、三段リーグで同年代のライバルたちと戦うほうがいい」と考え、奨励会残留を勧めたという。 2つ目は、61年ぶりのプロ編入試験として世間の注目を集めた瀬川晶司のプロ編入試験の第1局(2005年7月18日)の相手(試験官)を務めたことである。日本将棋連盟によると佐藤が試験官に選ばれた理由は、(瀬川がかつて奨励会を年齢制限で退会したにもかかわらず、再度プロ入りに挑戦しているのに対し)佐藤が上記のごとくフリークラスの権利を放棄したことから、「瀬川とは全く相反する勝負師観・人生観を持つ者として、奨励会員達の気持ちへの配慮をする上で相応しい」とされたことである。なお、この一局は公開対局として行われた。戦形は横歩取り8五飛となり、結果は91手で先手番の佐藤が勝った。 2006年度前期リーグで14勝4敗で戸辺誠に次ぐ2位の成績を収め、見事、フリークラスではなく順位戦に参加できる棋士として、同年秋にプロデビュー(四段昇段)した。
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奨励会時代
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将棋を始めたきっかけは、小学校5年生の時クラスで流行していた際に、担任の先生に褒められたこと。ブームが去った後ものめりこみ、小学校の卒業文集にはプロ棋士になりたいと記した。幼馴染でのちにアマ名人、アマ竜王となる渡辺健弥と切磋琢磨して腕を磨き、1983年に一旦は奨励会入会試験に落ちるも、1984年に全国中学生選抜将棋選手権大会で優勝し、安恵照剛門下で6級で奨励会に入る。 途中、1級で1年9か月停滞したが、21歳で奨励会三段リーグに入る。三段リーグには1992年から4年8期在籍していたが、最も高順位だったのは第16回(1994年後期)で、前半は8勝1敗と好調だったが年齢制限で後が無い勝又清和に敗れてから失速した末の8位であった(勝又は2位で四段昇段を果たす)結局昇段はかなわず、第18回(1995年後期)を最後に年齢制限(26歳)で退会。三段リーグの通算成績は72勝72敗の勝率5割であった。
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奨励会時代
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将棋を覚えたのは幼稚園の年長くらいのとき。父が兄(5歳上)に教え、その兄から教わった。 2004年、小学5年で、第29回小学生将棋名人戦に東京都多摩地区代表で出場、NHK教育テレビジョンで放映される決勝大会(準決勝・決勝)に進出し、準決勝で佐々木勇気に敗れて全国3位(優勝は佐々木勇気、準優勝は菅井竜也)。準決勝を戦った伊藤と佐々木は、共に石田和雄の経営する将棋道場に通っていた。この年の小学生将棋名人戦には、他に三枚堂達也、永瀬拓矢、斎藤慎太郎、佐々木大地、長谷部浩平、石川優太が代表選手として出場しており、女子の代表選手は伊藤のみであった。 同年9月29日、10歳で関東奨励会に入会(6級)。10歳での奨励会入会は女子では最年少記録である(2018年現在)。 2011年5月、2級のとき、里見香奈女流三冠の奨励会編入試験において、加藤桃子(当時2級)・西山朋佳(当時4級)とともに対戦相手を務める。里見は初戦で加藤に敗れたが伊藤と西山に勝ち、1級での編入を決める。 2011年7月17日の奨励会(関東)例会から6連勝し、8月24日の例会で1級に昇級。ライバルの加藤より一歩早い昇級であった。 その少し前の2011年5月27日、日本将棋連盟が『奨励会と女流棋士の重籍に関する件」について』を公表し、「女性の奨励会員が女流棋戦にエントリーし、出場することは自由である」としたことを受け、第5期マイナビ女子オープンと第1期女流王座戦に出場。 うち、第5期マイナビ女子オープンでは、予選第6ブロック決勝で村田智穂女流二段に敗れて本戦出場を逃した。 一方、第1期女流王座戦では予選を通過し、2011年7月から始まった本戦(16名によるトーナメント)では、元タイトルホルダーの石橋幸緒を破るなどしてベスト4に進出。しかし、9月21日の準決勝で加藤桃子との奨励会1級同士の対決で敗れた。なお、加藤は決勝五番勝負でも清水市代に勝ち、初代女流王座となった。 2013年10月12日、第7回白瀧あゆみ杯争奪戦(非公式戦)に奨励会員として初出場し、優勝した。 2014年9月30日、日本将棋連盟から、伊藤が1級で奨励会を退会し、女流棋士に転向することが公表された。伊藤が奨励会の年齢制限(21歳までに初段)を迎える1週間前のことであった。本来は「奨励会2級以上で退会の場合は、退会時の段級位でそのまま女流棋士の資格を得る」という規定に基づき女流1級となるが、伊藤は第7期マイナビ女子オープンでベスト4、第1・3・4期リコー杯女流王座戦でベスト4入りしており、「女流棋士昇段級規定」の女流初段の条件を満たしているため、2014年10月1日付で、関東所属の女流棋士初段となった。
