棋士として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 17:35 UTC 版)
1986年度、26勝12敗・勝率0.684の成績を収める。 1987年度、第18回新人王戦で準優勝(決勝三番勝負で森内俊之に0-2で敗れる)。同年度、第36期王座戦一次予選4回戦で初めて羽生善治と当たり、勝利。この頃から将棋とコンピュータの関係に興味を持ち、翌1988年から東京農工大学でコンピュータ将棋の研究を始める。 大学院生であった1992年、オランダのリンブルグ大学に客員研究員として派遣されることになり、ヨーロッパでの将棋の普及も行うため1年間の休場を申し出た。しかし、順位戦の休場の規定に特例がないため認められず、飯田は第51期(1992年度)C級2組順位戦で全局不戦敗となった。次年度の第52期(1993年度)C級2組順位戦には出場し4勝6敗の成績を収めたが、当期終了後の1994年3月にフリークラス宣言を行い、順位戦への出場資格を放棄した。 1994年のフリークラス宣言後は、出場中の棋戦の敗退(終了)をもって棋士としての活動を実質的に休業した。1994年8月5日に行われた第7期竜王戦5組残留決定戦では、菊地常夫に勝利して5組に‘残留’し、菊地を6組降級に追い込んでいる。同年9月21日の第66期棋聖戦一次予選2回戦の佐伯昌優戦で勝利したのが現役最後の対局となった(3回戦の剱持松二戦は不戦敗)。フリークラス宣言以降となる1994年度の成績は4勝7敗(うち反則負け=1、不戦敗=1)だった。1994年10月から休場となり、以降の対局は一局も組まれなかったが、対局がない期間も規定上は現役棋士であり、『将棋世界』の「フリークラス棋士一覧」に掲載されていた。 2014年3月31日、フリークラス規定(定年)により正式に現役を引退した。
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