奨励会退会後とは? わかりやすく解説

奨励会退会後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 14:21 UTC 版)

瀬川晶司」の記事における「奨励会退会後」の解説

退会当初は「弁護士になって、棋士になった奨励会員たちを見返したい」という思い司法試験目指していた。その目標叶えるため、1997年4月神奈川大学法学部二部)に入学。だが、大学生活慣れるにつれ、「弁護士になりたい」という思い薄れていった。 退会時に所持していた将棋書籍自身棋譜処分し二度と将棋指さないつもりだったが、将棋伸び伸びと指す楽しさ気づきアマチュア復帰大学3年1999年、第53期全日本アマチュア名人戦優勝しアマ名人となり、これによりプロの公式棋戦である第26期棋王戦への出場資格を得る。予選トーナメント1回戦相手は、くしくも瀬川退会決まった第18回三段リーグで、年齢制限ぎりぎり四段昇段果たした中座真であった同年全国アマチュア王将位大会では準アマ王将となり、これにより出場した第9期銀河戦本戦では、プロ相手に7連勝する快進撃で、ブロック最多連勝アマチュアながら決勝トーナメント進出した。なお、2000年1月1日にはNHK新春お好み将棋対局アマ名人として出演羽生善治NHK杯との対局羽生角落ち)を行い119手で敗れている。 2001年大学卒業しNEC関連会社であるワイイーシーソリューションズ入社大学情報処理授業履修していたこともあり、システムエンジニアとして勤務初級システムアドミニストレータ資格取得している。 サラリーマン生活を送る傍らNEC将棋部所属アマチュア強豪加藤幸男、清水上徹はチームメイトであり、ライバルでもあった。彼らとともに団体戦でも活躍する2002年アマチュア王将となり、銀河戦(第12期)への2度目出場資格を得る。本戦では3連勝しまたしてもブロック内の最多連勝決勝トーナメント進出する。さらに、決勝トーナメントでは、1回戦でA級八段久保利明防戦一方追い込んで破りベスト8入りを果たす。解説をしていた勝又清和は、瀬川アマチュアらしからぬ手を連発するので非常に驚いていた。2回戦藤井猛敗れる。 翌2003年は準アマ王将となり、銀河戦(第13期)へ2年連続3度目参戦。6連勝し、三たび決勝トーナメントに進む。なお、2004年度朝日アマ名人戦でもベスト8食い込む活躍で、第24回朝日オープン将棋選手権プロの公式棋戦)への出場資格得ている。 以上のように、嘆願書提出した2005年2月時点プロ相手17勝6敗、勝率0.739(不戦勝1を含む)という成績収める。なお17勝はすべて持ち時間の短い銀河戦での勝利であった銀河戦以外の成績は0勝2敗)。

※この「奨励会退会後」の解説は、「瀬川晶司」の解説の一部です。
「奨励会退会後」を含む「瀬川晶司」の記事については、「瀬川晶司」の概要を参照ください。

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