棋士のタイトル戦創設の歴史とは? わかりやすく解説

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棋士のタイトル戦創設の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:29 UTC 版)

棋戦 (将棋)」の記事における「棋士のタイトル戦創設の歴史」の解説

(※以下の年度は、予選開始ではなく番勝負実施された年度。日本将棋連盟公式サイトでの表記も同様である) 1948年昭和23年創設の「全日本選手権戦」(読売新聞社主催)が1950年度昭和25年度)から「九段戦」と「名人九段戦」に分けられ九段戦史上2つめのタイトル戦となった。ただし、この時点では九段戦は「名人に次ぐ実力者決め棋戦」という位置付けであり、名人以外の棋士によって争われた。九段戦終了後行われる名人九段戦によって全日本選手権者が決せられた。 1950年度創設の「王将戦」(毎日新聞社主催)が翌年1951年度昭和26年度)にタイトル戦となり、以降タイトル戦の数が3つという時代が約10年続く。 1960年度昭和35年度)、早指し王位戦産経新聞社主催)に名人A級勝抜戦ブロック紙3社連合主催)が合流して王位戦」(産経新聞社ブロック紙3社連合主催)が始まりタイトル戦4つとなる。 1962年度昭和37年度)、九段戦全日本選手権戦)が「十段戦」に改称される同年度に、史上初の1年2期前期後期)のタイトル戦として棋聖戦産経新聞社主催)が開始された(なお、棋聖戦開始に伴い産経新聞社王位戦主催者から離脱)。以降タイトル戦の数が5つ年間タイトル戦回数が6回という時代十余年続く。 1974年度(昭和49年度)、「棋王戦」(共同通信社主催)が創設され、翌1975年度(昭和50年度)にタイトル戦となり、タイトル戦6つとなる。 1983年度昭和58年度)、「王座戦」(日本経済新聞社主催1953年度昭和28年度)に創設)がタイトル戦昇格しタイトル戦の数は7つとなり、年8回のタイトル戦開催された。 1988年度昭和63年度)、十段戦発展解消して、賞金トップの「竜王戦」(読売新聞社主催)が誕生棋戦としての序列名人戦上回る初のタイトル戦となった竜王タイトル名人タイトル同格である。 1995年度平成7年度)、棋聖戦他のタイトル戦と同じく1年1期となり、7つタイトル戦全て1回となる。 2017年度平成29年度)、「叡王戦」(ドワンゴ主催2015年度平成27年度)に創設)がタイトル戦昇格しタイトル戦の数は8つとなった。年8回のタイトル戦開催23年ぶり。叡王戦序列3位で、新聞社通信社以外がタイトル主催者になるのは史上初。

※この「棋士のタイトル戦創設の歴史」の解説は、「棋戦 (将棋)」の解説の一部です。
「棋士のタイトル戦創設の歴史」を含む「棋戦 (将棋)」の記事については、「棋戦 (将棋)」の概要を参照ください。

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