奨励会退会後
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退会当初は「弁護士になって、棋士になった奨励会員たちを見返したい」という思いで司法試験を目指していた。その目標を叶えるため、1997年4月に神奈川大学法学部(二部)に入学。だが、大学生活に慣れるにつれ、「弁護士になりたい」という思いは薄れていった。 退会時に所持していた将棋の書籍や自身の棋譜を処分し、二度と将棋を指さないつもりだったが、将棋を伸び伸びと指す楽しさに気づきアマチュアに復帰。大学3年の1999年、第53期全日本アマチュア名人戦で優勝しアマ名人となり、これによりプロの公式棋戦である第26期棋王戦への出場資格を得る。予選トーナメント1回戦の相手は、くしくも瀬川の退会が決まった第18回三段リーグで、年齢制限ぎりぎりで四段昇段を果たした中座真であった。同年の全国アマチュア王将位大会では準アマ王将となり、これにより出場した第9期銀河戦本戦では、プロを相手に7連勝する快進撃で、ブロック最多連勝でアマチュアながら決勝トーナメントに進出した。なお、2000年1月1日にはNHKの新春お好み将棋対局にアマ名人として出演、羽生善治NHK杯との対局(羽生は角落ち)を行い、119手で敗れている。 2001年に大学を卒業し、NECの関連会社であるワイイーシーソリューションズに入社。大学で情報処理の授業を履修していたこともあり、システムエンジニアとして勤務。初級システムアドミニストレータの資格を取得している。 サラリーマン生活を送る傍ら、NEC将棋部に所属。アマチュア強豪の加藤幸男、清水上徹はチームメイトであり、ライバルでもあった。彼らとともに団体戦でも活躍する。 2002年にアマチュア王将となり、銀河戦(第12期)への2度目の出場資格を得る。本戦では3連勝しまたしてもブロック内の最多連勝で決勝トーナメントに進出する。さらに、決勝トーナメントでは、1回戦でA級八段の久保利明を防戦一方に追い込んで破り、ベスト8入りを果たす。解説をしていた勝又清和は、瀬川がアマチュアらしからぬ手を連発するので非常に驚いていた。2回戦で藤井猛に敗れる。 翌2003年は準アマ王将となり、銀河戦(第13期)へ2年連続3度目の参戦。6連勝し、三たび決勝トーナメントに進む。なお、2004年度の朝日アマ名人戦でもベスト8に食い込む活躍で、第24回朝日オープン将棋選手権(プロの公式棋戦)への出場資格を得ている。 以上のように、嘆願書を提出した2005年2月末時点でプロ相手に17勝6敗、勝率0.739(不戦勝1を含む)という成績を収める。なお17勝はすべて持ち時間の短い銀河戦での勝利であった(銀河戦以外の成績は0勝2敗)。
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