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奨励会時代
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父と姉(3学年上)の影響で将棋を始め、5歳の時から将棋教室に通った。子供の頃から、男性と将棋を指すことが多かったという。中学2年の時に研修会の入会試験を受け、8連勝と好成績を挙げたことで奨励会入りを意識した。 2009年、全国中学生選抜将棋選手権大会女子の部で優勝。 2010年3月7日、中学2年で関西奨励会に入会(6級)。 2011年5月、里見香奈女流三冠(当時)の奨励会1級編入試験の対局相手となり、4級であった西山は香落ちの手合いで敗れた。 2014年1月、現行制度では女性として2人目・最年少の18歳7か月で初段に昇段。同年9月、女性として2人目・最年少の19歳2か月で二段に昇段。 2015年12月、女性として2人目・最年少の20歳5か月で三段に昇段。三段リーグには第59回(2016年度前期)から参加している。三段リーグで勝ち越しおよび次点の成績を挙げたことのある、史上唯一の女性である(2020年3月現在)。なお、三段リーグ参加の同期に藤井聡太がおり、藤井は最終局に勝利して1期抜けでプロ入りを決めたが、その最終局の相手が西山であった。 奨励会で修業する一方で女流棋戦にも参加し、2014年、第4期女流王座戦五番勝負でタイトル戦に初登場したが、加藤桃子女王に3連敗して敗退。2018年5月24日、第11期マイナビ女子オープン五番勝負第4局で加藤桃子女王に勝ち、3勝1敗でシリーズを制して初タイトル「女王」を獲得。女流棋士ではない奨励会員の女流タイトル獲得は加藤に続き2人目となる。 2019年5月22日、第12期マイナビ女子オープン五番勝負第4局で挑戦者の里見香奈女流四冠に勝ち、3勝1敗でシリーズを制して連覇。同年11月1日、第41期女流王将戦三番勝負第3局で里見香奈女流王将に勝ち、2勝1敗でシリーズを制して女流王将を獲得し、女流二冠となった。同年12月4日、第9期女流王座戦五番勝負第4局で里見香奈女流王座に勝ち、3勝1敗でシリーズを制して女流王座を獲得し、女流三冠となると同時に、女流棋士ではない女性奨励会員が獲得可能な3つの女流タイトル(女王・女流王座・女流王将)を独占した。 2020年3月7日、第66回三段リーグ最終日を12勝4敗で迎え、女性初の四段昇段の可能性を残していた。西山は最終日の2局を連勝して最終成績を14勝4敗としたが、谷合廣紀・服部慎一郎・西山の3名が14勝4敗で並び、前期の成績によって決まる順位の差により谷合と服部の2名が四段昇段、西山は次点となって昇段を逸した。 4月1日、第34期竜王戦で長谷部浩平に勝利し女性で初めて6組ランキング戦ベスト4に入った。 6月3日、第13期マイナビ女子オープン五番勝負第5局で挑戦者の加藤桃子に勝ち、3勝2敗でシリーズを制して3連覇。 7月30日、第92期棋聖戦の1次予選決勝で北島忠雄に勝利し、棋戦で女性で初めて1次予選を突破した。 9月26日、前期三段リーグ戦で次点を取ったことにより順位1位で臨んだ第67回奨励会三段リーグ戦だったが、終盤の8連敗が響き、7勝11敗に終わった。 10月30日、第42期霧島酒造杯女流王将戦第3局で室谷由紀に勝利し、2勝1敗で防衛を果たした。 12月14日、最終局までもつれ込んだ第10期リコー杯女流王座戦第5局で挑戦者の里見香奈女流四冠を破り、3勝2敗で防衛を果たした。 2021年1月の第92期ヒューリック杯棋聖戦に女流棋士枠で参加すると、棋士以外としておよび女性として初の一次予選突破を果たした。二次予選では初戦の準決勝を勝利したものの、決勝で屋敷伸之九段に敗れ、本選進出はならなかった。 3月6日、第68回奨励会三段リーグ戦の最終戦を勝利で終えたものの、終盤の6連敗が響き、9勝9敗に終わった。 3月24日、第34期竜王戦6組ランキング戦で小山怜央アマに敗れ、ベスト4入りはならなかった。 4月1日、奨励会を退会。
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